マンタマンタに告ぐ

映画・政治経済・日常生活などの観察日記。

超短編小説「その男黙秘なり」

2008-07-26 07:09:38 | Weblog

東京駅。

男性Aが、ホームで逮捕された。見た目は、50代後半か。泥酔した男性Bに言いがかりをつけられ、カットなってケンカをしてはホームに突き落としたようだ。

幸いにも、電車に引かれることなく事なきを得た。だが、重傷だ。男性Aはその後、駅員に取り押さえられてしまった。反省の色はなし。

警視庁、C警察署。

警部Dは、テレビのニュース番組を視ていた。名古屋市で、介護疲れから起きた殺人事件が報道されている。罪名、殺人罪。

被害者は、認知症の母親。犯人は、60代の独身の息子だ。病院からは、退院を促された。介護施設は閉鎖。訪問介護事業も閉鎖された。

行く場所がない。頼れる人はいない。自宅での介護は限界だ、もう疲れた。結果、殺意に至った。

警部Dは、妻に任せて、実の父親を介護している。他人事とは、思えなかった。

警部Dは、男性Aを取り調べた。男性Aは、一切口を開かなかった。かたくなに、黙秘を続けている。

住所不明。氏名も名乗らない。国選弁護人にも、何も語らなかった。どうやら、借金苦で、夜逃げ同然に東京へと逃げてきたと、推測された。男性Aの経歴は、全く分からない。

検察官は、事実行為だけで起訴に踏み切った。氏名も住所も、必要ない。判決は、「禁固6カ月」だ。

男性Aは、刑務所に送られた。そこでも男性Aは、誰とも会話をしなかった。そして6カ月後、出所した。
○ ○

名古屋市千種区。男性Aは、ある一軒家を訪れた。ドアを開けた。熱波が、押し寄せた。

郵便受けには、電気、ガス、水道、年金保険、新聞、チラシなどが入っていた。あふれている、入りきれていない。

異臭が発する。糞尿の臭いだ。かび臭い。そして何よりも、死臭を感じた。今までに嗅いだことのない、悪臭だ。

ベッドには、老女(81)の遺体があった。ガラガラに痩せている。

寝たきりのまま、水も食事も与えられることなく、餓死したようだ。5カ月ほど前に、亡くなったらしい。

男性A(59)は、泣き崩れた。「母さん、ごめんなさい…」。言葉を発した。老女は、実の母親だった。男性Aは、「保護責任者遺棄罪」で逮捕された。

判決が下された。懲役1年、執行猶予3年。「殺人罪」の適用は、まぬかれた。

男性Aは、裁判官の前で「フフ」っと、不敵な笑みを見せるのであった。