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迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

遺産は資源なるか。

2018-07-03 22:07:36 | 浮世見聞記
長崎、天草地方の“隠れキリシタン”関連の遺跡が、世界遺産に登録されたと云ふ。

その子孫たちが喜びを語りつつ、「これからも静かに形態を守っていく」と述べてゐるところに、数百年にわたる「潜伏」から会得したものであらう、信仰の矜持を見る。

さりながら。

隠れキリシタンの集落のほか、“島原の乱”の舞台となった原城の跡、大浦天主堂などが世界遺産に登録されたとなると、それらがたちまち観光資源に利用され、有象無象が押し寄せ、静かなるを願ふ信仰形態が、しばらくはさうも言っていられなくなるであらうことは、容易に想像できる。


実際、

「(隠れキリシタンの里について)調べてみたら、交通の便が悪いやうだ……」

と、さっそく物見遊山するつもりでゐるのがボヤいてゐる。


文化遺産とは、それをこれからもその姿のまま永く守っていくべきもので、当座の金儲けの道具などとは、根本から意義が違ふはずだ。

にもかかはらず、何の考えも無い輩がいとも容易(たやす)く乗せられて、カメラを手に手に押し寄せ押しかけ踏み荒らしていく様は、全く衆愚の極みである。



いまや『世界遺産』と聞くと、

観光客誘致の方便にしか聞こえてこないのは、

困ったことだ。
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