明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

雨やどり さだまさし

2018-02-23 20:22:48 | 僕の音楽日記
この歌がヒットして
よく耳にするようになってから
聴かず嫌いの僕の
さだまさし さん の認識が大きく変わった。
正直 いい歌だと思った。
見事だ!と思った。
それまでのイメージはどちらかと
いうと、暗い歌が多くて
小難しい詩の内容で、
感情が伝わってこない
もどかしさを感じていた。

この「雨やどり」は
さだまさしさん得意とする
私小説風の恋愛ソング。
なんとも微笑ましい光景と
クスッと笑えるコミカルなところが
昔のフォーク全盛の頃に相通ずる世界観
を醸し出していて、ヒットすべくして
ヒットした。

男目線で描いた女性像が主人公の歌なので
希望、願望がそこに込められているてらいはあるけれど、この歌の中の女性ほど
可愛らしい女性って…
いるのだろうか?と思うほど
なんとも歌の中の女性は素敵なのだ。

大幅な理想を描きつつ歌われている
「雨やどり」の世界に
聴くものにとってとても気持ちよくさせてくれる、爽やかな気持ちにさせてくれる
そんな歌だと思う。

本来聴くことのなかった
さだまさしさんの歌。
ヒットして否応が無しに耳にする機会が増えたことによって
対局に位置するさだまさしさんの存在する音楽に触れる事となった。
そうでも無ければ聴く事は
まず なかったのだ。

今聴いても 味のある歌だし、
色褪せない ある意味スタンダードに
なりうる曲なのだ。

狙って作られた歌 かのような感じがするほど
見事な出来な
「雨やどり」
僕のさだまさしさんの好きな歌の2番目になる歌だ。

1番は 「案山子」だけどね^_^

逆流 長渕剛

2018-02-23 13:55:48 | 僕の音楽日記
高校の時 長渕剛さんの曲をよく
聴いてたり
コピーしたり、
当時の音楽の流れはニューミュージック全盛で
あまりアコースティックサウンドは広がりを見せてなかった中

松山千春さんの台頭
があり
さだまさしさんの曲が売れ、露出が
増えていた時代。

懸命に
ひたむきに
見えない壁と
巨大なものに立ち向かい
戦いを挑んでいる様に
思えた
あの頃の長渕剛さんは
ホントにカッコよかった。
勿論今もカッコいいけれど、

がむしゃらなところと若さのもつ
パワーのあるところが凄く魅力的だった。

『逆流』
逆らって生きる事を選び
宣言する。
己の気高さとプライドをかけて
自分を見失うな!と鼓舞する。

そう決意の歌でもあるのだ。

高校2年の時
文化祭での出し物を見て
これくらいのレベルなら
自分だって出来る!
いや
自分の方が上だ!

変な自信があったところから
クラスのみんなに
宣言しちゃったのだ。
『俺!来年の文化祭に出るわ!こんなレベルなら俺の方が上だから』

自信はあった。
根拠の無い自信だった。

一人で大勢の前で歌った事なんてなかった。
友人とライブをしたりしてもせいぜい
20人くらいの前での事。
文化祭ともなると
全校生徒の前。
ほぼアウェイ状態だと
知るのは
その一年後 ステージの幕が上がって
から事の重大さを気づいたのだった。

程なく一年が経ち
高校3年に、
出ない選択肢もあったのだが、
どうしてもでないといけない理由が
僕にはあった。

高校3年になった春に
二年間片思いだった一個上の女性に想いを告げて付き合うことになるも
突然手紙でサヨナラを言われ
振られてしまったのだ。
突然嫌いになったわけじゃ
なかったのだけれど…
いわゆる 遠距離になってしまう事と僕がもう一年学生だったこと…

僕から離れていってしまった
彼女を思い、自分自身のケジメというか

彼女は見てないけれど
会場のどこかで彼女に聴かせたかった
のかもしれない
僕の出場の動機だった。

文化祭が始まり

僕の出場の順番はトリ前
高鳴る胸を抑える様に
胸ポケットに彼女の写真を忍ばせて
手のひらで 彼女の写真の上から胸の鼓動を抑えるように
そっと、胸に手を当てた。

(なんで、こんなところに出ようなんて思ったのかなぁ)とか
(出るんじゃなかった)とか
後悔の気持ちがどんどん湧き上がる中

館内アナウンスが僕の出場を告げる。

緞帳が下りたステージにギターと
ハーモニカをもって
弾き語り用にセッテングしてくれた
場所に着く。
文化祭の実行委員が
舞台袖で
合図を送る

それを見るか見ないかの
ところ
自分のタイミングでギターを弾き始めた。

打ち合わせどうり
イントロを弾きだすと同時に
緞帳はあがった。

何が何だかわからない。

間奏にハーモニカが入る
ドッと館内が
湧く!歓声があちこちから湧く。


無我夢中だった。

最後は声がひっくり返った。
笑ってごまかし
ご愛嬌となって
会場も盛り上がってウケた。

一生懸命歌った。

『逆流』
多くを敵に回してでも
自分は自分の道を行く
まさしくその歌を地でいった文化祭での
あの日の僕だった。