仏像作って魂入れず(?)
盗まれた事自体を悲しむこともない。
盗みを働いてまでも自己所有したいという強烈な欲を持つ人間がいるということに恐怖と悲しみをもつがいい
ショックや怒りもあるだろう。
今まで、自分たちの周囲にそういう行為を数百年する輩が居なかったという事を誇りに思っても良いと思う。
居なかったからこそ、皆で愛でることができたのだから。
文化は一日にして作ることはできない。何もない日常の延長が文化だ。
日本人の誇れることは、何もない日常を送りつつ、向上してきたことだ。
人間の心は何もしないと堕落する
その堕落、自分さえよければ何しても良いという現世利益のみを追及する人間達の
絶対数がすくなかったからこそ、古いものを大切にし、文化財として作り上げたのだ。
2013年制作のものも、2613年には文化財になるかもしれない。
そこには製作者の一生懸命 真摯な職人としての作品が
その作品を愛する多数の人々の間で受け継がれ、そして骨董品、文化財になる。
骨董の世界も イメージの世界。
そのイメージを膨らませることができない輩は 形だけのステータス・証拠品を欲しがる。
文化財という形だけのものを得たとして、そこには仏像彫って魂入れずの物質でしか存在できない。
ましてや、どこでどう保存し、愛で育てるという行為を行っていないものは
消えていく運命になってしまう。どれだけ素晴らしいものなのか 価値というイメージを
金額の高低ではなく、人の歴史、努力、精進というものに置き換えられない者達には猫に小判。
盗んだ人たちには物品を ”作り上げ、継承し 育て上げる”というノウハウが無い。
金、権力という現世利益のみだ。心を育てるという 本質が抜け去って存在する物品に価値はない。
そういう人間達とどう向き合うかを考えた方が良い。反面教師にするもよし。
人間の欲というものを理解する上での例題とするもよし
返して!返さない!という問答が成り立たない今、
残念だし、ショック(そういう不届きものが存在するという事実に対して)があるが、
日本には 文化を育てて向上し極めて行くという 心の技術がある。ノウハウがある。
愛で、保存し、継承するという 心 が 一番の日本の文化財なのだと思う。
偶像崇拝、または 金銭のみが心の拠り所としてしか存在できない人たちがいるのだ。
だからと言って 盗んでいいというわけではないし、
やはりそこで 因果を作り出してしまった輩の 結果を受け取ることが起きるのはこれからだ。。