明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

比叡おろし 小室等

2018-02-21 16:59:24 | 僕の音楽日記
高校に入って S水君と友達になり
音楽の趣味もフォーク好きという事で意気投合。
彼の趣味は
小室等だった。

僕は吉田拓郎。
それまで、小室等さんを深く聴いてこなかった。

せいぜい
『雨が空から降れば』だった。
これも
吉田拓郎がアルバム
『ライブ'73』に中で歌われていたから
知っただけであって、
そもそも 聴こうとしなかった。


S水君の自宅に招かれ
彼の聴いてる小室等さんの曲を聴いたとき

正直
(趣味が違うなぁ〜〜)だった。

しかしながらも
相手を蔑むわけでもなく
拓郎の優位性 素晴らしさをひけらかし
自分の音楽の趣味嗜好性を戦わせるわけでもなく
ただ その場は受け入れる姿勢で
静かに 小室等さんの曲を何曲か
退屈な感情を見せないように
聴いていたのだった。

何曲かして
僕の耳に刺さったのは
「比叡おろし」だったのだ。

♪風はやまから 降りてくる
レタスのカゴを抱えて
唇はくびれていちご
遠い夜の街を超えてきたそうな
うちは
比叡おろしですねん
あんさんの胸を雪にしてしまいますねん


関西弁のなんとも怨念のこもった?
感情のこもった歌詞
にやられてしまったのだ。
小室等本人の作詞作曲ではない
松岡正剛さんの作品らしく
初めて開いた扉
カルチャーショックだった。

いわば 僕の中にはロックだった。
フォークのスピリットの中に
ロックを感じた。
小室等さん本人は明らかに日本のフォークの礎を築いた一人として
素晴らしい功績があり
ましてや
ロックって感じじゃないキャラクターでもあるが
この歌が持つスピリットは
ロックだった。

1979年発売のライブアルバム
小室等 東京23区コンサート 東京漂流記
では 東京在住の各区のシンガーたちを
訪れた区ごとに ゲストに迎え
その模様を音源とされたライブアルバムだ。
その中での拓郎との掛け合いの
「君と会ったからというもの僕は」
はもはや掛け合い漫才とそれだった。

そうしたライブアルバムにも
「比叡おろし」は入っている。


後年S水君は
小室等さんよろしく風貌も似てきて、なんとも学者的な仙人的な
そんな風貌で学校の先生になった。

奈良県の十津川村に赴任した事を聞いて
ずっとずっと以前彼の元に遊びに行ったものだ。

十津川村の夜空は綺麗だったなぁ〜〜

夢で逢えたら 吉岡聖恵 吉田美奈子

2018-02-21 13:02:37 | 僕の音楽日記
最近 有線を聴く機会がまた、やってきた。
しきりに耳にする懐かしい歌
『夢で逢えたら』である。
大瀧詠一さんの名曲。
数多くのアーティストがcoverしている
この名曲は、
もはや、J-POPのスタンダードであると
ともに、誰もがcoverしたくなるほどの
名曲になってしまった。

ふと、cover曲になりうる歌って…
思うに…
ひとつ、、、自分が歌って気持ちいい歌である事
ふたつ、、、聴き手にとっても聴いていて気持ちいい事。歌い手の独りよがりになってない事。
みつつ、、、本家やその歌の存在価値を超えそうで超えないところで止めておいて欲しいという事。

と僕は思う。

とても耳障りのいい
吉岡聖恵さんのボーカルが初々しく、
最初は誰だかわからなかった。

(いきものがかり)の活動が休止されてから
久しく歌声を耳にしてなかった最近まで、
伸びのあるミルキーボイスが初春の季節に心地よい。

さりとて、僕の妄想癖は
小学生からあって、
夜 寝る前に
布団に潜り込んで
誰々ちゃんとデートする夢を見ながら寝ようとか
有名人と一緒にいる夢を見ようだとか
自分にとっての都合のいい夢を見ながら
眠りについたものだ。

今尚 妄想癖は治らず
昼間でも
ボーッとしている時になんかも
所謂
よそ事を考えてしまう。
一瞬の永遠。
自分だけの世界。

妄想と願望の間に、
自分の身を置くことは
心地の良い事で

あの頃から
『夢で逢えたら』
を熱望して
歌を口ずさみながら
いた自分。

この歌が世の中に流れていたときは
まだ
吉田美奈子さんが歌っていた時だった。
あまりヒットはしなかったけど
後年
ラッツ&スターがcoverする事で
ヒットしたようで、
もう50人以上のアーティストがこの歌をcoverしているとか…

夢で もし 逢えたら
ステキな事ね
あなたに会えるまで
眠り続けたい〜〜


春までもうすぐ。
春眠
暁を覚えず。


遠い世界に 五つの赤い風船

2018-02-21 06:24:16 | 僕の音楽日記
中学の頃
音楽の教科書に載った

この歌は
いわゆるフォークの名曲だったことを
僕はまだ知らなかった。

ギターを、始める少し前
多分中学に入りたての夏前だったのか
音楽の授業での出来事。

若い女の先生が音楽の担当だった。

体育の教師とできてる

もっぱらの噂で
いわゆる
「ヒューヒュー! あついぜ!」ってやつで…
ほとんど音楽の授業にならない事が多かった。
女の音楽教師の話は聞かない。
冷やかす。
ピアノの伴奏にわざと音を外す。
など
男子はこぞってからかっていたのだ。

この音楽教師は合唱部の顧問もしていたから
クラスの一部の合唱部の者たちだけが
苦虫を噛みしめた顔をして
授業の成り行きを見ていた。

その日は合唱をする授業だった。
音楽の教科書を開くと
「遠い世界に」
があった。
まだ歌謡曲少年で
吉田拓郎が好きになってハマりかけていた少年だった僕は
フォークの大御所
五つの赤い風船
なんて
知らなかった。

しばし
教科書のページに釘付けとなる。
詩を読み返して
なにやら唱歌のような
NHK みんなのうた
で歌われるような歌だなぁ
と思いながら、
「ふぅ〜〜ん」って程度で
音楽の教師が弾きだすピアノの伴奏に
耳を傾けてていた。

その日の授業は合唱。
からかうのには
もってこいの授業内容。
確かこの歌を輪唱する内容だったと思う。
クラスの男子は面白がって
音を外すもの
奇声を出すもの
手拍子を打つもの

ほとんど授業の程をなしてなかった。
それほど僕らには音楽の授業が退屈だったのだ。

その日はまたいつもに増して
授業を受ける態度が悪かった僕らだった。
そんな状況で
音楽の女の教師は
ついに泣いてしまったのだ。
というより
僕らが
その教師を泣かせてしまったのだ。

授業が荒れる
というより僕らがからかっていた態度で
受けていた音楽の授業に対して
教師のとるべき態度は
怒るのだろうが、
なにぶん優しい 大人しい女の教師だったから
僕らはそこにつけ込み
からかっていたのだ

積もり積もったその事が
泣く
という行動となった。女の音楽教師。



怒る事ができなかったのか?
怒る事をしなかった女の音楽教師。


若い女の教師に年齢差を感じなかったところ、いわゆる
先生と生徒としての距離
尊敬の念がなかったのだろう、僕ら。

姉さん先生。
そんな言葉が
ピッタリだった。


僕らは甘えていたんだろうか?



音楽教師は
遠い世界に
の伴奏途中でピアノの鍵盤に顔を
埋めて 声を上げて泣き出した。

その光景は今でも忘れられない。
そして程なく
教室の前のドアから出て行ってしまった。

授業は止まり
僕らは取り残され

静寂な空間にいた。

誰かが、言った。

『あゝ 泣かしちゃった…』


後日 学年主任の先生から僕らのクラスは
こっ酷く絞られた。

その後 音楽の授業は
後にも先にも
荒れる事なく
淡々と行われる事となる。

遠い世界に…
この歌の持つ時代背景は混沌とした頃に出た歌だったのだから
その事が呼び戻されたように
音楽の授業に再現されたかのごとく
何故かしら優しい歌なのに
争い事 いさかいごと 騒がしい雰囲氣を呼び起こす嵐を巻き起こす歌のように
僕の中で思えてならないのだ。

何故僕たちは女の音楽教師を泣かせてしまったのか?
遠い世界に
を聞くたびに
ふっと
考えてしまう。