明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

炭坑節 三橋美智也

2022-04-30 13:38:00 | 僕の音楽日記
僕と音楽
オヤジと音楽
僕と歌
オヤジと歌

好きな歌を口ずさんでいるとか
歌番組をみるとか
そんなところが一切なかった
オヤジだったが
レコードを買って
プレーヤーで聴いてたレコードの中に
青江美奈の
国際線待合室
というレコードがあったのは
覚えてる
あとは浪曲が好きだったのかな?

それと多分宴会や酒の席で
歌って盛り上がってたのが
「炭坑節」だったのかな?
と思い返させるところが
あった。

僕と弟をつれて会社の行楽に
みかん狩りに行ったことがあった
昼をたべながら飲みながら
みかん畑で皆がいい気分の中で
オヤジの部下らしい人から
「〇〇さん!炭坑節歌ってよ!」と
お声がかかった。

みかん狩りに来る時の行きのバスで
ほどなく飲みすぎて
ほぼ 酔って出来上がってしまった
オヤジは歌うどころか、
気持ちよさそうに
寝てしまっていた

恥ずかしさと昼間からの酒も手伝って子供の前での照れ隠しもあり

僕らの前で歌うことは
ついぞ
一回もなかった。

だけど
会社の人たちの前では
多分、歌ってたのだろうと思う。
リクエストがかかった事を思うと
そんな茶目っ気のあった
オヤジだったのだろうと…

(そっかぁ、炭坑節歌ってたんだぁ…)
その時記憶して
オヤジ=炭坑節というイメージは僕の中で出来上がった。



炭坑労働者によって歌われた民謡だという始まりの
この歌は
盆踊りでもよく聞く歌でもあるし
オヤジも大分の田舎で
苦労して働いていた時に
多分口ずさんでいたのかも
しれないと
思いを馳せてみたりする



少し、調子のいい
メロディーの中にも
辛さや悲しさを吹き飛ばす
芯の強さを感じさせる

先の見えない苦労のたえない
日々を生きていた時代
一息つける
歌によって
気持ちと心に
勇気と希望を持ちえた
ものだったのだろうか…




古いメロディー 吉田拓郎

2022-04-29 16:55:00 | 僕の音楽日記
もともと
漫画や野球に傾倒
していた僕に
ある時
中学に入る時
オヤジがギターを買ってくれた

大したいいギターではなかった
飽きっぽい僕だから
高いギターなんて
最初から買うことはみすみす
お金をドブに捨てる
ようなものだからね…

僕から買ってくれ
ねだった訳じゃなかったけれど
口数の少ない父親が
僕の中学へ上がると同時に
買い与えてくれたギター
それには…

飽きっぽく
堪え性のない
僕だったから
辛抱強くやる楽器は
僕のような子供にうってつけに
繋がるものと考えたのか?
それとも
才能を見つける道具としての
ものだったのか?


オヤジ自身
歌が好きだとか音楽を聴いていた
ことは
そんな片鱗はなかった

若い時はカメラが、趣味で
女の人を撮ってたりしていた
ことは後に
その時の写真が出てきて
わかったのだけれど

僕に音楽への楽しさを導いてくれた
キッカケは
ギターを買ってくれたことと
今想えば

思い出すことに
それは
嬉しかった。

コードを抑えると
和音になり
音がでる
最初は指先が硬くなるまで
痛みとの戦い
多分そこで諦めてしまったら
ギターも続かなかったんだろうと
思う
しかしながら
何故か、飽き性で堪え性の無い
僕がギターは辛抱強く
どこか面白かったのか
はたまた、
女の子にモテるとわかったのか?
弾けるようになるまで
頑張った。

目的は途中ですり替わったかも
しれないけれど

長続きを後押しする
チカラはやはり
女性への意識なのかもしれない

オヤジも若い頃
カメラの被写体に
女性のモデルさんを
撮ってたりしたし、

僕もギターを弾き出して
音楽も聴いていくジャンルも増えて
そしてクラスの女の子から
頑張って
聴かせて!
なんて言われたり
したことなど

継続してさらに
努力するチカラって
女の人のチカラが
働いているんだね

ギターをポロんと鳴らす
古いメロディーが
聞こえる


思い出の中に鳴っている
オヤジから
渡された最初のあのギター
一生懸命爪弾いて
音を鳴らして出した
メロディー






まるで孤児のように 吉田拓郎

2022-04-28 18:42:00 | 僕の音楽日記
♪なんだか
俺たち荒れ果てた土地に
取り残された
みなしごみたいだな
歌っておくれ
LOVE song 
LOVE song
歌っておくれ…


小さい頃
「お前は橋の下で拾われた子なんだよ」
母親が真顔でそう言ってきた

側にいた
父親は表情ひとつ
変えずに
新聞をよんでいた


そんな冗談を冗談とは思えず
かなりの期間
その衝撃的な告白を信じてきた
その種明かしと否定は
受けなかったまでも
ホントのところはどうなのか?
わからないまま
時は過ぎて

今更ながら
そんな子供騙しの嘘を引きずって
いること自体
おかしな話で…

でも、
父親が亡くなって
色々思うところ

その話って
ホントだったんじゃないか?
とさえ考え、思ってしまった
自分がいた。

戦争孤児
震災孤児
何かの理由で
親からはぐれ
親と別れ
捨てられて
歴史の中では
数多くの悲しい事実が
続いてきた。

だからこそ
言っていい冗談と
言ってはいけない
冗談があるとは思う

なぜ、
「あなたは橋の下で拾われた子」
という
なんのメリットもない事を言うのかを
深く考えれば考えるほど

それって
やっぱりそうなのか?
と嘘も言い続けていくと
ホントになるみたいな風に
なる典型的なことだ

父親との関係
関わり、
なにか
ひねくれた見方をしていた
わけじゃないけれど

僕は父親にとって
どんな子供だったんだろうと
家族の中でどう思われていたんだろう

思春期の時の反抗的な
拗ねた考え方
そのまま
僕は大人になり、結婚して
所帯を持ち
子供を持ち(親からすれば孫)
直接的な関わりは
どんどんなくなっていった
僕と父親との関係性。

家を出たのも喧嘩して
出たわけではなく
それなりの理由があって
仕方なく
僕は自分の両親と住む事を
やめて
嫁の実家へ行った。

ホントに
仕方ない事実だけが
あって
何かをいえば
言った人のワガママと取られる
ようなそんな
仕方ない…事実のもとで
離れいった
僕。


愛情のかけら
おもいやりのかけら
男親に期待するものは
何もないけれど

何もなかったことが多かったのだから
せめて最後くらい
言葉が欲しかったと思う。


だから
僕は
やっぱり
橋の下で拾われた
孤児なんじゃなかったのか?
と思ってしまったじゃないか…


まるで孤児のように




ひとり想えば 吉田拓郎

2022-04-27 19:47:00 | 僕の音楽日記
ひとり想えば…

今日で一週間

早いもので

居なくなった事実は
風のように
流れ過ぎていく

少しずつ日常へと
心と身体がもどっていく

でも、
生きていた
事実と
もう、そこにいない
事実だけが
また、静かに
心に寄せてくる

居なくなった寂しさ
悲しさよりも
自分自身の生き方
考え方により
深く考えるように
なった
父親の死。


時はゆく
色あざやかに
時はゆく
もうひと想い















まにあうかもしれない 吉田拓郎

2022-04-25 07:41:00 | 僕の音楽日記
父親が亡くなり
急なカタチでの通夜 葬式
家族葬での葬儀
喪主は同居の弟
カタチと流れが決まり
あっという間に
送り出した。

父親を見送るまでの時間
通夜、葬式の間
色んな感情や親族の思惑
感じ取るものが多くて
心が押しつぶされそうになり、
自己問答も含めて
自分という位置を確かめることと
父親との関わり、思い出を辿る
そんな時間がながれた

他人に迷惑をかけない
人の手をわずらわせない

それが生き方にいつも出ていた
厳格で寡黙な父親だった
僕は同居から外れて
晩年は父親、母親をみてくれてたのは同居してくれたのは
弟夫婦だった。
弟夫婦たちは
生活を共にした時間の深さから
それは涙に繋がる
悲しみをもてる要因にもなったのだろう

喪主を務めた弟が
挨拶の時
嗚咽して言葉が出なかった
そのくらい深い悲しみがカタチになって現れたことに
僕は泣けない自分に愕然としながらもまた、そのあとからも
自己問答を続けながら
悲しみの感情のくることを訪れることを
待ちながら
父親を見送る時間を過ごしていた。


結局のところ
肉親でありながら
近くで遠い自分を知り
何か自分を見失い

長男として期待されてながらも
それに応える事をしてこなかった
自分の自信のなさから
父親と対峙してこなかったことなど
自業自得としながらも
都合のいいように
生きてきた自分のことも含めて
親子の絆とか
綺麗事に物事をまとめようと
していた。

生きるということ
死ぬということ
死を受け入れるということ
生きた証を
記憶を思い出し
刻むということ
亡き父親の言葉や
振る舞いや
思い出を紐解く作業の中で

僕は自分の位置を見失って
しまった。


ただ
ただ
期待に応えられなかった
無力な自分に
悔しさと
情けなさを感じ
父親に対して
申し訳ない自分が

いつまでも
こうべを垂れて
立ち尽くしていた


いまなら
今の自分を捨てるのは

まにあうかもしれない


人は変わろうとした時が
変われる時なのだから…