コロコロコロール通信

南洋の小さな島に暮らす家族の日記

今日のもらいもの

2020-11-28 23:04:24 | 食べ物

釣りに行って来たという友人から配達あり。ちょうどいい大きさのハタとフエフキダイ。赤に水色のドットという人間には考えつかないような神様の奇抜な配色が美しい。さすが新鮮、目もキラキラしてる。まずは刺し身でしょ。甘みがあって絶対美味しい。それからぜいたくに一匹づつお頭付きで唐揚げにしましょうか。これはこれでふわふわで絶対最高! ごちそうさまで〜す!

赤土の島

2020-11-15 22:37:49 | 今日の出来事

パラオの最高峰、標高なんと242mのNgerchelchuus(ゲルエルウース)。山頂までの道はこんな赤土になる。サンゴ礁が隆起して出来たパラオの象徴のロックアイランドや、南の離島、ペリリュー島、アンガウル島等とは違って、バベルダオブ島は火山島だ。粘土質の赤土。痩せた赤土にウツボカズラなどの食虫植物が生える。雨が降ると雨の流れた跡で道に亀裂が入る。低い山だけれど高い木が生えるわけでもなく、日本の里山のような優しいこんもりした雰囲気はない。
パラオ人のおばあさんに、ゲルエルウースに登って来たよ!と報告すると、発音が違う、「Ngerchelchuus!」「ガ」じゃなくて「ンゲ」、「ウース」じゃなくて「ウウス」と何回も直されて、何回も言い直しさせられて、しまいに二人で大笑い!「日本人はできないからね。」と。(笑)ガラロンだって、日本人はアルコロンって言ったし、カヤンゲルもホントはンゲアングルなんだよ、と。あ~、パラオ語の発音、難しすぎる~!!カタカナの限界。

最高峰から

2020-11-15 22:34:57 | 今日の出来事

長くパラオに住んでいながら、山登りをしてみようという気持ちには一度もならなかった。と言うのもパラオには山というような山がないから。それがひょんなことから登ってみようではないか、ということになった。パラオ最高峰 Ngerchelchuus。本島、バベルダオブ島のガラスマオ州にある、パラオ語の発音だとゲルエルウース山。なんと標高242m。仙台市民におっぱい山として親しまれる太白山でも320mある。それはさておき、なんで登ってみたかったかというと、以前、一度記事にも書いたことがあるが、アニメ「斉木楠雄のΨ難」の楠雄君が日本の自宅から瞬間移動した場所だったからである。楠雄君がパラオに来たのだ!その場所にいつか行きたいと思っていたらそのチャンスが訪れた。登山口は結構わかりやすい。車を停めて緑と赤土のコントラストの道を登る。道はよく整備され、道沿いに間隔を開けて電柱が立ち並ぶ。この山の頂きに電波塔が立つためだ。最高峰への登山の雰囲気が削がれるけど、しょうがないよね。ゆるやかで開けた坂道は太白山ほどの急斜面も危険な岩場もなく、ちょっとした散歩程度のハイキング、小一時間ほどで頂上へ。そこは楠雄君がワープしたとされるパラオの奥地、うっそうとしたジャングルと神秘的な滝、的な場所とはちょっと違う、かなりオープンな見晴らしのいい場所。しかし、242mと言えどもさすが最高峰、バベルダオブ島をぐるりと360度見渡すことができる。絶景だ。気持ちいい~!!写真は頂上から南側を写したもの。アルモノグイの集落、その向こうはガッパン、ゲルマドゥ湾が見える。その先はたぶんコロールだ。ヒュ〜。すごい。昔はこの海の方をカヌーで行き来したのだ。北を向けば本島の北端、ガラロンまで見える。なるほどねえ。
隣のアルモノグイ州にパラオで2番目に高い、エッティルウイル(Etiruir:212m)とそれと双子の山と言われている、ゲルワー(Ngeruach:196m)という山がある。やはり太白山と同じように地元の人はおっぱいと呼んでいるらしい。どこでも同じなんだな~。ちなみに「おっぱい」はパラオ語になっていて、赤ちゃんにあげるミルクも「おっぱい」だ。実際アルモノグイにエッティルウイルとゲルワーという男の子の双子がいるよと、アルモノグイの人が教えてくれた。いつかその二つの山にも登ってみたいんだけど、と聞くと、たぶん道がないからなあ、若い男の子なら藪をこぎながら行けるけど、あんたじゃなあ、、と暗に「ムリ」と言われた。いつか若い男の子をリクルートして行ってみるか!パラオの登山、楽しい!

過去の記事:「斉木楠雄の逃避先」

風鈴仏桑華

2020-11-13 22:32:25 | 植物

テニスコートでラップトップを開いていると、後ろから画面を覗いたパラオ人コーチが「I like your ブッソーゲ!」と言った。スクリーンの壁紙がハイビスカスの写真だったから。最初のブと最後のゲにストレスを置いた典型的なパラオ語のアクセントでパラオ人はハイビスカスをブッソーゲと言う。仏桑華だ。パラオに何種類の仏桑華があるか知らないが、これは細かく複雑な切れ込みが入った花びらがくるりと丸く反って、どこに隠れていたかと思うほどの長いシベが真下に垂れる、その様相から風鈴仏桑華と呼ばれるもの。華やかで可憐なハイビスカス。

ペリリューへ

2020-11-06 22:17:45 | パラオ文化

「明日はペリリューが沈むよ。」とパラオ人が言うのは、パラオの第6代大統領、クニオ・ナカムラ氏の国葬が彼の出身地ペリリュー島で行われるから。政府の船が用意され、参列希望者は朝8:30にマラカルのフィッシャリーからピストン輸送してもらえるとのこと。用意される船は30艘とか、弁当は1500人分とか、パラオの葬式には欠かせない豚はなんと13頭が料理されるらしい、等の情報が飛び交い、大きなお葬式になることは間違いなかった。押し寄せる大勢の人の重さで島が沈むという意味だ。朝早くにコロールの国立病院の霊安所からご遺体が搬出され、船に乗ってペリリューへ。それを追い掛けるように参列者の船が次々とペリリューへ向かった。雨続きで心配された天気も大丈夫そう。海も信じられないほど静かだ。見慣れたロックアイランドが浮かぶ美しい海が、今日はなんだか違って見える。ご本人の遺志で葬儀はペリリューでとのこと。ペリリューに帰れることを喜んでいらっしゃるだろうか。1943年の戦中生まれ。お父さんが日本の三重県のご出身、お母さんはペリリューの方だった。故郷ペリリューは日米の激戦地となり跡形もなく焼き尽くされた。戦後の幼少期を日本で過ごされているが、戦後の日本も大変な状態ではあったろう。クニオ氏が大統領になったのは1993年。その翌年、1994年にパラオは長年の切望、アメリカの信託統治の終了、すなわち独立、及び国際連合への加盟を果たした。生まれたて新しい国家の大統領として2期8年を務められた。享年76歳と、亡くなるにはまだお若い気がするが、祖国パラオのために尽くされた立派な一生であったと思う。日系の大統領らしく、「サムライスピリット」ということをよく口にされていたらしい。弔辞を述べてくださる方々はほぼパラオ語だったが、ところどころ、頻繁に「サムライスピリット」という言葉が出てくる。この日、葬儀のために揃えた中村家一族のTシャツの胸にもサムライのロゴが、クニオ氏の棺の上にも刀の印が彫り込まれていた。覚悟を持って戦った人は、ペリリュー州最大の敬意を以って公の土地に埋葬され、彼の兄であり、パラオの初代最高裁判所長官を務めたマモル・ナカムラ氏の隣に眠った。ご冥福をお祈り致します。

パラオなまり

2020-11-01 22:55:30 | パラオ文化

雨だけどなあ。洗車するのかな。テニスキッズに頼まれて洗車券を買った。1台5ドル。いいよ。じゃあ、夫の分と2台分ね。日曜日に学校の前で洗車してるから来てね、と言われていた。学校の寄付集めで時々子供達が洗車しているのを見かけるが、今回は事前にチケットを購入するというスタイルだった。こんな雨の日はどうなるんだろう。テキストで確認すると雨でもやっているという。そうか。子供達が頑張ってやっているなら行こうか。行くと知ってる顔が何人か。嬉しそうに、こっちだよ、と誘導してくれる。みんなずぶ濡れで裸足で泡だらけ。以前テニスに来ていた女の子がすっかりお姉さんになって同級生の男の子に指示しながらテキパキと働いている。「チケットある?雨だから車に乗って待ってていいよ。」と言った言葉に、あれ?と思った。なんかパラオなまり。以前はそうじゃなかったのに。パラオの公用語はパラオ語と英語だけれど、私達外国人に対しては皆英語で話してくれる。英語も色々あるが、この学校は先生がほとんどアメリカから来ているから子供達も割とアメリカ的な英語を話す。彼女も前はそんな感じだったはず。それがなぜに今になって。でもそのパラオなまりの英語がやけにかっこよく聞こえた。ちょっとワイルドでなんだか大人っぽい。本物のパラオ人って感じ。自分の中学の頃を思い出した。一時、どれだけ純粋な方言を操れるかが価値であることがあった。おじいさんやおばあさんと同居している人がアドバンテージだった。まるでおじいさんがしゃべるようにしゃべると、おお!ってなった。超かっこいいのである。それと同じ感覚なのかどうかはわからないけれど、彼女のパラオ語なまりの英語は確かにクールだった。そんなことを考えているうちに男の子たちは泡のついたスポンジを持ってひょひょいっと屋根の上に登り、前も後ろも右も左も5、6人で一斉にゴシゴシ、最後は高圧洗浄機であっという間にきれいに洗ってくれた。はーい、スーラン、ありがとね~。寄付金は学校のアルバムづくりの資金になるんだそう。働いて寄付をもらうのはいいね、えらいです。
※写真は学校ではありません。スランゲルの作業場及び、建設資材置き場。