さて、一座のみんなが旅館へ引き揚げてから、杏子さんにマンツーマンで稽古をつけてもらったわけなんですけど、これがまたアバウトでしてね、杏子さんが役のセリフをサラサラっと喋りながら簡単に動きを見せて、
「…まァこんな感じ。あとは“よろしく”で」
で、おしまい。
わたしが「?」となっていると、
「ウチら大衆演劇にはね、基本的に台本なんて無いの。セリフは、本来なら座長が“口立て”と云って、口頭で伝えるのを聞いて覚えるものなの。ま、アタシなんかは先輩のを舞台袖でいつも聞いていて覚えてるから、口立てだって要らないくらいなんだけど。要は慣れよ。それくらいになっちゃえばなんでもないけど、初めのうちはテープかなんかに録音した方がいいわ」
そこでわたしはケータイのボイスレコーダーで、
「あの、もう一度だけ…」
「しょうがないわね…」
…はい?芝居の内容、ですか?
「返り咲き三度笠」の?
はい。
筋は、長い旅から久しぶりに故郷の村へ帰ってきたヤクザ者が、かつて恋心を抱いていて今は人妻となった女が、土地の親分に無理難題を吹っかけられていると知って、我慢ならず立ち上がる、という単純な二幕ものです。
それこそ文字に起こして台本にしたら、「こんなのが芝居になるのか!?」と呆れるような代物…、ええそうです。大衆演劇の出し物って、だいたいそんなモノです。
わたしはその序幕の茶店の場で、座長扮する主役のヤクザに、「彼女は親分に絡まれて大変らしい」、といったことを世間話に喋るんですけど、なぜか最後は店の売り物のお酒をがぶ飲みした挙げ句に泥酔して、「あ~らお兄さん、イイ男じゃないのぉ」と絡みだすというキャラで、男はほうほうの体で逃げ出す、といったワケのわからない展開になってました…。
杏子さん曰く、「テキトーなところで笑いをとってお客を和ませる、それが大衆演劇なの」
へぇ…、って思っていると、
「それで酔っ払っている時は、ちょっとお色気モードでいくのよ」
と、舞台裏に積んである衣裳箱―そうです、チャバコとか云うやつ―から茶店娘の衣裳を引っ張り出してきて、
「そこんとこ稽古するから、ホラ、これに着替えて」とわたしに放りました。「服の上からでいいから」
わたしが言われた通りにすると、杏子さんは「こんなカンジ」と、いきなりストリップ紛いのことを始めたんです。
いいトシしたオバサンが、太ももを深いところまで露わにするフリしたり、片肌を見せるフリしたり…、ええホントですよ。
「…杏子さん、いつもソレをやってんですか?」
わたしが明らかにドン引きした顔してるのを見て、本人もさすがに恥ずかしくなったらしくて、そそくさと止めると、
「ンなワケないでしょ!こんなオバンがやったら、『ババァ引っ込め!』言われるに決まってんじゃない。アタシん時は年増の設定にして、ちょっとしなだれかかるだけよ」
「わたしもソレじゃ、ダメですか…?」
「あのねぇ、この役の意味、解ってないわね」
解りません。って言うか、解ってたまるもんですか。
「…ここが、この役の見せ場、オイシいとこなんじゃない!」
そうなんですか…?
納得していないわたしに、杏子さんは改まったように一息おいて、わたしの腕に手をかけると、
「…アナタはまだ芸歴もないし、大衆演劇に出るのも初めてだから、唖然とすることばかりだと思う。アタシも最初はそうだった。いい?ワタシたちは、お客を楽しませてナンボ、なの。?アナタはたぶん、品が無いことしてる、って感じてると思う」
Yes…!
「でも、そんなものはアタシたち大衆演劇には要らないの。いいのよ、思いっ切りお下品で。その方が大衆演劇のお客は喜ぶんだから。だって…」
杏子さんはここで片頬を歪めた笑いかたをして、
「大衆演劇を見に来る客なんて、みーんなレベル低いんだから…!」
あの言っときますけど、コレは生田杏子と云う劇団ASUKA座員の生ボイスですからね!
高島陽也の発言みたいに書かないでくださいよ!
…そうですか?ホントにお願いしますよ。
ね、そうでしょ?ヒドいでしょ。
お客を喜ばせてナンボ、とか言っていながら、ハラんなかじゃそんなこと考えてる。
杏子さんのこの言葉と、のちほどお話しすることになる飛鳥琴音さんの決めゼリフのその二つが、劇団ASUKAに引きずり込まれたあの時のわたしの、最も忘れられない言葉でした。
〈続〉
「…まァこんな感じ。あとは“よろしく”で」
で、おしまい。
わたしが「?」となっていると、
「ウチら大衆演劇にはね、基本的に台本なんて無いの。セリフは、本来なら座長が“口立て”と云って、口頭で伝えるのを聞いて覚えるものなの。ま、アタシなんかは先輩のを舞台袖でいつも聞いていて覚えてるから、口立てだって要らないくらいなんだけど。要は慣れよ。それくらいになっちゃえばなんでもないけど、初めのうちはテープかなんかに録音した方がいいわ」
そこでわたしはケータイのボイスレコーダーで、
「あの、もう一度だけ…」
「しょうがないわね…」
…はい?芝居の内容、ですか?
「返り咲き三度笠」の?
はい。
筋は、長い旅から久しぶりに故郷の村へ帰ってきたヤクザ者が、かつて恋心を抱いていて今は人妻となった女が、土地の親分に無理難題を吹っかけられていると知って、我慢ならず立ち上がる、という単純な二幕ものです。
それこそ文字に起こして台本にしたら、「こんなのが芝居になるのか!?」と呆れるような代物…、ええそうです。大衆演劇の出し物って、だいたいそんなモノです。
わたしはその序幕の茶店の場で、座長扮する主役のヤクザに、「彼女は親分に絡まれて大変らしい」、といったことを世間話に喋るんですけど、なぜか最後は店の売り物のお酒をがぶ飲みした挙げ句に泥酔して、「あ~らお兄さん、イイ男じゃないのぉ」と絡みだすというキャラで、男はほうほうの体で逃げ出す、といったワケのわからない展開になってました…。
杏子さん曰く、「テキトーなところで笑いをとってお客を和ませる、それが大衆演劇なの」
へぇ…、って思っていると、
「それで酔っ払っている時は、ちょっとお色気モードでいくのよ」
と、舞台裏に積んである衣裳箱―そうです、チャバコとか云うやつ―から茶店娘の衣裳を引っ張り出してきて、
「そこんとこ稽古するから、ホラ、これに着替えて」とわたしに放りました。「服の上からでいいから」
わたしが言われた通りにすると、杏子さんは「こんなカンジ」と、いきなりストリップ紛いのことを始めたんです。
いいトシしたオバサンが、太ももを深いところまで露わにするフリしたり、片肌を見せるフリしたり…、ええホントですよ。
「…杏子さん、いつもソレをやってんですか?」
わたしが明らかにドン引きした顔してるのを見て、本人もさすがに恥ずかしくなったらしくて、そそくさと止めると、
「ンなワケないでしょ!こんなオバンがやったら、『ババァ引っ込め!』言われるに決まってんじゃない。アタシん時は年増の設定にして、ちょっとしなだれかかるだけよ」
「わたしもソレじゃ、ダメですか…?」
「あのねぇ、この役の意味、解ってないわね」
解りません。って言うか、解ってたまるもんですか。
「…ここが、この役の見せ場、オイシいとこなんじゃない!」
そうなんですか…?
納得していないわたしに、杏子さんは改まったように一息おいて、わたしの腕に手をかけると、
「…アナタはまだ芸歴もないし、大衆演劇に出るのも初めてだから、唖然とすることばかりだと思う。アタシも最初はそうだった。いい?ワタシたちは、お客を楽しませてナンボ、なの。?アナタはたぶん、品が無いことしてる、って感じてると思う」
Yes…!
「でも、そんなものはアタシたち大衆演劇には要らないの。いいのよ、思いっ切りお下品で。その方が大衆演劇のお客は喜ぶんだから。だって…」
杏子さんはここで片頬を歪めた笑いかたをして、
「大衆演劇を見に来る客なんて、みーんなレベル低いんだから…!」
あの言っときますけど、コレは生田杏子と云う劇団ASUKA座員の生ボイスですからね!
高島陽也の発言みたいに書かないでくださいよ!
…そうですか?ホントにお願いしますよ。
ね、そうでしょ?ヒドいでしょ。
お客を喜ばせてナンボ、とか言っていながら、ハラんなかじゃそんなこと考えてる。
杏子さんのこの言葉と、のちほどお話しすることになる飛鳥琴音さんの決めゼリフのその二つが、劇団ASUKAに引きずり込まれたあの時のわたしの、最も忘れられない言葉でした。
〈続〉