明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

始まりのサンセット 斉藤和義

2024-09-24 20:00:00 | 僕の音楽日記
もういつのまにか
風が秋の風
夕日が綺麗で 切なく見える秋

始まりのサンセット
やっと秋が始まった。
いらっしゃい秋

待ってたよ

久々に会えた旧友との時間
久しく会ってない時間を簡単に
埋め合わせてくれたのが
やはり音楽とエロい痴話話
なんの
力関係も立場もなく
フラットに話ができる
その瞬間が嬉しい。


秋の夕暮れは
なんともいえない気持ちになる

切ないような
色んなもので満たされたような
豊潤な気持ちになるような
夏の夕暮れとは格別に違う
秋の夕暮れ時

涼しい風がふき
どこからか夕飯の美味しい匂いがして
足早に家路を急ぐ人たちがいて

なにか
ほんわかした
ほっこりした
満たされた気持ちになる
秋の夕暮れ

さぁ
秋の

始まりのサンセット








差し色 Bialystocks (ビアリーストックス)

2024-09-21 23:04:00 | 僕の音楽日記
あれ?
小田さん?って感じで聞き耳をたてた
人多いと思うけど…
デビュー当時のオフコースのような
ハーモニーの綺麗さと正確さ

キリン生茶のCMで気になって調べた


この時点で
キリンのCMは大成功だと思う。

気になるものが
商品だけにとどまらず
タイアップ曲にも興味が湧いて
広がりをみせたら
もう
勝ったと同然。

キャッチーなものは
まず耳と目から
そして味にいく
食品のCMは
そのものに辿り着くまでに
興味をどんどん持たせながら
気にしてくれるような作り方
をしてくる

久々にCM曲で
「お!いいんじゃないか?」と思った

ビアリーストックス

ちょっと注目だね




秋の気配 オフコース

2024-09-17 19:02:00 | 僕の音楽日記
今夜
中秋の名月が
拝めれるか?

まだ秋の気配が感じられない
昨今

ちょっと考えてみた
半世紀前
もう50年になるんだよね

僕が小学生のころの
9月17日ごろなんて
もう
少し肌寒い感じの日が
秋の気配として感じてました。

そして
秋の運動会の練習なんかも
この時期よくやってたような気がする。

運動の秋
読書の秋

食欲の秋

秋は少しもの寂しいけど
なぜか色々心が豊かになる
ような季節だったような気がする


夏の活動的だった季節から
秋は色んなものをまとめ上げる
おだやかで
物静かな時間が流れる季節
センチメンタルな思いが交錯する
そんな中
ふと
秋の気配を感じるのは

中秋の名月

今夜
月が綺麗。




マラソン 吉田拓郎

2024-09-16 10:14:00 | 僕の音楽日記
キツいコーチのもとで
その背中を追いかけ
ゴールの先にみえるものを
見たくて
ガムシャラに走ってきた季節

自分を変えたくて
でも変わらなくて

これ以上進まないとわかってても
走りはじめている間は
その歩みを止める事はできず
何度も何度も
立ち止まって
終わろう
もうこれで終わりだ
リアイヤする
と頭で決めても
身体が意識が
そのシグナルを拒否するのか
その様に立ち止まれないでいる

このまま進んでいっても
自分がボロボロになるだけ
すでにボロボロになりかけてる
それでもやっぱり
走り続けてきた
何度も何度もスピードを緩めて
立ち止まろう
止まってしまえばおしまいなんだから

そう思えたことや
タイミングはたくさんあった

「これが最後」という言葉に惑わされ
そこには本心とかけ離れた
作られた想いしかなく
ほんとの気持ちは意思は
ゴールの先の景色がみたい

それは見てはいけない景色なのかもしれないし
限られたもの、選ばれたものしか
見る事ができない景色なのかもしれない

じゃあ
走ることの意味は?

何のために走っているの?

一つ一つ問ただし
気持ちを置き去りにしないように
終わるのは簡単なようで簡単じゃない

伴走するコーチの理不尽な叱咤や
要求にも
それを受け入れて
ただ走り続けることに意味があると
言い続けて

走る事が人生のように生活の一部のように

そこに意味などなくても
そのことだけが嬉しかったとしても

悔いのない生き方をすると決めた日から

毎日その日その日を一瞬一瞬を
取りこぼさないように


そうやって走ってきた
でも
一旦
走るのを辞めて
立ち止まって考えて

また
走りだすのか
このまま
走るのをやめるのか

少し見つめ直してみる
そんな時が訪れた。

辛抱する
待つことを身につけ

耐え忍ぶこと
なかなか自分にはできないことなのかもしれないけれど
なんとか
それをやってみることとする


走り続けていた方が
楽な場合もあるだろうけど

あえて立ち止まって
考える時間も必要な時がきた

サーキットの車も
一回はコックピットに
タイヤ交換やらオイルを補給するように

立ち止まることも必要なひとつ




赤ちょうちん かぐや姫

2024-09-11 19:22:00 | 僕の音楽日記
今日は
【公衆電話の日】ということで

公衆電話のワードが入ってる歌詞といったら
頭に浮かんだのが
昭和の人間だよね

【赤ちょうちん】かぐや姫


🎵あなたと別れた寒い夜
公衆電話の箱の中
膝を抱えて泣きました〜


昔は
街灯代わりに
公衆電話ボックスがぽつんと
光ってて
その灯りをみると
ほっとしたものだ

また
10円玉や100円玉をたくさんこわして
電話をしに
公衆電話ボックスにいったなぁ

家電話も広く普及されてきたけれど
年頃になると
親に会話の内容をきかれたくなくて
わざわざ
公衆電話まで
電話をかけにいったものだ

異性の場合なんかは
とくに緊張する

電話に
誰が出るか?ロシアンルーレットさながら
ハラハラドキドキ
本人が出てくれたら
超ラッキー!
父親とか
母親とか兄貴とかが出た時には
間違い電話もどきにして
慌てて電話を切るなどして
本人に繋がるまでの賭けにでたり

好意的な親御さんなら
繋げてくれるので
たいしたストレスはないけれど

うちもそうだったけど
(おまえたちそんなことにうつつを抜かしてる場合じゃないだろう?)的な
ニュアンスたっぷりな
本人を呼び出す声に
そんなオーラたっぷりな雰囲気が
電話口の向こうまで伝わってきていた。


今はケータイ電話があるから
そのハラハラドキドキはないまでも
ホントにあれはあれで
なかなかスリルがあって程よいストレスも
感じつつ
いい思い出として
残っている。

物事簡単に手に入ると
ありがたみが薄れるようで
苦労して
ドキドキしながら
超えていくことが
意外とあとあとまで残るものであって

すこしの苦労も必要だったりする
そんな昭和の公衆電話あるある
なのかな?


赤ちょうちん
四畳半フォークの代名詞として
残る
名曲


生きてることはただそれだけで
虚しい事だと知りました。


なんとも絶望的な内容の歌
別れた人が
背中を丸めてサンダル履いて
赤ちょうちんのおでん屋にいるような
場面を自分自身の願いの中に
そんな幻を見る
辛い辛い
哀愁たっぷりの失恋ソング。