4月 歌舞伎座(1日初日)
「春日局」松平右衛門太夫
「六歌仙容彩」小野小町姫

「六歌仙容彩 遍照」小野小町姫

「同 業平小町」小野小町姫

「同」 右・仁左衛門(小野小町姫)、左・十五代目羽左衛門(在原業平)

「同 黒主」 左・仁左衛門(小野小町姫)、右・七代目幸四郎(大伴黒主)
〈劇評〉
『六歌仙容彩』
「『六歌仙』で梅幸が小町をやったのは、ツイこの間だと思ったのに、もう三年になるんですね。今度は仁左衛門ですが、どうもこの人は踊りには向きません。あの冷たい顔を見ると、どうにかして踊りに酔おうとつとめても、酔えません。美しい事は決して人に負けませんが、どことなしに側へ寄りつけような気がします。だから三つの中では、黒主の場が一番ようございました。 (中略)
『東宝』という雑誌に、小林(※一三)さんがこの六歌仙を初めて見て、この時代の人をあんな扱い方をする、無茶なところが昔の世相を現していて面白い──と書いてあるのを見て、私はあたりを見廻しました。私たちは、もう心から髄から歌舞伎酒が浸み込んでいるのでしょう。今までそんな事を、おかしいと思ったこともありませんでした。文屋を江戸ッ子らしく踊らせ、喜撰に下びたチョボクレを踊らせても、なんの不思議にも感じませんでした。私たちは踊りにかけては、まだ江戸時代の人間なのかも知れません。でも今の若い人には、さぞおかしく写る事でしょう。こうした問題は、どうなってゆくんでしょう。」
(「演芸画報」昭和12年5月号)
5月 東京劇場(1日初日)
「箱根霊験躄仇討」飯沼勝五郎
「西鶴置土産」女房おきわ
「籠釣瓶花街酔醒」繁山栄之丞

「箱根霊験躄仇討」 左・仁左衛門(飯沼勝五郎)、右・二代目松蔦(妻初花)

「籠釣瓶花街酔醒」 右・仁左衛門(繁山栄之丞)、左・釣鐘権八(二代目河原崎権十郎)

「同」 右・仁左衛門(繁山栄之丞)、左・兵庫屋八ツ橋(二代目松蔦)
〈劇評〉
『西鶴置土産』
「外題の通り『西鶴置土産』の巻二の中“人には棒振蟲同然に思われ”を劇化したものである。巻中すべて遊女に戯れた老いの身の果を綴ったものであるが、 (中略)
仁左衛門のおきわは太夫上がりらしさの権威と誇とは此の人の持味で見えていたけれど、どうも利左衛門(※二代目左團次)に惚れた事があったかどうか疑いたいような気がした。子供に対してのセリフもよく生かされていたが一歩を誤ると全然情愛を失い易い。」
『籠釣瓶花街酔醒』
「仁左衛門の栄之丞は上品な人柄なのが良い。どうせどっちかと云えば此の人女形に出来上がっていないようだ。」
6月 歌舞伎座(3日初日)
「本朝廿四孝 勘助隠家」百姓慈悲蔵実は直江山城守
「享和政談延命録」奥女中竹川

「本朝廿四孝 勘助隠家」百姓慈悲蔵実は直江山城守

「同」 左・仁左衛門(百姓慈悲蔵実は直江山城守)、右・二代目延若(横蔵実は山本勘助)

「享和政談延命録」奥女中竹川
〈楽屋噺〉
「“小唄の作曲”
仁左衛門の美音は有名だが、(中略) その仁左衛門の小唄に三下りで『鵠沼』という作がある。作曲談を聞くと『これは鵠沼の避暑中の即興で歌詞は“嬉しき宿は鵠沼の女浪男浪の松吹き渡る、風も涼しきとり膳や楊子を包む辻占に、ハッと赤らむ謎の文字、富士江の島も笑い顔” というので吹き渡る迄は浜唄調、糸は伴奏風に唄とは全然離れて、トン、ツ、チンテンツンツンと繰り返し静かな波の気分を出し、取膳はカン、楊子を包むは軽く粋に、富士は二の吟、江の島は三でカンどこを脱(はず)し、琵琶の音を出しました』と。」
(歌舞伎座六月興行筋書 「俳優談話室」)
〈劇評〉
『本朝廿四孝』
「A (前略) 筍の為に一時間半──こんな愚劇の為に、甚だ勿体ないぢゃァないか。大切な時間を一時間半つかうなんて。 (中略)
全体から見れば、モウ今の時勢には捨てられていい芝居だ。捨てても構わない。昔から歌舞伎では、可成り立派な脚本でも、時相の為には敢然と捨てて来た。今さらこんな物を出す必要はない。 (中略)
その時々の大衆を的とする商業劇場が、こんな物を出して一体どうしようというんだ。お客の九分通りまでは、何がなんだか解らないぢゃァないか。同じ愚劇ならば新作を望むね。毎月各雑誌に発表される脚本は相当ある。今の見物にとっては、少なくとも筍より、最近発表の若い人の愚作の方を喜ぶよ。 (中略)
古典劇だって、こんな解らない脚本ばかりぢゃァあるまい。今の見物には、何より先に“解ること”が、第一だ。それから第二に、夢の中に引摺り込むのだ。 (中略)
В 仁左衛門の慈悲蔵はどうだ。
A この前、本郷座で、中車とやった時には、恐ろしく突慳貪な慈悲蔵だと思ったねえ。
B 今度は。
A 今度は流石に潤いがあったが、それでも前はギスギスしていけないねぇ。斯ういう役は、ああ水晶見たいに鋭角的では困るよ。もっと滑らかになってもらわなくては──変にひがんでいる慈悲蔵だ。
B 例によって冷たいというんだろう。
A 理屈ぢゃァないからね。その代わり立廻りから後になると、グッと見直した。」
(「演芸画報」昭和12年7月号)