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迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

もう一人の“三遊亭圓朝”。

2018-09-02 18:46:27 | 浮世見聞記
神奈川県立博物館で開催中の、「真明解・明治美術 増殖する新メディア」展を観る。


150年前、明治維新といふ時代の大転換に出くわした藝術家たちが、それによってもたらされた西洋藝術を上手に自分たちの藝術へ取り入れた様を、静かな調光のもとでじっくり鑑賞する。



写実性と陰影に富んだ西洋絵画は、色彩の無い古写真からでは窺ひ知ることの難しい当時の風情を、如実に伝へてくれる利点がある。

高橋由一の「江の島図」(明治九~十年)がさうであり、


※チラシより転写



また日本の画家ではないが、チャールズ•ワーグマンが明治五年頃に描ひた「宿場」(上)と「街道」(下)の二作品は、


※記念絵葉書より転写

どこを写したものかはわからないが、江戸時代がまだまだ濃厚に残ってゐた明治初期の旧街道の雰囲気を、“旧街道探訪者”なる私に色あざやかに教へてくれる。

とくに「街道」は、現在では痕跡をわずかに残すにすぎない松並木、また画面左の立場(休憩所)などは、現在ではどこも道端の棒標識で跡を示してゐるにすぎないだけに、今後の旧街道探訪の際には、当時を偲ぶ貴重な資料となるだらう。


そして今回もっとも目を惹いたのが、初代五姓田芳柳が明治十年代に発表した、「三遊亭円朝像」。

三遊亭圓朝は、鏑木清方が描いた高尚な藝術家然としたそれや、また古写真でもその容貌を知ることが出来るが、ここに展示された圓朝は、丸顔の入道頭で顎を少し引き、薄ひ唇を一文字に結んだ、いかにも海千山千の藝人らしい狷介さを、やや目線を逸らした両の眼(まなこ)にはっきりと捉へた、珍しいやうな作品。

三遊亭圓朝といへば、演藝界では「明治中興の祖」と崇められてゐるが、現在刊行されてゐる関係書籍を読む限り、話藝の大家らしく順風満帆な藝人人生を歩んだわけではないらしい。

鏑木清方のそれは印象を美化した面が濃いやうだからあまり参考にならぬが、古写真に見る容貌が事実である一方、初代五姓田芳柳の作品は圓朝といふ藝人の、ある心の一面を写し取ったものいふ意味において、また真実を伝へてゐるのではないだらうか。




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