明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

sign Mr.Children

2021-06-28 08:59:00 | 僕の音楽日記


好きな俳優さんの
こんな表情が好き
を写メして
見せようと
したためていた君


僕は今こんな表情だよと
晴れ晴れした気持ちを送った
その写真は
君のそれと
同じだった。

そんな事ってあるんだねぇ
笑えるような
透視能力なのか
予知なのか

人には第六感
シックスセンスというものが
備わっているという

【虫の知らせ】
【声が聞こえた】など
後から振り返ると
あの時の
なんてことが
少なくとも
長く生きてくると
なにかしら
ひとつくらいは
あると思う。

それは
何かのサイン…

嬉しいサイン
苦しみを表すサイン
人は色々無意識に発してるものも
含めれば
誰かに
どこかで
サインを送ってる

遠く離れていれば
尚更
その微弱なサインも見逃さず
受け取ろうとする

苦しいとき辛い時
口に出せずに
抱え込む状況において
何かサインを送ってるはず

そうしたものに
気がつけるように
常日頃からアンテナは
立ててなきゃいけない

その逆も
嬉しいサインも見逃さず
ともに喜びあえるそんな

思いやりを極めていくと人の
発するサインを見逃さずに
できるのかも

自分の事に集中しがちな
僕たちだけど
相手を思いやる
相手の気持ちに寄り添う
相手の事を思ってる
そんな事が自然にできていくと

サインを見逃さずに
感性を研ぎ澄ませ
第六感も磨きがかかるかも

そんな能力も自分のために
使うのではなく
他の為に使って幸せに導くことが
良いと思う。


僕にはまだまだそんな能力もないわけだけど

少なくとも
人の変化に気がつけれる
そんな思いやりのある
人にはなりたいとは思う

なれない自分の願望だけど…

同じ事を思い
同じ事を考え
同時に同じカードを出す
もう一人の自分のような
そんな君を見て思う。


さよならの街 南こうせつ

2021-06-27 18:59:00 | 僕の音楽日記
あの街で夢を追いかけ
あの街で夢を諦めた

夢を追いかけることには
それなりのリスクもあった

ワガママにならなければ
夢を掴めないなどと
勘違いもあった

あの街で初めて訪ねてきてくれた
大事な人との
さよなら

あの街で夢を追いかけ
あきらめて
さよならした

あの街で親友だと思っていた
アイツとも袂を分けて
さよならした

♪思えば5年前一人でここへ来た
あゝさよなら
夢みたこの街よ
もう、帰れない…


色んなことが
めまぐるしく移り変わった
あの頃
一日一日
ジェットコースターのように
降ったと思えばまた
上へ駆け上がる
横へ振られ上へ下へ
日々の早さと
夢を掴むスピードに
乗り遅れてしまった

夢から覚めたのか
夢のままだったのか

今、あの頃をカタチつくった
ものが
跡形もなく
なくなった
誰もいなくなってしまった。

それは
今へ繋がるための
遠回り
周り道
寄り道

無駄な時間ではなく
ここへ、今へ辿り着くための
必要な時間だった。

ありがとう。
かかわっていただいた
全ての人よ

僕は
今もここに
立っている

だから一日一日
丁寧に生きていく
これからも
明日からも…

さよなら…あの街
僕がいたあの街
さよならの街







星空のディスタンス The ALFEE 坑コロナmixバージョン

2021-06-27 07:04:00 | 僕の音楽日記
♪星空の下の
ディスタンス

守ろうよ
ソーシャルディスタンス

遮るコロナ乗り越えて
この胸もう一度
Baby comeback!!



この人たちは
コメディアンのようで
アーティストのようで
歌も上手い!
ヒット曲というのはやはり
ヒットするだけの要素はある
今聞いても
ちっとも色褪せてない

ソーシャルディスタンス
よく耳にする言葉

距離を取る…
あまりいい言葉ではないなぁ

距離をとられる
なにか
寂しさばかりが浮き上がる

この歌も遠く離れた愛しい人を
思うその切なさが
歌として響くわけで

コロナ対策でのディスタンスは
理解できるけど
なんだか
色んなものが
剥がされていくようで

とても不自然な
ギクシャクした
人との接し方だったり

人が人らしく
ぬくもりを感じながら
過ごしていた
そんな日常が変わってしまった。




結婚しようよ よしだたくろう

2021-06-26 12:46:00 | 僕の音楽日記
♪僕の髪が肩まで伸びて
君と同じになったら
約束どおり
町の教会で
結婚しようよ wmm



49年前
長野県軽井沢町の
聖パウロ教会で
当時人気絶頂の
よしだたくろうさんと
四角佳子さんの
結婚式がおこなわれた。

ウェディングソングとして
プロポーズソングとして
この歌は多く
歌われてきたこの半世紀。

時代を反映してる
髪を女子のように
伸ばす行為

ただ、ボサボサに長髪に
することなく
よしだたくろうさんは
安井かずみさん曰く
「たくろうの長髪は許せる。髪をちゃんと洗ってるし、おまけにいい匂いがする。ちゃんとリンスしてるんだと思った」と
言わしめた。
長髪でも、汚らしい
長髪もいれば
拓郎さんのような
爽やかな長髪もいた。

フォークのプリンスといわれた
所以も
そんな身だしなみの好評価にも
起因するところもあったろうと
思う。
乙女チックな歌の歌詞
「結婚しようよ」

軟弱な歌だとして
帰れコールの引き金にもなった
この歌は
当時フォークソングブームの中で
アングラを位置していた
フォークソングでも
若者の歌として
大きな力を持ちつつ
一部の人達による
政治利用にもされた
フォークソング。

自由でまた、自分の歌として
発信した
よしだたくろうというアーティストがその
「結婚しようよ」が売れたことによって
矢面に立たされる
事態になった。
いわゆるフォークブームを支える
一部の熱狂的ファンからは
裏切り者扱いを貼られた
その憎悪の矛先に
あったのが
歌の通りに
結婚してしまった
「吉田拓郎」さん本人だった。

歌の世界とリンクした
現実のその行動に
ファンも喜びと非難の飛び交う
そんな
「結婚しようよ」だった。

自由であったはずの
フォークソングも
不自由なもので

思い出深い
曲であるはずなのに
嫌な
辛い思い出もこの歌にはついて回った。
ヒットを妬んで
お金を払ってコンサートにわざわざ
入場し、
「帰れ!」コールをする輩。
時には
物をステージに向かって投げたり、罵声を浴びせたり…

今 考えられないようなことが
当時、いまから49年前に
現実にあった。

吉田拓郎26歳
四角佳子20歳
初夏。
結婚式がおこなわれた
6月26日










1971年の衝撃 筒美京平作品の躍進

2021-06-25 18:01:00 | 僕の音楽日記
1971年
僕は9歳頃


テレビやラジオから
聞こえてくる歌謡曲なる
流行歌の
変化に気がついた年でもあった。

それまでの流行歌、
歌謡曲のイメージは大人の歌
演歌、浪曲、民謡に近い
しっとりとまた、歌の発声に
独特のものがあって
子供には馴染みがない
まだ敷居の高いものだった。

1970年に流行った
三波春夫さんの
【世界の国からこんにちは】も
どちらかといえば
演歌、浪曲ぽい
いわゆる
POPじゃなかった。
しかし
あけて1971年
流行歌の世界に新たなる
風が巻き起こった。

子供だった僕でも
このPOPな感じの歌は
今までと違う!
なんだか心の底に光がさして
涼しい風を届けてくれたような
一変に周りを明るく照らして
しまったような
そんな歌たちが
怒涛の如く
雪崩れ込んできたのだ

1971年
3月5日発売
尾崎紀世彦
【また逢う日まで】
作詞 阿久悠 作曲 筒美京平

5月10日発売
堺正章
【さらば恋人】
作詞 北山修 作曲 筒美京平

5月25日発売
平山みき 
【真夏の出来事】
作詞 橋本淳 作曲 筒美京平

6月1日発売
南沙織 
【17才】
作詞 有馬三恵子 作曲 筒美京平

とヒットチャートに筒美京平さんの
名が次々と躍り出た

この歌たちをラジオや、テレビから
耳にする機会が増えて
70年代が明けて素晴らしい時代の
予感を感じた
まだ詩の内容も理解できない
子供ながらも
曲調の変化に
悲しい内容の別れの歌でも
軽やかな雰囲気に
すり替えられ
洋楽っぽい曲調が
馴染みのなかった
敷居の高かった
歌謡曲が
ワクワク、楽しめる
歌に心ときめかせる
そんな時代が来たことを
子供ながら思ったのだ

1971年の衝撃は
流行歌の世界から
稀代の作曲家
筒美京平ワールドが席巻した

その筒美京平さんにして
ライバル視し、大変な作曲家の
登場に戦々恐々したのが
【吉田拓郎】さんだった
その吉田拓郎さんも
筒美京平さんは凄いとお互いが
お互いを、リスペクト、ライバル視
をどこかにしていた
そんな時代が始まりを告げたのも
先行して
歌謡曲の世界を守り導いていってた
筒美京平さん
そして
1971年は吉田拓郎さんが
エレックレコードから
発売されたアルバム
【人間なんて】に
大ヒット曲 
[結婚しようよ]を収録していた

発売は翌年CBSソニーに移籍して
のシングルとなった
ヒットも1972年ではあるが
吉田拓郎という
筒美京平さんを揺るがす
存在が
産声をあげた瞬間が
1971年だった
その2年後には
森進一さんへ
【襟裳岬】を提供
そして3年後1974年にレコード大賞を受賞するという
歌謡界への
進出が始まり
75年以降
ニューミュージック側の
攻め込む形の第一人者として
存在を際立たせ

そして
守る側の筒美京平さんも
変わりなくさらに鉄壁の
職業作曲家としての地位と
作り出す作品のレベルに
ゆるぎなさを持っていた。

そんな両者を語るエピソードが
こちら


一足先に単身歌謡界に乗り込んで
内側から
壊しにかかった
松本隆さんの存在も大きかった
松本隆
吉田拓郎
というフォーク、
ニューミュージック、
ロックの名の付く
アーティストによる
歌謡界への進出は
新しい風どころか
地殻変動さえ起こして
しまった。
この二人が歌謡界に風穴を開けたと思う
曲で吉田拓郎さんが
詩の世界で松本隆さんが…
襟裳岬は当時拓郎さんの作品に寄り添ってた岡本おさみさんであったが

演歌の森進一さんに
当時フォークブームでの
頂点にいた吉田拓郎さんの
作品が提供された
その事自体
地殻変動が起きた

しかしながら
筒美京平さんも
ひと足先に
歌謡曲と呼ばれ戦後の
流行歌市場に
洋楽のテイストを入れた
ポピュラーミュージックという
スパイスをふんだんに香らせた
本格的な職業作曲家の最初の一人ではなかっただろうか

時代が進み
成熟を重ねる音楽市場も新たな
風が度ごとに吹き
さらにまた違う魅力をつけ合わせて
いった。
その分岐点
1971年の衝撃

あの怒涛のヒット曲ラッシュ

筒美京平躍進
吉田拓郎の産声

1971年の衝撃❗️