問わず語りの...

流れに任せて

日本語の起源

2022-03-09 09:49:06 | 歴史、民俗

言語と文化は不可分のものです。

文化が言語を作り、言語が文化を作る。だから

 

文化が滅びれば、言語も滅びる。

 

人類の歴史の中で、多くの文化が滅ぼされ、数えきれないほど多くの言語が消えていきました。日本語にも消滅しかねない危機が何度もあった。もし元寇によって日本が侵略されていたら、その後の日本ではシナ語が共通語になっていただろうし、第二次大戦後にもし日本が分割統治されていたら、東日本ではロシア語が公用語になっていた可能性は否定できない。

実際、戦後のアメリカ統治下で、日本の公用語を英語にするという案もあったと聞き及びます。このように言語というのはその存立基盤がぜい弱なものなのです。

 

しかし幸いにして日本語は消えませんでした。消滅の危機を乗り越えて存続し続けています。

ありがたいことです。

 

言語が変われば、ものの見方、考え方が変わると言います。ものの見方、世界観というのは文化であり、人は言語で世界を考えますから、やはり文化と言語は不可分のもの、文化のないところに言語もまた、ない。

 

だから、アイヌ文化のなかった時代にアイヌ語もまた存在せず、従って東北にあるいわゆる「アイヌ語地名」なるものは、間違いだと言わざるを得ない。

 

「言語は武器である」これは映画『メッセージ』の中のセリフ。言語を理解するというのは、その言語の背景にある文化を理解することでもある。言語を理解出来なければ、文化も理解できない。

文化と言語は不可分。日本文化と日本語は不可分。

 

 

 

言語学的に日本語というのは、どの語族にも属さない独立した言語らしいです。日本列島の中で独自の発展を遂げた、独立した言語。どうやら縄文時代には「縄文語」というべき言語が確立されていたらしい。縄文人は広く盛んな交易をおこなっていましたから、その交易を通じて、公用語ともいうべき縄文語は列島全体に広がっていった。若干の地域ごとの訛りはあったにせよ。日本語の原点は縄文時代には確率されていたと考えていいようです。

 

その後、水田稲作を持ってきた人々の言語が融合して「弥生語」が生まれ、さらには朝鮮半島や中華大陸から渡来してきた人々、取り入れた文物の影響も受けて日本語が出来上がっていき、それが現代語にも繋がっているということのようです。

 

日本語は日本列島で生まれた。ではさらに、縄文時代以前にまで遡ればどうなのでしょう?

 

古事記、日本書紀によれば、縄文時代以前は「神代」ですから、つまり

日本語のルーツのルーツは

高天原で話されていた、

 

神々の言葉。

 

日本語には「言霊」があるといいますね。言葉にも魂がある。それは

神々の言葉がルーツにあるから、でしょうか?

 

日本語のルーツは神界、高天原にある。

 

ロマン、ですねえ。

 

日本語を大事にしましょう。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (チャメ子)
2022-03-09 16:55:30
日本語が神界の言葉、高天原の言葉からきているとは、なんて有り難いことなのでしょう。😭😭😭
日本は何度も言語の消失の危機に晒されながら、奇跡的に残って来た.…。
神様に、ご先祖様たち先人たちに感謝ですね。(良い宇宙人さんにもかな?)
いつも深い学びをありがとうございます。
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Unknown (薫兄者)
2022-03-10 07:40:37
チャメさん、ホントに奇跡の連続です。日本に生まれたことを感謝です。
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Unknown (おかか)
2022-03-10 08:30:18
気が向くと神主のいない小さな神社に行って、
祝詞を奉じるのが小さな楽しみになっています。
祝詞の言葉の中には九州の古い地名が出てきます。
古の神様に遊んでいただいているような、
神様ワールドにひたらせてもらう貴重なひと時。
祝詞の言葉も残された日本語の一つなのかもしれないと思います。
祝詞がいつ作られたのかは知らないけど、
何とかどんな形でもいいから、
残せるものは大切に残していきたいと思います。
返信する
Unknown (薫兄者)
2022-03-10 14:05:50
おかかさん、いいですねえ。ウチの近所(でもないけど)にも小さな神社があって、これがちょっとした山中にあって、参拝するのも小さな冒険気分(笑)。鹿を見かけたこともあるし、餌を掴んだトンビが私の頭上すれすれを通過していったこともあります。幸いにして熊と出会ったことはないけど、あそこは絶対、熊いるね。
夏場なんかお堂の周りは草茫々で、草の中を泳ぐようにしてお堂の前まで進んでいく。蛇がいたら噛まれるかも。結構危ない。若いころはよくいってたんだけど、年取ってくると大変だわ疲れるわ怖いわが先に立って、あまり行かなくなってしまいました。
明治以前は馬頭観音堂で、馬市なども立ったという場所だったらしい。こんな山中で馬市?と、ちょっとよくわからないところもあるのですが、東北は馬産地ですから、地元の人の信仰も篤かったでしょうね。
古い神社を見かけると寄ってみたくなって、由緒が書かれた看板などがあれば絶対読みます。土地の歴史もわかるし、古からの人々の祈りがあった場所ということで、なんだか厳かな気分になりますね。
祝詞に地名、ありますね。私は祝詞の中の「大倭日高見国」という一節がいつも気になっていて、これは東北地方のことなのだろうか?東北を「安国と平け」とはどういうことか?そうした、祝詞が作られた時期の歴史的事情とか、そんなことを考えたりするのが楽しかったりします。
神社はいいです。なにごとのおわしますかは知りませんが、かたじけなさに心震えます。
はい、西行さんのパクリです(笑)。
日本の言葉、文化、大切にしたいですね。
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