八月三十日。
この日は東京近郊の自然公園で、Vシネのエキストラに出ていました。
タイトルは「お、いなり!」と云う、お稲荷様の鳥居にバイクをぶつけた男が、だんだんと油揚げに変身していく…と云った、まぁしょうもない作品でした。
男が夢のなかでキツネの行列に出会(くわ)してうなされるシーンがあって、わたしはその行列のなかの一匹に出たんです。
真っ昼間の炎天下に浴衣を着て、手拭いで頬かむりをして、キツネのお面を付けての撮影は暑くて暑くて、そりゃあ死ぬかと死ぬかと思いましたよ。
お面は張り子製だったんですけど、最後には汗でボロボロになってましたもの。
気分が悪くなってひっくり返った人も結構いましたね。
このキツネ行列のエキストラは親子とかカップルとか夫婦とか、それぞれに役の設定みたいなものを助監督がその場で決めていったんですけど、わたしは母娘と云う設定になって、その母役として組んだのが、生田杏子さんでした。
後々訂正することになるんですけど、この時の彼女の印象は、「優しい世話好きなおばさん」、て感じでしたね。
撮影の合間とかも常にわたしにくっ付いてきて、何かと話しかけてくるのにはちょっとウルサいな、とは思いましたけど…。
白昼のシーンの撮影だったので夕方に終了、夜から入っているバイトに備えてさっさと着替えて駅への道を急いでいると、あのおばさんが後から追い掛けて来ました。
「わあ…」
ウルサイなぁ、なんて思っていると、おばさんは追い付くなり、
「ねえあなた、舞台に興味って、ある?」
と訊いてきました。
「はい?まあ…」
意外な展開。
そりゃ、ミュージカルとか出たいですけど…。
「だったらさ、ウチの劇団手伝ってみない?」
「え?」
この時初めて、おばさんは「生田杏子(いくたきょうこ)」と名乗り、自分が所属している劇団―“劇団ASUKA”―が九月一日から二ヶ月間、東北地方の文化ホールを巡演するのだけれど、明日出発なのに役者の数があと一人か二人足りなくて、助っ人を探しているところだった、と云うことを話しました。
そっか、この方実は、劇団の役者さんだったのね…。
「お芝居は時代劇をやるのよ。でね、今日あなたを見ていたら、浴衣をキチンと着てたし、身のこなしもしっかりしていたから、もしかしたら即戦力でイケるかな…って思って…」
この時は黙っていましたけど、日本舞踊を習っていてよかった、と思いました。
でも明日出発とは言え、稽古とかはどうするの?という疑問はありました。
しかしこの時はそれよりも、エキストラではない、ちゃんと役者として舞台に出られる、と云うことに、わたしの心は一気に舞い上がってしまって、物事を冷静に判断することが出来ませんでした。
それに文化ホールのステージと云うのも、なかなかそそられました。
「ホントに、出していただけるんですか…!?」
なんて、OK同然のようなことを言ってました。
それから後はすぐに話しが纏まって、明朝八時に西新宿にある劇団事務所前に来てと、住所を走り書きしたメモを手渡され、わたしも自分の名前とケータイのメアドをすぐにメモって渡しました。
陽也って名前に、杏子さんの眉がちょこっと動いたのを、今もハッキリ憶えていますよ。
訳を話すと、へぇ~って改めてわたしのことを見ていましたっけ。
改札口での別れ際に、
「いやァ、ホントに助かったわぁ」。ありがとね」
という生田杏子さんの安堵した表情に、
「わたしなんかでよければ…」
こちらこそよろしくお願いします、とすっかり高揚して頭を下げているわたしを、果たして杏子さんは、ハラのなかではどう思って見ていたやら…。
〈続〉
この日は東京近郊の自然公園で、Vシネのエキストラに出ていました。
タイトルは「お、いなり!」と云う、お稲荷様の鳥居にバイクをぶつけた男が、だんだんと油揚げに変身していく…と云った、まぁしょうもない作品でした。
男が夢のなかでキツネの行列に出会(くわ)してうなされるシーンがあって、わたしはその行列のなかの一匹に出たんです。
真っ昼間の炎天下に浴衣を着て、手拭いで頬かむりをして、キツネのお面を付けての撮影は暑くて暑くて、そりゃあ死ぬかと死ぬかと思いましたよ。
お面は張り子製だったんですけど、最後には汗でボロボロになってましたもの。
気分が悪くなってひっくり返った人も結構いましたね。
このキツネ行列のエキストラは親子とかカップルとか夫婦とか、それぞれに役の設定みたいなものを助監督がその場で決めていったんですけど、わたしは母娘と云う設定になって、その母役として組んだのが、生田杏子さんでした。
後々訂正することになるんですけど、この時の彼女の印象は、「優しい世話好きなおばさん」、て感じでしたね。
撮影の合間とかも常にわたしにくっ付いてきて、何かと話しかけてくるのにはちょっとウルサいな、とは思いましたけど…。
白昼のシーンの撮影だったので夕方に終了、夜から入っているバイトに備えてさっさと着替えて駅への道を急いでいると、あのおばさんが後から追い掛けて来ました。
「わあ…」
ウルサイなぁ、なんて思っていると、おばさんは追い付くなり、
「ねえあなた、舞台に興味って、ある?」
と訊いてきました。
「はい?まあ…」
意外な展開。
そりゃ、ミュージカルとか出たいですけど…。
「だったらさ、ウチの劇団手伝ってみない?」
「え?」
この時初めて、おばさんは「生田杏子(いくたきょうこ)」と名乗り、自分が所属している劇団―“劇団ASUKA”―が九月一日から二ヶ月間、東北地方の文化ホールを巡演するのだけれど、明日出発なのに役者の数があと一人か二人足りなくて、助っ人を探しているところだった、と云うことを話しました。
そっか、この方実は、劇団の役者さんだったのね…。
「お芝居は時代劇をやるのよ。でね、今日あなたを見ていたら、浴衣をキチンと着てたし、身のこなしもしっかりしていたから、もしかしたら即戦力でイケるかな…って思って…」
この時は黙っていましたけど、日本舞踊を習っていてよかった、と思いました。
でも明日出発とは言え、稽古とかはどうするの?という疑問はありました。
しかしこの時はそれよりも、エキストラではない、ちゃんと役者として舞台に出られる、と云うことに、わたしの心は一気に舞い上がってしまって、物事を冷静に判断することが出来ませんでした。
それに文化ホールのステージと云うのも、なかなかそそられました。
「ホントに、出していただけるんですか…!?」
なんて、OK同然のようなことを言ってました。
それから後はすぐに話しが纏まって、明朝八時に西新宿にある劇団事務所前に来てと、住所を走り書きしたメモを手渡され、わたしも自分の名前とケータイのメアドをすぐにメモって渡しました。
陽也って名前に、杏子さんの眉がちょこっと動いたのを、今もハッキリ憶えていますよ。
訳を話すと、へぇ~って改めてわたしのことを見ていましたっけ。
改札口での別れ際に、
「いやァ、ホントに助かったわぁ」。ありがとね」
という生田杏子さんの安堵した表情に、
「わたしなんかでよければ…」
こちらこそよろしくお願いします、とすっかり高揚して頭を下げているわたしを、果たして杏子さんは、ハラのなかではどう思って見ていたやら…。
〈続〉