静岡鉄道・新静岡ターミナル跡地(鷹匠一丁目1番)については
9月18日のブログに記事にしましたが
その時点で建物がほぼ撤去されていました。
上からみたらどんな具合だろうかと
あらためて県庁別館展望室から見てみました。
↓ほぼ更地の新静岡ターミナル跡地
〔右手の高いビルは“メガネトップ(眼鏡市場)本社”、中央は八幡山〕



今回は、あおい君役をベテラン俳優にお願いしました。
本物はもう少し若いです。(笑)
▽建物裏側から
あおい君「取り壊しの工事は順調に進んでいますか?」
警備員氏「もう建物の表側の外構の一部しか残っていませんよ」
警備員氏「電車のホーム沿いにあった駐車場棟なんて跡形もないんですよ」
あおい君「フム、フム」
▽建物横側から(伝馬町サンローゼビルから)
▽バスターミナル撤去後、バスの反転・待機に使われていた場所(鷹匠第一踏切前の鷹匠一丁目14番街区)が
塀で囲われていて現在は反転・待機場所としては使われていませんでした。
↑ 静岡県情報の人気ランキング
▽ 静岡鉄道・新静岡駅の地下改札口が3月末で閉鎖された。
(ペガサートビルとの地下通路も同時に閉鎖された。)
アクセスは地上に変更され
ホームから直接出る改札口が設置された。
今までのバス通路に
解体されるビルとの間に塀を設置のうえ
駅舎までの誘導路がつくられたが
今後の工事の進展によっては経路がたびたび変更されるのかもしれない。
▽ 通路を順路にしたがって進むと仮の新静岡駅に達する。
(終電後、地下改札の自動改札機を移設したようである。)
地下鉄並みの頻発運行を誇る静鉄電車のターミナルではあるが
このたたずまいは、自動改札であることを除くとローカル線の駅舎のようではある。
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▽鉄道駅(静岡・清水線)は変更なく、改札口のみ地階から地上部に変更される。
▽新静岡駅周辺には北街道方面など一部の路線のみ周辺に仮停留所が設けられる。
(ほとんどの路線は乗り入れ中止となるようだ。)


▽静岡駅前乗り場も同時に変更される。
(新静岡バスターミナル完成までの暫定だと思われる。)
目立つところは
・登呂遺跡、久能山下方面は北口から南口(22番)へ変更。
・今まで、静岡駅前に乗り入れていなかった駿府ライナー(新静岡・新宿)もエクセルワードビル前(19番)に停車する。
(なお、駿府ライナーは現在の7往復から11往復に増便される。)
※いずれにしても5年前から工事が始まった静岡駅前、いつまでたってもせいせいしないようだ。





▽新静岡駅周辺には北街道方面など一部の路線のみ周辺に仮停留所が設けられる。
(ほとんどの路線は乗り入れ中止となるようだ。)


▽静岡駅前乗り場も同時に変更される。
(新静岡バスターミナル完成までの暫定だと思われる。)
目立つところは
・登呂遺跡、久能山下方面は北口から南口(22番)へ変更。
・今まで、静岡駅前に乗り入れていなかった駿府ライナー(新静岡・新宿)もエクセルワードビル前(19番)に停車する。
(なお、駿府ライナーは現在の7往復から11往復に増便される。)
※いずれにしても5年前から工事が始まった静岡駅前、いつまでたってもせいせいしないようだ。




▽午後3時から南口プラザで閉店のイベントが行われた。
( さよならではなく「また、お会いしましょう」 )

▽午後6時、蛍のひかりの大きな斉唱と拍手に送られていよいよ閉店。
現場に行ったのが遅く、人垣で正面(反対側)からはとても撮れませんでした。(笑)

「新静岡センター」が
電車とバスのターミナルである鷹匠町一丁目71番地
(現在は住居表示で鷹匠一丁目1番1号)に
開店したのは1966(S41)年5月15日でした。
当日はあいにくの雨天にもかかわらず
15万人の入店者でごったがえしたということです。
この数字は、大都市ではさしてめずらしくもないのでしょうが
当時の静岡市の人口は37万人ほどで
単純計算でいうと市民の4割が来店したことになる驚異的な数字です。
当時は、行け行けどんどんの高度成長期の真っただ中で
開店からわずか4年後の1970年に裏側の民有地を買収し
売場面積が開店当初の約2倍に増築増床されました。
(特に地階部分はバスターミナル直下にも拡大されたため、大幅増床となった。)
閉店時の建物の姿は、ほぼそのとき完成されたと言えます。
なお、同時にバスターミナルも、バスの流れをスムーズにさせるために
建物と平行に配置されていた島ホーム(現中ホーム)を縦に改め、
面積も大幅に拡大されました。
市民からは単に「センター」とよばれている「新静岡センター」ですが
この「新静岡センター」というネーミングは公募で決められました。
今となってはやや垢ぬけしない名前ですが
メルサとかサンプラザといった愛称が施設に付けられるようになる、はるか以前のことで
当時は横文字が入っているだけでモダンな感じだったのでしょう。
ちなみに、ほぼ同時期に開店した県内の同種の施設では
「富士急名店会館」「遠鉄名店ビル」といったネーミングで
やはり時代を感じさせます。
その「センター」が42年たち
建て替えのため1月31日でいったん閉店しました。
最終日は開店の日にも劣らぬと思われるほどの人出で
地階の食品売り場ではお昼過ぎの時点で多くが完売状態
書店では本は定価販売なのにレジに長蛇の列でした。
建て替えのためとはいえ、
そこにあることが当り前になっていたものがなくなってしまうことは
やはりさびしいものです。
2011年秋には新しい施設となって
我々を迎えてくれるということですから
楽しみに待つことにしましょう。
「Adieu」ではなく、「Au revoir センター」、「Auf Wiedersehen センター 」です。
▽北側の正面玄関

▽バスターミナル側から(向こうに見える右手のビルは県庁別館、その隣は東館)

▽県庁別館展望室からのセンター(最終日の撮影ではないですが)

▽秋から毎土・日曜ごとに行われていた閉店記念の行事
(閉店64日前のこの日は県立静岡E高校が出演)

( さよならではなく「また、お会いしましょう」 )

▽午後6時、蛍のひかりの大きな斉唱と拍手に送られていよいよ閉店。
現場に行ったのが遅く、人垣で正面(反対側)からはとても撮れませんでした。(笑)

「新静岡センター」が
電車とバスのターミナルである鷹匠町一丁目71番地
(現在は住居表示で鷹匠一丁目1番1号)に
開店したのは1966(S41)年5月15日でした。
当日はあいにくの雨天にもかかわらず
15万人の入店者でごったがえしたということです。
この数字は、大都市ではさしてめずらしくもないのでしょうが
当時の静岡市の人口は37万人ほどで
単純計算でいうと市民の4割が来店したことになる驚異的な数字です。
当時は、行け行けどんどんの高度成長期の真っただ中で
開店からわずか4年後の1970年に裏側の民有地を買収し
売場面積が開店当初の約2倍に増築増床されました。
(特に地階部分はバスターミナル直下にも拡大されたため、大幅増床となった。)
閉店時の建物の姿は、ほぼそのとき完成されたと言えます。
なお、同時にバスターミナルも、バスの流れをスムーズにさせるために
建物と平行に配置されていた島ホーム(現中ホーム)を縦に改め、
面積も大幅に拡大されました。
市民からは単に「センター」とよばれている「新静岡センター」ですが
この「新静岡センター」というネーミングは公募で決められました。
今となってはやや垢ぬけしない名前ですが
メルサとかサンプラザといった愛称が施設に付けられるようになる、はるか以前のことで
当時は横文字が入っているだけでモダンな感じだったのでしょう。
ちなみに、ほぼ同時期に開店した県内の同種の施設では
「富士急名店会館」「遠鉄名店ビル」といったネーミングで
やはり時代を感じさせます。
その「センター」が42年たち
建て替えのため1月31日でいったん閉店しました。
最終日は開店の日にも劣らぬと思われるほどの人出で
地階の食品売り場ではお昼過ぎの時点で多くが完売状態
書店では本は定価販売なのにレジに長蛇の列でした。
建て替えのためとはいえ、
そこにあることが当り前になっていたものがなくなってしまうことは
やはりさびしいものです。
2011年秋には新しい施設となって
我々を迎えてくれるということですから
楽しみに待つことにしましょう。
「Adieu」ではなく、「Au revoir センター」、「Auf Wiedersehen センター 」です。
▽北側の正面玄関

▽バスターミナル側から(向こうに見える右手のビルは県庁別館、その隣は東館)

▽県庁別館展望室からのセンター(最終日の撮影ではないですが)

▽秋から毎土・日曜ごとに行われていた閉店記念の行事
(閉店64日前のこの日は県立静岡E高校が出演)

