「出来レース」や「八百長」のように思えるものを
【プロレス的】
なんて表現する人たちがいますね。
いかにプロレスというものを知らないか、その無知の程をさらけ出している。ある意味
「可愛そう」な人たち。
プロレスというのは、虚々実々が入り混じったエンタテインメントであり、どこまでが「虚」で、どこまでが「実」なのか、わかるようでわからない。
その曖昧さが、プロレスの最大の魅力の一つ。
決して「出来レース」とか、「八百長」とか、簡単に言えるもんじゃないってことです。
アメリカのプロレス団体「WWE」を観て、「これがプロレスだ!」なんてことを簡単に言ってのけた方がいますが、それは間違い。
「WWE」は完全な「エンタテインメント・ショー」としてのプロレスを行っており、あれはあれで、立派なプロレスの一つのかたちですが、
あれ”だけ”が
プロレスの「全て」ではない。
一口にプロレスと言っても、色々ある。
プロレスは奥が
深い。
だそうです。
まあ、表もあれば裏もあるわけだし、光もあれば闇もあるだろう。だが少なくとも、【プロレス的】なんて言い回しで簡単に語れるほど
単純なものじゃないということ。
【プロレス的】という言い回しは、多くのプロレス関係者、プロレス・ファンの心を傷つけ、悲しませ
怒らせる。
選手たちは皆、日々身体を鍛えぬき、真剣に戦っている。それを簡単に
出来レースだの八百長だの、言うもんじゃない!
知らない奴、わからない奴に限ってこういうことを言う。実際「わかって」いる人たち、あるいは真の「気遣い」が出来る人たちは、
こんなことを言わないものだ。
知らないなら、わからないなら、せめて「何も」言わないこと。それが懸命なる人の有りよう。
でも言う奴は言うんだよな。
まっ、言いたければ言えばいいです。表現の自由は憲法で認められていますからね、日本は本当に良い国だ。
私はそういう人たちをただ
「冷たい笑み」で見送るだけ。
最近はなるべく怒らないようにしているのですがね、今日は久しぶりに怒りが己の身の内に渦巻いてしまっている。
そういう日もある。
それにしても、選手自身や団体自らが抗議声明を上げるとは、よっぽど腹に据えかねたのだろうか。
なんだか最近、おかしなこともたくさん起こっている反面、なにか良い方向への変革も始まっているかのような
そんなことを漠然と感じさせる時代になってきているような気がする。
良い事や悪い事、「虚」と「実」そうしたことが入り混じりカオスとなって、この世の中がグルングルン回り始めている。そんな感じ。
なにが良い事で、何が悪い事か。なにが虚でなにが実か。わかるようでいて、わからない。それがより激しく見え始めた、そんな時代。
今の時代は、まるでプロレスの試合のようだ。
そう考えると、プロレスって
奥が深いでしょ?(笑)