五月も、はや半ばとなりにける。
浮世では大型連休が始まるといふ先月末には、「これまでに経験をしたことのない」事態にだうなることやら、と思ってゐたが、なんだかんだと今日に至る。
「何事も無いことが一番の幸せ」の意味を、改めて噛みしめる。

そして今月に入って、初めて路線バスを利用する。
驛から距離がある住宅地を通る路線なので、今までならば終点の驛へ近づくにつれて混んでくるが、現今では各停ながら乗客はさほどではなし。
もともと乗降の手間を想定したダイヤを組んでゐるからか、あまりにも順調に進むので、却って徐行運転をしてゐるのが面白ひ。
終点の驛前でしのぎを削る数軒のラーメン屋のうち、一軒だけが“三密”であとは閑古鳥。
スーパーを覗くと、一時は爆発的人気商品だったチリ紙が、今ではちゃんと賣られてゐる。
但し、生産量も在庫もしっかり保たれてゐる、と公言してゐたわりに、価格はしっかりと上がってゐる。
かくして、時世を巧く利用して儲けてゐる者がある。
ちゃっかりしてゐるよなぁ、とは思ふ。
だが、浮世の均衡は、みんなが横並びになることではなく、泣くものと笑ふもの、その落差によって上手く保たれてゐる──それが現實だ。
復路には鐵道を利用する。

今までならば乗る気にもならぬツマラナヰ通勤路線だが、今やわずか數驛數分の乗車にも“鐵道旅行気分”を求めてゐる自分に、「アカンなぁ……」と苦笑せり。
五月にしては蒸した陽気に、今年の夏は早ひかもしれないと感じる。

といふことは、天敵の蚊も早々に現れる恐れあり。
蚊が、支那疫病の媒介役になる可能性を指摘する聲もある。
昨夏に地元の百円ショップで見つけた秀逸な蚊取り線香の残りを部屋で確かめながら、今年もこれと同じ物が出るかな、とさっそく次の樂しみを見つける。