
ラジオで、初春らしく寶生流の「高砂」を聴く。
前半は「永遠の夫婦愛」、後半は「國の平和」を謳った、ニッポンの祝曲の代表たる世阿彌の名作──
と能書きを垂れたところで、詞章の字句が私のやうな現代凡人にはムズカシすぎて、正直なところアタマにサッパリ入って来ない。
しかし謠の節付けがサッパリしてゐるおかげで、音樂としてすんなり入ってくる。
むしろこの曲を下敷きにした落語の「高砂や」が樂しめれば、それでよいと私は考へる。
かつて鐵道旅行を兼ねて、山形縣鶴岡市で黒川能の「高砂」を観た翌日、東京方面に向かふ普通列車内で現代手猿樂を立ち上げることを閃ひた、さうした縁のある曲でもある。
やはり「高砂」は、めでたい曲だ。