
道端を歩くわたしの脇を、自転車に乗った小学校低学年くらいの女の子が、
「すみません」
と、後ろから声を掛けて、追い越して行った。
そして、その先の横断歩道で信号待ちをしている母親の自転車へと、追い付いて行った。
まだ小さな女の子が、徒らにベルを鳴らすのではなく、「すみません」と声を掛けたことに、わたしは感心した。
そして、あのまだ若い母親の“躾”のほどを、好ましく思った。
学力ばかりで知力はサッパリな子供がやたら目に付く現在(いま)の御時世、一番初めに教えなければならないのは何であるか、つくづく考えさせられる。
「すみません」
と、後ろから声を掛けて、追い越して行った。
そして、その先の横断歩道で信号待ちをしている母親の自転車へと、追い付いて行った。
まだ小さな女の子が、徒らにベルを鳴らすのではなく、「すみません」と声を掛けたことに、わたしは感心した。
そして、あのまだ若い母親の“躾”のほどを、好ましく思った。
学力ばかりで知力はサッパリな子供がやたら目に付く現在(いま)の御時世、一番初めに教えなければならないのは何であるか、つくづく考えさせられる。