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猫五郎の写真日記

なんか、写真よりも文章がメインになってます。しかも、くどい。要改善。でもなかなかねぇ。

2012/09/28~30 台風17号とその翌日

2012-10-08 20:28:42 | 沖縄

ヤンバルの森を出たのが未明の3時過ぎ。
宿に着いたのが5時くらいだったでしょうか。
少し寝て、朝飯を食い、そのあとまた少し寝てから、出発です。
まずは電波の届く場所へ。
名護へと向かいました。
台風はどうも明日沖縄に最接近する模様。
威力もなかなかです。
飛行機はというと、本日28日は飛んでいます。
しかし、満席。
明日29日は飛行機が飛ばないでしょう。
明後日30日は沖縄を通り過ぎた台風が関東に向かうので、関東への飛行機は飛ばないでしょう。
夏休み、延長が確定した瞬間でした。
早速、職場に連絡。
このままだと最悪の場合、帰るのが水曜日くらいになりそうな旨、伝えました。
自然現象が相手なので、どうにもなりません。
大手をふるって美ら海水族館へと向かったのでした。
子どもが大喜び。
魚が泳ぐのがおもしろくて仕方がない様子。
連れてきた甲斐があったというのもの。
そのあとは宜野湾でサークル仲間と会うために南に向かいました。

さすがに台風が近づいている感じバリバリになってきました。
通り雨の際、ワイパー全開にしないと前が見えない場面も。


那覇のビジネスホテルにチェックイン。
宜野湾に向かいましたが、帰宅ラッシュに巻き込まれ、宜野湾までまさか1時間以上かかるとは思ってもみませんでした。
沖縄の住人だった頃はバイクが足だったので、渋滞とか気にしたことがなかったので、この惨状を知りませんでした。
バイクなら30分かかるかかからないかなのですが。
遅刻をしつつもそこはうちなータイム。
旧交を温め、ホテルに戻り、その日は終了。

翌朝起きると風も雨も半端ない。
外の車通りもまばら。
14階建てのビジネスホテルが風で揺れる!!
テレビを見ると、ここから1kmないところで10トントラックが横転。



本当は、この日(29日)は、南部の行きつけの宿に泊まる予定だったのですが、移動が不可能。
おまけに、その宿から停電して受け入れ困難との連絡が入り、あえなく、ビジネスホテルに延泊することになったのでした。

その日は外に出るわけにも行かず、僕としたことが一日寝て過ごしました。
家にいても何かと忙しい男で、じっとしていることがない僕が、一日ゴロゴロして過ごしてました。
まあ、連日の疲れがあったというのもあります。
でも、こんなにゴロゴロしたのは(病気以外では)何年ぶりでしょうか。
ある意味、台風に感謝でした。



翌30日日曜日は快晴。
なんと、朝一番の飛行機が飛びました。
台風を迂回して追い越し、台風が関東に到着する前に成田・羽田に降り立った模様。
もちろん、満席で乗れませんでしたが。
午後の便は、台風が関東に近づくため欠航。
笑えるのは、その飛んだ朝の便は、僕が2ヶ月前に予約した便だったことです。
台風が猛烈な台風に成長したため、これはいかん!と帰りの便を一日早い便に買い替えたことが裏目に出たわけです。

15号、16号ととても足の遅い台風だったので、そのペースで考えれば、僕の判断は決して間違ってはいなかったのですが、17号は台湾手前で八重山方面に向きを変えた途端、ものすごいスピードアップをしました。
これは直前まで誰も読めなかったと思います。
ま、不可抗力とういことで。

そんなわけで、関東に帰れず、暇な日が一日できたわけです。

さて、どうしようか。

奥さんが「私、首里城にいったことない」とのたまった。
「えっ?こんなに沖縄に来てるのに?」と、僕。
思い返せば確かに普通の場所にはあまり連れて行っていないかもしれない。

首里城、僕は特別興味ないのですが、まあ、家族サービスと思って、それじゃぁ首里城へレッツゴー!

龍樋(りゅうひ)。
首里城の飲み水。
龍の彫刻は1523年に中国からもたらされたもの。
初めて見ました。

首里城に限らず、城は基本、丘の上にあるので、水の供給が常に問題となったはずです。
普通、丘の上には水はありませんから。
井戸を掘るにも低い土地よりは不利なはずです。
城を敵に囲まれたとき、水がなければ数日も保たない。
だから、城を作る丘はどこでもよいわけではなく、水の供給のある丘ということになります。
それを考えれば、首里城にも水の供給源があってしかるべきであることは自明の理ですが、その水源を見たことがありませんでした。
首里城の新たな顔をみる機会となりました。




首里城を一通りみての帰り道、那覇の展望がみれるとの看板があったのでそちらに向かいました。
こんな展望が首里城にあったとは知りませんでした。




帰り道に見かけた木の根。
これをなんと呼ぶのかは存じません。
でも、亜熱帯は表土が少なく、だから板根が発達した樹があるのでしょうから、これも薄い表土対策で樹が身につけたものなのかもしれません。




琉球大学跡の碑。
こんなものがあったのも初めて知りました。
もともとここにあったことは知識として知ってはいましたが、こうやって碑があると実感が湧きますね。




首里城から出てくると昼飯時です。
さて、何を食べよう。
奥さんが、「タコライスを食べたことがない」という。
「えっ?こんなに沖縄に連れてきてるのに?」と僕。
まあ、辺鄙な場所ばかり連れて行っているから、タコライスなんて二の次でしたから。
タコライスを食いに行きました。


さて、そのあとどうするか。
「海中道路ってあるんじゃなかったっけ?」
そう言えば連れて行ったことがなかったな。

海中道路に向かいました。
風が強く、波も立っていました。
しかし、パラグライダーの人々が大喜び。
波乗りの人々も大喜びで遊んでいました。


海の文化資料館に少し立ち寄り、その先の浜比嘉島に向かいました。
久しぶりにキノコ岩を見たいなと思ったからです。

浜比嘉島リゾートのところを通りがかったとき、「ムルク浜」の看板が目に入りました。
ムルク浜?
皆来浜?
聞いたことがありませんでした。
それどころか、こっちの方向にビーチなんてあったんだ?
知りませんでした。
行ってみないわけには行かなくなりました。
行ってみると、なかなか素敵な場所です。





キノコ岩もありました。




沖には無人島もあります。
知らなかった、浜比嘉島の沖に無人島があったなんて。
浮原島というらしいです。
自分では、ここはそこそこ知っている場所のつもりでしたが、まだまだ知らないことがたくさんあったようです。




集落の水場。
集落には必ずと言ってよいほど、このような水場があります。
それにしても、浜比嘉島リゾートの乗っかっているような小さな丘からもこんなに豊富な湧き水が出てくるんですね。







そのあと、キノコ岩スポットに行きました。
ここ、なんか、気に入ってるんです。
でも、ここに来たのはもう5年ぶりくらいかもしれません。






そのあと、僕の趣味で、久々に薮地島のジャネー洞を訪れました。
薮地島はハブがよく出ることで有名な島です。
学生時代、僕はハブに出会いたくてこの島に赴き、ジャネー洞を偶然見つけた次第です。
ジャネー洞は、6,000年から7,000年前と思われる沖縄県最古の土器が発見された住居跡だそうです。












このあと、勝連城址からの展望を楽しみました。
本当は海の文化資料館で、この日の18時から、うるま市各地の青年会が集まって、エイサーを疲労してくれる催しがあって、猛烈に行きたかったのですが、子どもの疲れも考え、那覇に向かいました。
帰る途中に、学生時代に行きつけだった定食屋により、久しぶりのゆし豆腐定食を食べました。
これで450円です。
腹一杯になります。
学生の味方です。




この日は中秋の名月でした。
知念半島の方に、月のキレイに見えるスポットがあり、そこに中秋の名月と海を撮りに行きたかったのですが、子どもの疲れを考え、泣く泣く諦めてホテルに戻りました。
ホテルに戻ると21時。
ああ、もはや今からその名月スポットに行っても、月が上がりすぎてよい写真にはなりません。
疲れもあって、寝ました。

こうして僕の2度目の夏は終わったのでした。

台風に散々かき回された夏休みでした。

来年こそは渡嘉敷島を楽しむぞ!


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