ラジオ放送で、觀世流梅若櫻雪の独謠「姨捨」の後場(後半)を聴く。
過去に信州の姥捨山に棄てられた老婆が、いまなほ満月の晩に現れ現世への未練をタラタラ語る──

この世になんらかの未練があって現れるのだからとんだ幽霊噺だが、しかし謠ひではこの老婆の生前について、具体的にはなんら語られてゐない。
どういふ人生だったのか謎なところに、お客が想像しながら觀る能の能たる所以があるわけだが、

かうした静止画像のやうな曲からその人物の人生を紡ぎ出せるやうになるには、文献學問以上に、やはり浮世の學問をよく績むしかない。
謠曲は、いはゆる文學ではない。