奥羽本線には、最近では今年二月に山形縣米澤市の「上杉雪灯篭まつり」のステージイベントに、現代手猿樂をもって参加するため、新幹線で利用しました。

福島驛を過ぎ、平野部を抜けて大きく右へカーブしながら山中の鐵路へ分け入ると、車窓は途端に雪景色、新幹線は明らかに勾配が感じられるなか、速度を落としていくつものカーブをすり抜けて行きました。
そして、かういふ過酷な自然環境下でも新幹線を操る運転士さんの“プロ魂”には感服したものです。
あの区間で落ち葉のため普通列車がスリップしたことは既報で知ってゐましたが、鐵道は自然の影響をまともに受ける、まさに“闘ひ”そのものであることを今回の報で改めて思ひました。

東京圏の鐵道各社は来年から、人災疫病の影響もあって終電時間を繰り上げ、そのぶん始發までの時間を保線作業の充實に活かすなどの方針を示しました。
行樂旅行は控へるべき現在、
私のやうなメデタイ愛好者が安全に鐵道旅行を樂しめるのは誰たちのおかげか──
私たちはそれをよく考へることに時間を充てるのも、無駄ではありますまい。
それにしても、奥羽本線を利用したのは今年の二月、まだ十ヶ月しか経っていないのに、すでに一年以上も昔に感じられるのはだうしたことでせう。
この時すでに日本國内でも感染者が確認されてゐましたが、上杉雪灯篭まつりは開催されたやうに、

まだ全國で催しの全面自粛(實質の中止)となるほどの事態とは、認識されてゐませんでした──さうなるのはこの直後からです。
米澤驛ちかくのドラッグストアでは、すでにマスクは完賣状態、探しに来たらしい母娘が、困った表情を浮かべて立ってゐました。
そのマスクが現在では樂に手に入るやうになったのですから、ヒトはさうした有難さを、もっと真摯に考へなくてはならないのです。
──と、今回の奥羽本線の記事から、まだ辛うじて“かつての日常”だった頃を、なつかしく思ひ出して候。