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スピリチュアルな体験談

自分で体験した事を書いていきます。不思議な出来事など。
軽口だけれど自然に対しては敬虔な気持ちでいます。

あずかりさん

2010年05月13日 | インチョの酒
さっそく 初めての預かりさん。19日から。
ミニチュアダックス君らしい。 写真も送っていただき、とっても可愛い。
日曜に施設から引き出すというので、その後からのあずかりになるのだけれど

少し緊張します。自分の家にずっといることにはならないであろう子ですし
経緯がどうだったのか。可愛がられていたのか。育児放棄のような状態だったのか
いじめられていたのか。。。

飼い主さんがどうしても止むを得ずな状況であれば、100歩譲って
仕方が無かったんだろうと思えるのだけれど、(飼い主さんが亡くなったとか

理由はどうあれ、施設に居るということは、とにかく人間から一度放棄されたということ。

うちの犬も一緒にいるとべったりくっついて離れないくらい甘えてくるので
おそらく その甘え、信頼をカンペキに断ち切って 捨てたということ。
今も寝転んでいる私の足にくっついてあくびをしている。プチヨーゼフの様w
こういう姿があったのだろうか。。。

犬を捨てるという気持ちは。。。今は理解できない。 いつかわかる日がくるのだろうか。

事情があったとして、、、、その子が死んでもいいって思うのだろうか。

人間の生活の方が優先なんだから仕方がないじゃない。って言う前に
その子を家に迎え入れる前にもっとよく検討しなかったのだろうか。自分たちの移動とか
生活環境の様子とか。 

エサを買いにペットショップに行くと(最近は可哀想で見れない。
可愛らしい子犬、中にはまだお母さんから離されて間もないような子がいっぱいいて
みんなガラス越しに「カワイー。飼って=」って言葉が飛び交っている。

ショップで、屋根付きのプラスチック製の犬小屋の周囲で
子供がスニーカーでその屋根を叩いていて、案の定 バキっと割れた。
親はエグザイルかヤンキー上がりみたいな格好の両親。そして母親が
「モノは壊れるから~」とか言ってる。子供に謝らせようとも自分が謝ろうともしない。
子供はいつもの事らしく下を向いて演技している。
それがバレバレなくらいの酷い演技。僕は神妙にしています。的な。

そして結局3万円くらいするその展示商品は壊されたまま その家族は弁償もせずに
かえっていった。「またきます~」とか言って。
店のお姉さんは ずっと顔引きつっていた。


その隣では これまた20代ラッパーみたいな両親と虎柄、豹柄の服の小さい娘。
犬を飼おうとしているのだけれど、子供が犬のガラスを手で思い切り叩きながら
往復している。
それに飽きると 地面を転がって人にぶつかっている。
またガラスを叩きに行く。
その姿をみても「◎◎こっちこい~」としか言わない親。

ココは混沌かと思うような嫌な日だった。

そういう人たちが、果たして 犬の命を預かることになるのだと真剣に飼うのだろうか。
お金出すんだからいいでしょ?って おもちゃでも買うような感覚なのだろうか。。。

そういう人たちが、一度飼った犬を 「大きくなったから」とか
「世話が面倒」とか 果ては「うんこするから」とか そういう理由で捨てたり、
育児放棄したり、狭いケージに閉じ込め続けたり
中には お小遣い稼ぎのつもりで メス犬オス犬を飼って、乱繁殖させたりしている。

心が痛まないのだろうか。 痛まないんだろうな。
犬も心があって、考えがあって生きているんだなんて 理解しようとおもわないんだろう。

いやなことだって、きらいなことだってある。最初だからわからなくて受け入れないことも
ある。けど、口に出して言えない。

せめて 命がある子なんだという意識は飼い主として持っていて欲しい。
もしそれを面倒くさいと思うなら 最初から手を出さないで欲しい。。。















やる気を削ぐ人

2010年05月13日 | インチョの酒
もうこの年になると、周囲のネガティブだと思うような声には
あまり反応しなくなりましたが、(もともと我が道行く変人だし。

何か新しいことをしようとするたびに
心配の声というより 足を引っ張り、阻止しようとする癖のある人たちが居ます。
これはもう 性格なんだろうと思って、なるたけその話題では近寄らない。

そして、その人たちの言葉がそのとおりだったかというと
真反対。 やってよかったことばかり。

もともと楽天的な性格だからか、やってよかったとか、失敗したけど後悔ナシとか
清清しい気持ちで受け止められている。今のところ。
失敗しても 「自分がやりたかったことだから」と一発で納得できる。精神衛生上良い。

何事も(いいこともわるいことも)トコトンまで行けば シュっと止めると
両親は知っているので、うるさい事も言わない。
逆にトコトンまで行かないと止めないとも知っているw。

カキにはまったとき、毎日生食用のカキを狂ったように食べ、
ある日 ゲ◎吐いて、 お腹が痛くなって 一切止めたり。(今でも当たる
海老の鬼がら焼きを食べ続け、 ゲ◎吐いて一切止めるとか
パチも大学時代はまっていたが、ある瞬間から 一切やらなくなった(もう10年はしていないし、今は全く興味がない。

やるかやらないかが極端すぎるねえ・と親は笑っている。


小さい頃の記憶として
私は両親共働きだったので保育園に居て、当時の保育園は幼稚園と違って
勉強とかしないでとりあえず保護してもらっているような場所だった。
うちの両親は早くから教育することを考えていたので(お受験ママの走り?
幼児教室に通っていた。とはいえ、ゆるーいクラスだったので楽しかった。

「いしゃかはいしゃかべんごしになりまちゅ」 嫌な子供だww
でもそれを言うのが面白いということで親も面白がって言わせていたら
自分もその気になって 実現したというオチ。

言ってみるもんだ と 言霊の威力に感謝する。

小学校受験させるために小さい頃から塾にかよわせて!と園のセンセイや
反対する親御さんが殆どだったらしく、ましてや保育園の子には必要ないとまで言われた。

けど、うちの母さんも楽天的な人なので、我関せず。私に「やりたい?」と
聞いて、「うん」と言ったから。と言って 通わせてくれていた。(うんと言った記憶ナシ
嫌だとなるとテコでも動かない頑固さをすでに親は知っていたw・

今でもそうだが、両親は強制したり、自分が出来ないことを子供におっかぶせようとは
一切しなかった。ただ、私がやってみたいということには協力してくれる人たちだった。
感謝。
そしてその流れで小学校受験し、保育園始まって以来の初めての受験合格者として
後続の父兄に 色々と質問される立場になった。園も、うるさくはいわなくなったらしい。

そこでもどんな事にでも反対したり、無理だよといい続ける人たちがいるんだなと
小さいながらに感じていた。まだ5~6歳か。通い始めたのが3歳くらいだから
そんな時でも周囲をみていたのだ。子供に自覚がないという人もいるが、
そうでもないらしい。

そして、無理だということ、大小に関わらずやってきたおかげで今の自分がある。
@貧乏人の子は歯医者になれない。(親がミラクルにバブルを利用して乗り切った
@女医は開業できない(同級生のなかでは女子では一番早いくらいに開業した
@親の資産がないと開業は無理。(そんなことなかった。
@開業できても借金は完済できない(終了した

裏では@親が相当な資産家だ とか @大金持ちの愛人がいるらしいとか
そういううわさをされるらしいくらいに 
女医は自力では開業出来ないんだというイメージがあるらしい。

銀行もお金を貸すとき、男性の医師なら14年のところ、
7年で返済するのが条件だと行ってきた。早く危険なところからは回収したかったんだろう

しかし、あっという間に時間は流れ、7年が自動的に終わり、
ある日銀行からの封書。 7年前交わした契約書の下に「債務は消えました」 それだけ。
気が抜けた。それだけか・と。


最中は大変だったけれど、今になればダラダラと返しているよりよかったかもとおもう。

親には何かの時の援護射撃を要請していたが、なんとか 使わずに済んだし。
運がよかった。と思う。
しかしそれは自分でつかみに行ったとも思っている。

常々 あの時、無理だといわれ続けた事に 反対のことばかりしてきたから
逆に今の状態を享受している。

あの時、周囲の声に反応しすぎていたら、おそらく
歯医者にもならず、自分の医院も持たず、
他の人たちと一緒に 何も行動せず、何も得られず、その結果
全て周囲のせいだとでも言うような人間になっていたかもしれない。

その時に一番感謝するのは

両親がそこそこの距離感を保って、見守ってくれているという安心感だと思う。

「やってごらん」 いつも両親は 私が選択に迷うと やるほうを押してくれる。

父「泥舟に乗った気持ちでいなよ」 私「どろぶねじゃダメじゃん!」っていう
やり取りがいつものスタイル。

不利な、無謀な状態でもある程度の計算の上で提案しているということを理解してくれている。
父も「お前はやらせるとやるから育ててて面白かった」と言う。
きっと育成ゲーム感覚だったんだろうと思う。生身の人間でww凄い遊びだ。

ペネロピという映画を見た。クリスティーナリッチの。いい映画だと思う。
ブタの鼻を持った大金持ちの娘が、ブタ鼻の呪いを解くにはということで進んでいく
ストーリー。
しかし 結局 自分の選択をした時点で 解けるし(ネタバレ
一番の呪いは 母親からの娘を心配しすぎて過剰な抑制だったというオチ。
{あなたは◎◎だからダメ。そんなことしちゃダメ 表に出ちゃダメ}

凄く良く簡潔にできた話だと思う。

それに、スピの相談でも この 親を含め周囲のネガティブな呪文による洗脳により
悩む人が多い。

できないわよ。 無理よ。 アナタには向いていない。

女の子だと もっと、@アナタは体が弱いんだから
@女の子らしくしないと結婚相手がみつからないわよ
@アナタは自立できないんだから 金持ちの相手みつけなさい。
@一生自立なんて できないわよ!

こんな呪いの呪文だらけ・子供のためを思っているかのようでいて
可能性の種をことごとくつぶしているか、まっすぐに伸びようとする茎を曲げてしまう。

うちの母さんは 「アナタは元気だからね~」とか
「言い出したら最期までやっちゃうから」とか 別の呪文を使っていたようで

特に大病もなく、元気だけがとりえ。


この呪文を解けるのは 自らの経験による成功体験のみだと強く思う。
それは 自分で選択し、考え 行動し、それの結果をちゃんと受け止めること。

自分の人生は誰も面倒みてくれない。 親ですら先に逝くであろう。

そんな時、周囲の(無責任な)反対により中止してきたことを
自分の死に際に「やればよかった・・・」と後悔するひとも多い。(幽霊曰く

だからこそ、やる後悔とやらない後悔を 良く考え、
周囲のネガティブな声は (この人たちは反対しても結果の責任とるわけじゃないし
とでも思っていればいいと思う。

「やってごらん」 

たったこれだけの言葉だけれど言葉としては
これ以上に自分も覚悟しているよ・何かあったら補助するよという力強いメッセージを
含んでいる言葉はないと思う。
言う側にも自信がないとそうそう ポンと出せる言葉ではないと思う。

父は自分でそれをやってきたという良いお手本でもあるので 
「口ばっかりだな。」とは全く思わない。口だけの人の言葉は信用しない。

だからこそ、無計画にはしないようにしようという責任感も強く思うし、
期待にこたえたいという気持ちも生まれる。

やってごらん。

こういえる おとなになりたい。










賢さ

2010年05月13日 | インチョの酒
歯医者になって、その業界の人たちとお付き合いがあると、
ホントウの意味での賢さがある人とお勉強ができる賢さと違うと
つくづく感じる時がある。

医者歯医者の世界の人は スピ的にいうと気づいてか気づかずか やはり
「人を助けるために生まれる事を選んできている」というエッセンスを
持っているので、それなりに強運の持ち主も沢山居る。恵まれていたり。
おそらく ボーナスポイントなんだと思う。

自分の努力しだいではどうにもならない事(学費とか少なくとも6年は学生身分を許してもらえる環境かとか   も多いので、こればかりはその道になるようになっているのかなと
ふと思う時がある。

要領のよさ、賢さ、として言えば 頭の回転が速い人も多いのだけれど、
そればかりではない 気遣いの瞬時の判断などは おろそかになってしまう人も多い。
ノホホンと生きている、ゆとり状態では細胞が死んでいくかんじだ。

学校の勉強の部分ではない 学歴ではない 賢さ、回転の速さ、行動の瞬発力や 物事を
俯瞰にとらえて判断する状況判断の早さ、理解力の速さ
などが本来生き抜くことには必要だということが 最近は認知されてきている。

スクールの学生さんはモチロンモトモトの頭も賢いのだろうけれど、
こういう理解力、判断力は 目を見張るものがある。

歯科のセミナーでは、散々講師の先生が手取り足取り教えてくれた内容を
一切無視するかのごとく 質問といいながら持論をぶつけ続ける人もすくなくなく、
そういう度に、「この人は質問することに意義を感じているんだろうか」と
魂が抜け続けるようになることもしばしば。

実習でも、キラリと光る質問というより、
そんな超特別な状況を想定しすぎて重箱の隅つつくような事言わなくてもさ~と
いう質問を延々 聞いていたりする。

解らないことを質問をするというのは良いことだけれど
聞くまえに理解しようと努めようよと 思う場面だらけだった。

が、今、とにかく回転の速い人ばかりの世界にはいるので
ついていくのに やっとのアップアップですが、
変なストレスは 少ないかもしれない。

学歴で言えば 私の持っているメッキのメダルは中では高いと思うけど
彼らの中に入ると 人間の脳の賢さでいえば 私はドベだとつくづく感じる。

実は私が グデグデしていて 皆にストレス与えてるかも!

ごめんね。。。オバチャン・ガンバリマス。

脳トレ

2010年05月13日 | インチョの酒
余暇の楽しみとして通い始めたスクール。
余暇のたのしみとして。。。タノシミとして。。。

ぐわあ。脳の血管が切れそう。

配当計算に苦しんでいます。
もうここ数年計算は電卓。字を書くのはパソコンな生活だったので
暗算は危ういし、漢字も危うい。

35×19+17×5+8×12とか 平気で出てくる。それを瞬時に配当つける。
枚数が3桁は当たり前。3桁同士の足し算とか。。。
それもフラッシュカードのように瞬時に計算しないとゲーム進行に差し障る。
そろばんやっておけばよかったなあ。。としみじみ思う。(涙

授業の最後は イチ抜け方式でした。答えられないと帰れない。
センセイも大変だ=。それにさすが講師の先生は早い!
適当にチップを置いているように思うけれど 確実に計算している。

終わりくらいになると集中力が切れ始め、脳がイヤイヤをし始める。
もう足し算掛け算はしたくないよう。と駄々こね始める。

これはもう爪楊枝を投げて瞬時に本数を数える雨男にはかなわないなと思う。

いつも治療とは違う種類の脳の位置や、極限の集中力を使うので
疲労感はあるけれど 心地よい。楽しい。
思い切って通ってよかったと思っている。

子供の頃、沢山の習い事をしたけれど、今回ほど楽しいと思って通っているものは
残念ながら無く、やらされている感が強かっただけだった。
自覚を持ってやりたいことを求めて行く事の楽しさをあらためて感じている。

スポーツ選手が自分の競技を「楽しいから続けてこれた」と言っているのを聞いて、
いまいちピンと来たことがなかったが、ようやくわかりかけてきている。

スポーツの後のような感じ。メリメリと脳が動き始めるイメージ。
それぞれの部分がまだリンクしていないけれど触手を伸ばし始めているというのは
実感する。

チップの積み方によっての計算などパズル的な要素が大きい。

スピにも通じることなのだけれど、私の場合  脳の中で空間が広がっていて、
そこに画像として出てくるので、絵で覚えるような感じ。

スピでも 質問を受けて こちらが問うと、その空間の中にイメージが出てきて
それを読み解いていく。肉眼とは違う目で見ている。
目を見開いていても 視点は その空間を見ている。

パソコンのウインドウと同じような感じとでもいうのだろうか。

それぞれが さらにリンクし始めると もっと記憶の引き出しや
感覚が強化されて 数年経っても生々しく覚えているようになる。

この感覚が楽しい。

この楽しさが果たして最期まで続くのか。それとも途中でくたびれてしまうのか解らないけど

カジノ英会話の授業やホスピタリティーの授業などもあり、
技術だけでなく、オールマイティに行動できることを身につけられるので、
とってもお得なカジノスクールだと強く思います。

カジノは世界各国からの人を相手にする仕事だから、
歯医者の1対1的な世界とはガラッと雰囲気が変わるけれど、 
全く違う世界にも共通して必要なことは含まれていたりするし、

今まで 赤の世界しか知らなかったのが、青の世界も垣間見てきているようで、
タノシミです。