
師匠とも親しく、また同ひ年でもあった人間國寶が、今月二十三日に八十九歳で亡くなったと知る。
私は“母校”において、その精力的且つ献身的な實技指導を受けてゐたが、私はそれに對し生意氣な態度を見せて不快にさせ、「あいつは扱ひにくい……」と嘆息させてばかりゐた。
あの當時はまだまだ若かったとは云へ、いま思ひ返せば恐ろしいことをしたものだと思ふ。
“若さ”と云ふことの怖さ──
私はそのことを教へられてゐたことに、今ごろ氣が付く。
では今ならばどうだ……?
私は変はりはしない。
だから、
いまの私が在る。