
イヤな空の表情(いろ)。
九州南部では大雨が降り續き、熊本県を流れる球磨川では数カ所で氾濫が発生し、

家屋の浸水や土砂の流出、橋が流され集落が孤立するなどの被害云々。
「これまでに経験したことのない──」
今年も、つひにこの言葉が頻出する季節となる。
そして、昨秋に東京圏を通過した台風十九号により多摩川が一部で氾濫し、排水不能となった住宅地は床上浸水の被害に遭ったことを思ひ出す。
私はその第一報を、報道よりもSNSで先に知ったのも、時代といふものだ。
黒雲が早足で流るる様子を昼過ぎまで見、どうやら雨にはならぬと踏んだところで散歩に出る。

ムダなものが映る道より、さうではない“いつもの道”が、やはり気持ちが落ち着く。
この散歩道があるならば、いまの生活様式がいつまでも續かうと構はぬ。
東京都が今日確認した感染者數は131人、女都知事は都民に、「不要不急の“越境”を控へるやう」、お願ひ申し上げ給ふ。

つまり、“かつての日常奪還作戦”は、案の定大失敗に終わったことを認めたわけだ。
しょせん、そこまでの器。
今さら休業強制も自宅軟禁令も發令出来ず……、いや、もうやってくれなくて良い。
働くほかに何も無い有象無象が、ヒマを持て余して町内を徘徊する、あのおぞましい光景はまう見たうもない。
散歩の休憩も兼ねて地区センターに寄ると、秋に素人芝居の上演を企む案内がラックに入ってゐた。
この國難下で上演が一度中止となり、秋に延期した云々。
主催者は、どうも秋にこそ上演出来ると信じてゐるらしい。
わたし自身も素人演者なればこそ、ハッキリ言ふ。
「往生際が惡ひ!」
この國難が確實に去ってから活動再開、くらゐの余裕も無い者に、なにロクな作品が出来やう。
先走りがいかに自身の不利益となるか、現今をよく見るべし。
わたし自身も素人演者なればこそ、ハッキリ言ふ。
風は雲を次々に流し、向かふには晴れ間が覗く。

明日は晴れてくれるといいな──
この病菌騒動下、
晴天であることが、
その日を過ごす希望となってゐる。
しかし。
この梅雨が明ければ、次にはたちまち“熱害”が、國難に加はる。
現今で乗り切る手立てはただ一つ。

「ムダな出費となる外出(行動)はしない」──
話しはすでに、“長期戦”と極まってゐるのだから。