
ラジオ放送で、和泉流狂言の「花折」と「酢薑」を樂しむ。
當然ながら、ヨコ文字が一切混入しない、純然たる日本語だけで展開される言葉のやり取りが、耳に心地良い。
私はいまでも意味を知らない──知りたくもない──「レガシー」だの「エビデンス」だの、言葉まで輸入モノを用ゐりたがる風潮が大嫌いだ。
例へば、どんなに惡どく、えげつない商賣であっても、「ビジネス」なるヨコ文字に置き換へると、それが真っ當なシゴトのやうに響ひてしまふ、あの欺瞞さ!
もっとも、この浮世見聞記を“ブログ”と云ふやうに、なんでもかんでも輸入語をイジメるのは外れてゐる。
が、私はこれからも日本語主体で、言ひたいことを言っていくことを心掛けん。