茶番大運動會の問題は、「ならばそっちで勝手にやれ!」と私のなかで落着、参加予定だった春の催しの全滅につひても、こちらで代替策がほぼ固まり、さぁ支那疫病を本格的に用心──

なにかと建て前ばかりを宣ふオトナどもほど、役に立たないものはない。

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と構へた途端、異國の少女平和論者も感染が確認された云々。
また志村けんが感染して重体云々に至っては、いよいよ他人事ではなくなってきたと緊張が走る。
“本番”は、實はこれから……?
それでも浮世の子どもたちは、公園で元気に遊んでゐる。

なにかと建て前ばかりを宣ふオトナどもほど、役に立たないものはない。
為政者はもとより、その先棒担ぎである報道屋は間違ひなく、真實をちゃんと傅へていない──東日本大震災の時がさうであったやうに。
だいたい、茶番大運動會の延期が発表された翌日に、いきなり感染者数倍増が発表されるなど、やはりそれまで“情報操作”が行なはれてゐたとしか思へない。
報道屋や御用學者は、先日の三連休に都心部に大勢の人出があったせいにしたいやうだが、私は鵜呑みにしない。
もし茶番大運動會が延期にならなかったら、「三月二十五日に都内で四十一人の感染者確認」といふ数字は、必ずや隠蔽されたであらうから。
志村けんの感染が、それまで伏せられてゐたことも然り。
この調子では、永田町にも感染者がいるのを、隠してゐる可能性がある。
かくして我々一般國民は訳もわからないまま行動を制限され、それがーケ月ちかくに及び、いまや

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いささか食傷気味な光景であることは事實。
しかし、感染により重篤に陥る者、命を落とす者が世界規模で後を絶たないのも、また事實。
時の為政者が後世に褒め称へられるには、
茶番大運動會の實施より、
この國難下でいかに舵取りをするか、
その知力と手腕のほかにない。
──と、ここにもっとも當り前にして、もっとも無駄なことを、敢へて記しおき候。