
昭和18年(1943年)に営業休止―事実上の廃止―となって以来、交通博物館時代を経て、文字通り草むらに埋もれていた旧「万世橋駅」のホームが、駅舎の遺構と共に先月14日、新しく誕生した商業施設「mAAch」の一部として蘇りました。
と言っても、駅として営業を再開したのではなく、「mAAch」のデッキとして整備されたもの。
明治45年(1912年)に開業した当時の階段をのぼってホームへ上がると、

旧構内の半分はカフェに、半分は憩いのスペースとなっています。
駅ではないためホームの両側にはガラスが張られ、その際を中央線が通過するシチュエーションは、旧ホームならではの醍醐味とは言えるでしょう。

万世橋駅は、東京駅が開業するまで東京の中央停車場としての役割を果たしていた、いわば東京駅の“先輩”に当たります。
実際、惜しくも関東大震災で損壊した開業当時の駅舎は東京駅のプレタイプと云われ、設計者も東京駅と同じ、辰野金吾博士です。
旧万世橋駅の遺構を活用した交通博物館が平成18年に閉館し、その後はじまった再開発工事で遺構もそのまま壊されてしまうのかと心配していましたが、昨年の東京駅丸の内駅舎の復原に続いて、近代日本の生き証人が蘇ったことは嬉しいかぎり。
JR東日本、Good Job!
と言っても、駅として営業を再開したのではなく、「mAAch」のデッキとして整備されたもの。
明治45年(1912年)に開業した当時の階段をのぼってホームへ上がると、

旧構内の半分はカフェに、半分は憩いのスペースとなっています。
駅ではないためホームの両側にはガラスが張られ、その際を中央線が通過するシチュエーションは、旧ホームならではの醍醐味とは言えるでしょう。

万世橋駅は、東京駅が開業するまで東京の中央停車場としての役割を果たしていた、いわば東京駅の“先輩”に当たります。
実際、惜しくも関東大震災で損壊した開業当時の駅舎は東京駅のプレタイプと云われ、設計者も東京駅と同じ、辰野金吾博士です。
旧万世橋駅の遺構を活用した交通博物館が平成18年に閉館し、その後はじまった再開発工事で遺構もそのまま壊されてしまうのかと心配していましたが、昨年の東京駅丸の内駅舎の復原に続いて、近代日本の生き証人が蘇ったことは嬉しいかぎり。
JR東日本、Good Job!