愛のつるし一回転飛行機

けん玉姉のけん玉普及活動日記。
2008年秋、転移性乳がん患者となる。
病気のこと、日々の生活なども。

平和コンサート

2006年08月11日 | けん玉
8月6日の平和コンサートのレポートです。

けん玉の前に演奏されたのは、ご存知ツェレンドルジ・ソヨル・エルデネさん。
馬頭琴、4弦胡弓、口琴などモンゴルの民族楽器を演奏され、ホーミー(モンゴルの歌唱法)の演奏もありました。
モンゴルの音楽はけん玉はじめて以来もう何度も聴いていますが、今回、日本の曲(川の流れのように)を演奏されたのを聴いて、新たな発見がありましたね。
モンゴルの曲を演奏されると、それは異国の音楽として聴こえるのですが、聴き慣れた日本の曲を馬頭琴で演奏されると、馬頭琴の音の特徴がはっきりと伝わってきました。
とても、表情が豊かなことがわかりました。魅力再発見です。

けん玉のあとには、東ちづるさんの平和活動について語られたビデオレター。

そのあと、大坪みきえさんと、会場のみなさんで童謡や愛唱歌を唄うひとときがありました。

そして、後半のステージは、ウクライナのナターシャ・グジーさんの演奏でした。
民族楽器ヴァンドーラ(大きな竪琴で、チェンバロのような音色です)を弾きながらの歌。そして日本語で上手に曲や楽器の説明など語りを入れながら、とてもすてきなステージでした。
ヴァンドーラの音と、ナターシャさんの声の美しさはほんとにうっとりさせられるものでしたが、それに加えて、容姿の美しいこと。民族衣装もとてもきれい・・・
そして、20年前チェルノブイリで被曝した、悲劇の姫君というキャラクターが私たちの心を動かしました。

ナターシャさんが6歳のとき、チェルノブイリ原発事故がありました。
事故当日、住民には何も知らされませんでした。
その翌日も、特に変わった様子は無く、こどもたちは学校へ行き、小さいこどもたちをおかあさんたちは外で遊ばせ、いつもと同じように過ごしました。
事故から2日目、住民は避難を命ぜられました。
「3日経ったら帰れます」の言葉を信じて。
しかし、その日から、3日経っても、1週間経っても・・・・・
20年経っても、ナターシャさんたちは帰ることができませんでした。
懐かしい家や、学校、町全体は、土中に埋められてしまい、2度と帰ることができなくなったのです・・・・・

ナターシャさんの歌声は、物悲しくも、平和への祈りを込めた希望の歌声でした。

ウクライナ民謡、もっと聴きたかったなあ~
日本の曲もたくさん歌われましたが、耳慣れた曲がナターシャさんが歌うと深い意味のある別の歌に聴こえました。音楽家としてもすばらしい才能のある方なんですね!

現在東京を拠点にテレビでも活躍されてるというナターシャさん。これからも応援したいです。
ナターシャ・グジー ホームページ

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