愛のつるし一回転飛行機

けん玉姉のけん玉普及活動日記。
2008年秋、転移性乳がん患者となる。
病気のこと、日々の生活なども。

プライドと医療

2010年12月01日 | 認知症介護

病院から連絡で母がこけてたんこぶができたというんですが、大したことはないということでほっとしてアリセプトの事を聞いたら、やめて様子を見てるが全く、何も全く改善しないとしつこくいう。で、具体的なことを聞くと動きが緩慢になったとのこと。いかにも悪化だという言い方なのだがとても変な話です。
 
  というのも前はその動きが急になりすぎて興奮が止められなくてそれが一番困っていると言っていたからです。
 
  細かく聞くと本当はその点は改善しているのでした。興奮もしなくなったそうです。
 
  もともと、治る見込みは無いわけですから、改善と呼ぶべきポイントはそれで拘束しすぎて患者を苦しすぎないようにしてあげたり、逆に医療側の介護の手間がふえすぎないようにするそのバランスをとることにあります。今は緩慢になることで食事の手間などに悪影響が出る可能性があるわけですから、今度はちょうどいい程度の適量を探してくださいとお願いしておきました。
 
  しかし、どうもこういう時の医療側の態度というのはいつもそうですが自分が専門なのに素人に指図されてそれでうまくいったとはどうしても認められないんですね。最初に具体的なことを言わず、改善してないということだけを繰り返されたことでその気持ちがよくわかりました。医師にそう言えといわれたのでしょう。
 
  官僚が失敗を認められないでいつまでも同じ公共事業を続けてやってしまうのと同じです。確かに気持は良くわかりますし、こういえばそういうことではないと必ず反論されるでしょうが・・・
 
  姉を診た専門医も役には全く立たないのにプライドだけはとても高く、それが患者との意思疎通にひどい悪影響を与えてました。結果として話し合いが成り立たず、ますます、まともな治療ができない状況に引き込まれることになりました。
 
  医者に文句をいう多くの患者は別に医者をやっつけたいのではありません。自分のプライドとかもそんなこともどうでもいいんです。どっちみちそんなものはとっくにめちゃくちゃなんです。そんな余裕はないのです。ただただ、助かりたいがために必死なだけなのです・・・医者にそのレベルに持って行かれても、もうそういう相手をする余裕もなく、つらさがますだけなのですが・・・

 

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姉薬と母薬

2010年11月06日 | 認知症介護
姉に使われた薬の使用法がおかしいといわれ、自分もそれを言ってきましたが、先日、母を見てもらってる病院から母の様子が悪化したとの知らせがあり、また、薬のことでいろいろ起きてます。
 
  アリセプトというやつですが、確かに認知症を一定程度抑える効果を持つ薬なのですが、レビー小体型と言われる母のタイプの認知症では過剰に反応が起きやすく、無条件でいいとは言えません。
 
  抗癌剤とガンへの効果程、極端ではありませんが似たような問題があります。元々、原因に対処してる薬ではないために、長期間、使ってると副作用だけがでてきて、肝心の効果はなくなってしまいます。年を取れば当然、代謝率がおちて、溜まり過ぎになって、下痢になったり、それをとめようとして下痢止めで便秘などが起こると、さらにたまって悪化します。他に十分な効果の見込める薬もないので、ともかく、とりあえず量を半分に減らしてくれるようにたのみましたが聞いてくれるかどうか・・・
 
  例によって、厚生省のマニュアル通りだと今使ってる量でも少なすぎる処方という扱いになると聞いてます。
 
  他で聞いた話でも多すぎる処方で症状が悪化してトラブル続出のようなんですが、こんな状況なのにテレビでは新薬のおかげで治る患者が増えてよくなったとか言ってるんですね・・
 
  薬を減らす形での話にはならず、せいぜいが何とかもっと薬の組み合わせを増やしていく流れにばかりなる。それで効く人はいいんですが、これまた例によって合わない人が出るわけです。選択肢として、自由に量を加減できて、個々の人に合わせられないとどうにもなりません。ここの医者はたぶん前の老健のようなことはないと思うのですが、ただ、保険の点数の関係(病院のお金の問題)と厚生省などの圧力でどうなのか、なんかはっきりしないので今は様子見です。
 
  しかし、一方では完全になしにし、一方では使いすぎとなんとも厄介です。使わない場合には別の手法があればそれでも考えられるわけですが、単に投げてるんじゃ話にならなかったわけですし、今の病院は専門医がやってるので前はこれは任せていいかとも思ってたんですが、それでも元々の医療に利権に絡んだおかしなところがあるのでやっぱり問題が起きてしまう。
 
  やはり誰かに有利なように作られてるおかしな制度のなかでは専門医で安心などという世界はないんですね。癌の専門医で通常の薬や医療の90%は不要だと言ってる人もいるぐらいですから。(で、こういう人はガンの医療については有用だというんですよ・・まあ、これが専門家利権てもんでしょう)
 
  癌問題と同じく、認知症問題ももっと個人で良い対応法を考えていかないといけないんでしょう・・・


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【あやしい老健体験記】その後

2010年03月04日 | 認知症介護
長々と続けてまいりました老健体験記、読んでくださりありがとうございました。

実は私自身も書いてるうちにだんだん嫌になってきて
腹が立つというよりも馬鹿らしくなってしまいました。
入所時から起こった事を記録しておいたものを元に書いていったのですが、実際もっとひどいことを言われたのを思い出したりして、うんざりでした。
昨日のブログのコメントに綾子さんが書いてくださってるように、ここの職員や施設自体はそれほど悪くないのですが、とりしきってる事務長が無茶苦茶でした。
次々言うことが変わったり、ウソを平気で言ったりするところを見ると、何か心に病んだところがある方なのかも知れないと思います。そういう方は世の中にたくさんおられるし、私の身内にも障害者はいるし、病気や障害があるからと言ってその人を罵ったり憎んだり差別することはしたくありません。
しかし、たくさんのお年よりの命を預かる施設のトップを任せていてよいものでしょうか?

私は自分の病気の治療に専念するために姑を施設に預けようとしたのに、安心するどころか反対に精神的にひどく参らされてしまいました。
他にも問題のある施設は存在しているのでしょうが、そういうところでも入らなければ他に行くところのない介護難民になってしまう人がたくさんいます。
施設が少なすぎるのです。
そして、私にこの老健を紹介してくれたSさんにも疑いの念を持っています。
介護に詳しく顔の広いSさんが、これだけ問題のある事務長のことを知らずに紹介するでしょうか? どうもウラがある気がします。
両親は今もSさんと交流があるようだし、このたびの件で私と両親の関係もギクシャクしてしまい、今も尾を引いています。
金銭的な損失は大したことにはなりませんでしたが、精神的な損失は大きいです。

ただ、ここまでボロボロにされたからこそ、見かねたG病院が救いの手を差し伸べてくれたのかもしれません。
捨てる神ありゃ拾う神ありでしょうか

今、姑はG病院でもうすぐ4ヶ月を迎えようとしています。
老健「X」でのたった16日間にあれだけのことが起こったのに、G病院では特に何も事件が起こらないので書くこともありませんが、温かいスタッフに囲まれて、おだやかに過ごしています。

G病院に入院させてすぐ。
「徘徊したり放尿したりして、ご迷惑をおかけしているのではありませんか?」と尋ねると、スタッフは明るい声で答えてくれた。

「はい、そうですね。よく歩き回られてますよ。でもここではみなさんそうですから。放尿は、昨日は5回くらいされたかしら? みなさんそうなのでぜんぜんかまいませんよ。ただし、床が濡れているとすべって転ばれたらいけないので、注意して拭き取るようにしています」

「もう来られた時からみんなのアイドルですよ。音楽をかけるとダンスをされて。男性患者さんにも気に入られて、お世話を受けておられましたよ、自分の奥様だと思われているみたいで。ほんとに可愛い方ですね」

姑自身は変わっていないのに、スタッフの力量が違うとこうも違うものなのですね。

認知症の症状は、良くなることは期待できないのですが、今のところ、安心して預けられることをありがたく思っています。


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そして、気になる請求金額は?【あやしい老健体験記 その9】

2010年03月03日 | 認知症介護
11/7。姑をあやしい老健「X」から連れ帰る途中、スーパーに寄って姑の好きな巻き寿司を買った。
久しぶりに我が家へ帰った姑は、落ち着いてはいなかったが(レビー小体型認知症の症状はそんなものだ。自分の家であっても自分の家に帰った気にはならないらしい)私たちはとりあえずホッとした。ほんとに悪どい事務長だったが、スタッフは普通のそれなりの対応をしていてくれたようで、特に姑に変わった様子はなかった。問題は解決してないけど、元の生活に一旦戻して、次の受け入れ先をじっくり探せばいい。次は絶対に間違いないところを・・・と言うか、「X」でなければどこでもいい。これは力になってくれた市議さんも言ってた。
「私もいろいろな方から『どこの施設がいい?』って聞かれるんですけどね、立場上あそこがいい、ここがいい、とはなかなか言えないんです。だけどね、『X』はやめておきなさい、『X』以外ならどこでもいいわよ、って言ってるんですよ」

そう、あんなに最低な施設はそこらじゅうにあるわけないし、あったら困る。ただ、空きがある施設が見つからない。これはほんとに入所介護の必要な年寄りを抱える家族が一番困っている現状だ。人気の高い施設は特に空いてない。何百人待ち、なんてところもある。そこまで人気が高くなくても、空いてない。

当面、前に利用していたデイサービスに再度行かせてもらえるよう、頼んだ。


さて、姑を連れ帰った翌朝、電話が鳴った。
Nパパがあちこち入院先を探して電話を掛けていた病院の一つ、佐伯区のG病院からだった。
ここは一度、満床のため断られていたが、Nパパの必死の訴えが病院側を動かしたのだろう。
姑の認知症の悪い状態、私の病状、経済的問題、老健「X」でのひどい対応・・・これらを電話でひたすら訴え続けた結果、G病院が緊急入院に応じてくれることになったのだ。

私たちはすぐに準備をして姑をG病院に連れて行った。
病院に着くと、院長が診察室から出てきて迎えてくれた。
問診は短い時間だったが要領を得ていて、今まで出会った誰よりも姑のレビーの症状を的確に言い当て、私たちはびっくりだった。
あっという間にレントゲン撮影や検査をして、即入院が決まり、入院申し込みの手続きをすることになった。手際の良さも、説明の丁寧さも、病院の清潔さもとても気に入った。

姑は我が家に帰ったのは一晩だけ。翌日からG病院の介護型病床(認知症対応)の入院患者となった。
この日午後、私は自分の抗がん剤治療も受けに行った。何ともあわただしい・・・

さらに夕方、老健「X」からの封書が届いた。
入所の料金の請求書だった。

・請求書の内容
21年11月2日~21年11月17日

税込合計金額         54,249円

<内訳>
一部負担金  16日分     17,661円
食費     16日分@390   6,240円 
おやつ代   16日分@100   1,600円
日用品代   16日分@170   2,720円
教養娯楽費  16日分@100   1,600円
居住費    16日分@320   5,120円
洗濯代            13,808円
つなぎレンタル11日分@500   5,500円
 
・・・私たちはほっと胸をなでおろした。
食費も居住費も第2段階の金額にしてある。
第4段階の金額を請求して、二重取りをしようとしたんだろうけど、結局してこなかった。
やはり広島市に告発して、指導に入ってもらったことが功を奏したようである。
多分、行政指導が入った時点でもう事務長としては白旗だったんだろうけど、それでも出鱈目を言ったり脅したりして何とか高額を請求できないかと企んだことは失敗に終わったようだ。

洗濯代の内訳も気になると言えば気になるが、明らかにしたところで高々数千円をどうこう言うだけのことになりそうだし、もうこれ以上かかわりたくないので、目をつぶり、請求金額そのままを払い込むことにした。
広島市の方にもこれで落着したことを報告し、あらためて今回のできごと一部始終をレポートにして送り、このような施設にもっと改善を、と意見を加え、大団円。


これで、あやしい老健との対決体験記、おしまい!!


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人質奪還【あやしい老健体験記 その8】

2010年03月02日 | 認知症介護
さて、あやしい老健「X」から姑をついに連れ戻せることになった。
次の入所・入院先はまだ決まっていないのが不安ではあるが、それでもここへ預けているよりはよっぽどましである。

11/17午前10時過ぎ。
Nパパと「X」へ行き、事務室へ。
事務長から預けたままにしていた保険証類を返却され、事務室のカウンターの前に誘導された。

「ここはビデオカメラでずっと撮ってますから、ここで話してください」

私たちがまるでクレーマーか不審者扱いである。こちらは正当なことしか言わないつもりなので、そこで話すことも厭わなかった。事務長がまず料金の話を切り出す。

「料金をどのようにしようかということなんですけどね・・・居住費は日額1200円になります」

「『介護保険負担限度額認定証』を使えるのではなかったのですか?入所前に電話でも対面でも『使えます』と言われたではないですか?」

(※2回も「多床室500円が、限度額証で320円になります」と説明されている)

「こちらで預かることが出来ない、と電話で言いました時から、契約は破棄されたことになっています。限度額証での契約はしておりません!」

「こうして、限度額認定証を提出していたではありませんか」

「限度額証は使わなければいけないと言う物ではありません。それに最初に第4段階で入所申し込みをいただいています」

「ええっ???姑は第2段階ですが、なぜ第4段階で申し込みと言うことになるんですか?」

「この申し込み書は第4段階用のものです」

事務長はそう言って私が初日に記入して提出した入所申込書を出して見せた。
しかし、「第4段階」という文言はどこにも入っておらず、単なる利用同意書である。(注:第4段階とは、減額なしの扱いで、一番料金が高くなる。)

「他の方も同じように第4段階で申し込みを頂いています。同じ書類ですよ、ほら!」

と言って事務長はファイリングしてある他の入所者の書類を私に見せつけようとしたが、他の方のを見ても意味ありませんから、と断った。もう、この期に及んで何を言ってるんだって感じ。大体、他の入所者の個人情報が書き込んである書類を見せびらかすなんて違法である。

またしても言った、言わないで押し問答になり、腹を立てた事務長は、「先生を呼んできます」と呼びに行く。

この間、若い女性のケアマネ(初対面)からケアプランやケアの内容など細かく書いた書類を見せられ、確認して署名捺印。

しばらくして男性の老医師が来て、事務室となりの部屋に案内される。
部屋には事務長、ケアマネ、男性介護職員も入ってきた。

事務長は老医師に、私たちに説明をするよう促した。

老医師は、私たちの前でゆっくりと言った。
「お母様は、徘徊、放尿、などがあるため、老健では預かれません。病院に入院が必要です」

「それで、私たちは、入院する病院をさがしました。そして、K病院からそちらに連絡してもらいました。それを、そちらが断って受診させなかったのではありませんか。受診を一度もしないで入院をさせてくれる病院はどこにもありませんよね、先生?」

老医師は、うなずいていた。

老健では預かれないほど認知症の症状が重かったので、料金がたくさんかかるのはしょうがない、という説明をしたかったらしいが、それでは私たちが「K病院にかかりたい」と言ったのにかからせなかったことが矛盾している。
逆に、その後「症状が落ち着いているのでうちで見れます」とまで言っている。つじつまが合わないこと甚だしい。

事務長は医師の説明では私たちをうまく丸め込めなかったので、またまたイラついてきて、再度事務室前のカウンターの「ビデオ撮影している」とかいう場所に私たちを誘導した。

「次に、つなぎ服(拘束服)と洗濯代についてなんですが・・・つなぎの服については、1日500円で貸し出しということにしたいと思います」

これは適正価格なのか私たちにもよくわからないのだが、購入させられるよりは安く済みそうなので、反論することもなかった。

洗濯代については、男性介護職員が洗濯物の表を持ってきた。
表には衣類の種類ごとに洗濯した回数が正の字で記録してあった。
「汚染」という項目は、尿などで汚れた衣類の洗濯のことで、消毒して別に洗濯するらしい。十数回分の記録があった。

事務長はそれを見て、
「これは回数が少なすぎるわ。ほら、他の入所者の座布団とか、持ち物にも放尿して、汚してしまったのもあったでしょ。それらが書いてないんじゃないの!? もう一度洗濯室へ行って調べて来なさい!!」

と怒鳴った。男性介護職員は走って行った。

「とにかく、こんなふうにスカートを上げて、紙パンツを下ろして(身振りをしながら)他の方の部屋やあちこちで、あっちでシャーッ、こっちでシャーッ、て放尿されるんです。何回も何回も!!それに、掃除機にも放尿して、使えなくなってしまったんですよ!!」

こちらが何か言えば、その掃除機の修理費用とか、言い出す勢いだったので、私たちは黙って聞いていた。しかし放尿のモノマネまでして見せるとは・・・腹が立つのを通り越してお笑い種である。

また、洗濯は初めに「汚染」になってしまった衣類以外は自宅での洗濯をすると申し出ていたのに、途中から全部の衣類が施設での洗濯に変えられていた。
11/7に私が洗濯物を取りに行った際、汚れ物が見当たらないので女性職員に聞いたら、「尿で汚されることが頻繁なので、今のところすべて汚染になって施設洗濯になっている。尿以外で汚れた物があれば、置いておきますので持ち帰ってください」と説明された。
汚染以外の施設洗濯は申し出ていないのでおかしい、と言ったのだが、洗濯室の表を見に行った男性介護職員が帰ってきて、
「前の表が破られていて、もうわかりません」
と言った。どうやらこの職員は私たちの味方になって、事務長の暴走を少し止めてくれたようだ。怪訝そうな顔をしている事務長に私は言った。

「請求額が適正かどうかは広島市のほうにまだ調べてもらうことになっているので、料金の件についてはまた後日と言うことにしましょう」

すると事務長は
「請求書が届いてから文句を言ってください!」
と捨て台詞。

この後、職員が手伝ってくれて荷物をまとめ、姑を連れて「X」を出た。エントランスのところで最後に職員や看護師長らスタッフが並んで見送ってくれた。事務長の姿もその中にあったが、私たちは黙って車に姑を乗せ、家に向かった。

これからどうすればいいんだ・・・
しかし、とりあえず、恐怖の老健から人質奪還である。


(つづく)

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Nパパの奥の手に、激しく怒る事務長【あやしい老健体験記 その7】

2010年02月16日 | 認知症介護
頼みの綱だったK病院からも入院を断られ、姑の行き場所は当面ない。
しかし、これ以上あやしい老健「X」に姑を置いておくわけにはいかないので、最後の手段に出ることにした。
次の入所先が決まるまで、自宅に連れ帰ろう。
姑は混乱するだろうし、私たちも大変手が掛かるが、「X」に置いておくよりはずっとマシだから。

11/13夕方。
「X」へNパパが電話。
「病院へも転院させてくれないのなら、もう退所します」

「すぐに退所はできません。手続きに1週間はかかります」

「じゃあそれでお願いします」

事務長は返事もせずに、いきなり電話を切った。
あいかわらずの態度である。
その数分後、「X」事務長から電話が掛かってきた。

「利用料金のことですが・・・洗濯代、つなぎ服の貸し出し代金、部屋代が1日1200円・・・」

「あのー、部屋代が1200円と言うのは、違うんじゃないですか?」

居住費は介護保険負担限度額認定証が使えることを入所前と、入所申し込み時に確認済みである。
姑は収入が少ないため、第2段階で、食費は390円/日、居住費は320円/日で利用できるとのことだった。

「とくにお母様には手間がかかっておりまして・・・特別に加算させていただきます」

「またそんなことを・・・つなぎ服についてもこちらの希望ではなかったんですが」

「責任はもうまったく持てませんと奥様がおっしゃったじゃないですか。だからうちで責任を持ってやるしかなかったんです!!」

「そんなことは言ってませんが?」

「いいえ、奥様はおっしゃいました」

この間は「状況を見ながらの対応をお任せします」と言ったことを、「聞いていない」と主張したのに、今度は「任せます」と言ったことをこちらの責任放棄とすりかえて主張するのか・・・もう無茶苦茶である。

ここでNパパは、奥の手を出した。

「またそういうやり方ですか・・・これ以上おかしなことを言われるのでしたらこちらにも考えがあります。行政のほうに申しますよ」

これを聞いて事務長は激しく怒り出し、

「Sさん(紹介者)に言いますよ!!」

と言って電話を切った。

このあと、怒った事務長はSさんに苦情の電話を掛けたのだろう。Sさんからうちに電話があり、事務長にもう一度電話するように言われたが、「電話をかけても切られてしまいます」と説明すると「それはいかんね」と言われた。

後から聞いた話だが、この日さらに事務長は私の実家にも苦情の電話を掛けて私たちの誹謗中傷をしていたらしい。あなたの娘さんはひどい人だ、姑さんは認知の症状が重くてこちらでは面倒見られない、娘さんが病気で姑さんの介護ができないのなら、あなたが介護されてはどうですか?・・・それまではSさんの肩を持って、言うとおりにしんさい、と言ってた両親だが、これを聞いてさすがに、おかしいことに気が付いたようだ。何で娘の悪口を聞かされた上に、娘の姑の介護までしろ、と無茶なことを言われないといけないんだ!?

それから私が非常に腹が立ったことは、業務上知り得た個人的な情報であるはずの姑の症状や、私たちへの誹謗中傷を第3者である紹介者Sさんに逐一報告していることで、守秘義務に反している。
それでも紹介者だから話すのは仕方がないと私たちも考えたが、私の実家の電話番号までSさんから聞きだして両親に姑の症状などを報告するのは、行き過ぎだと思う。


11/16
さて週があけて広島市健康福祉局環境衛生課へ連絡、「X」側が次の入院先も断り、退所もすぐにはさせてくれないという状況になってしまったこと、また、このような信用できない施設にこれ以上姑を置いておくには不安があり、1週間も待たされるうちに何を言われるかと思うとストレスが増大し、料金もかさむばかりになる、と相談。
13日の時点では退所後に調査・指導をと頼んでいたが、即刻、事実確認に行ってもらうことにした。

当日中に動いていただき、行政指導が入ったおかげで、翌日には退所できる運びとなる。
やったー!!
ついに呪縛から逃れることができる!!


(つづく)

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行く手を阻まれ・・・【あやしい老健体験記 その6】

2010年02月05日 | 認知症介護
11/11
言うことが次々変わり、ウソをつかれ、こちらをクレーマー扱いにし・・・まったく信用できない老健「X」へ、これ以上姑を預けておくわけには行かない。

姑もどんな目に遭わされるかわからない上に、入所期間が長くなるほど金銭的な負担もどれほど増えるか・・・

しかし、せっかく話をつけた転院先のK病院も勝手に断られてしまい、行く手を阻まれてしまった。

どうすればいいんだ!?

そこで、つてをたどって、介護に詳しい市議会議員を紹介してもらい、相談した。

この議員は、昨年のリレー・フォー・ライフの時にも姿を見た、元気な人だ。

電話で、老健「X」の名を出すと・・・開口一番、こう言われた。

「まあっ!!あなた、まさかあそこに入所させておられたなんて・・・!!」

「あそこは、もうとにかく問題の多いところで、広島市にも、たっくさんの苦情が寄せられているんですよ!! 以前、新聞記事になったこともあるくらいです。あそこの事務長さんていう方がとても難しい人だと聞いてますし、スタッフにもお姑さんのレビー小体型認知症に詳しい人はいません。あそこに入所させていても、お姑さんは決して良くなることはありませんよ。なるべく早く、受け皿となる病院か施設を探して、退所させることですよ」

やっぱりそうだったんだ・・・しかしよりによって最悪な施設に入れてしまったなんて、なんて運が悪いんだ・・・いつも悪いけど・・・

市議さんは、受け皿探しに協力してくださるとのこと。また、「X」でのこれまでの経過を広島市健康福祉局へも報告するよう助言されたので、メールと電話で全容を報告。


11/13
広島市健康福祉局環境衛生課から連絡があり、これまでの経過についての報告を受け付けた旨と、これから「X」へ改善をするよう行政指導を行うことの可否を尋ねられたが、こちらはもう退所を申し出るつもりなので、今さら対応を改善されても意味がないし、逆恨みでさらに意地悪されるかも知れないと考えて、行政指導は退所後にして欲しいと伝えた。

次の入院先としては、再度K病院に依頼してみては、と市議さんや区の介護福祉課にも助言されたので、電話をかけ、以前応対してくれた職員と話した。

「まずとりあえず、事情があるのだからなるべく入院できるように、お願いしたいので、受診の予約をお願いします」

「今、病院がとても立てこんでいますので・・・受診自体いつになるかわかりません」

「緊急的な状況なので、早く見てもらうことはできませんか?」

「そちらの状況は緊急的とは認められません。今いる施設に満足できないとおっしゃってるだけですから」

「でも、とても困っているのです。それでは僕達がどうなっても知らん、と言うことなんですか?」

「(笑いながら)そうですね~」

何だか、態度が変わっている。この間はとても親切だったのに、何で手のひらを返したように拒否するんだ? しかも笑いながら!!

「行政にも相談して、そちらに対応を頼んだ方がいいと言われたからお願いしてるんですが・・・」

「それなら、行政の方から直接当病院に言ってもらったほうが話がスムーズかもしれませんね~」

そんな風に言われたので、佐伯区介護福祉課に電話で頼み、K病院へ連絡してもらった。

夕方回答があり、「K病院では、受診も入院も受け入れられないと断られました」とのこと。どうなっているんだ!?

(このときK病院の態度が急変したのは何故なのかは、知る術もなく、今も謎なのだが、「X」の事務長が私たちをクレーマーだと伝えたのではないかと私は思っている。K病院だって病床が空いて困っているわけでもなし、トラブルのありそうな患者家族をあえて受け入れたくはなかったのではないか? どちらにしてもそんな対応のK病院にも信用はおけない。)


(つづく)


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入院はできません!?【あやしい老健体験記 その5】

2010年02月02日 | 認知症介護
11/10、姑の次の入院先を認知症対応の病棟があるK病院に決定した。
決定したからと言って簡単に転院できるわけではない。
一度も行ったことのない病院ではあるし、まずはK病院の医師に診察を受けて入院可能か診断してもらわなければならない。
翌日11/11に老健「X」から直接姑を病院へ移動させ、診察を受け、入院可能なら即日入院の予定で病院側と話をつけた。
トラブルを防ぐため私たちから老健「X」に連絡するのは避けて、K病院側から連絡を取ってもらった。

その日の午後、「X」の事務長から電話があった。

「先ほどK病院から電話がありました。お宅様がK病院にお母様を入院させたいとの申し出をされたそうですが、入院は出来ませんので」

「ええっ!? こちらとの話では、明日診察を受けて、必要と診断されたら入院できる、と言われたんですが!?」

「通院での治療は可能ですが、『入院は絶対できない』と断られました」

「そんな馬鹿な・・・」

「私どもも入院は必要ないと思いますので、こちらでお預かりします」

「そんな・・・そちらが預かれないから入院するしかない、入院先を探せとおっしゃったから探して連絡したんじゃないですか!?」

「こちらに入所されて、時間が経ったので慣れて来られたのでしょうね。それにこちらで出しているお薬を飲まれて落ち着いておられます。それから、自分で脱ぐことができない、つなぎのような服を着せたので、あちこち放尿されなくなったんです。今は貸し出しのを着ておられますが、着替えも必要ですので、つなぎ服を2枚購入していただきたいと思います」

姑も時間が経ってそれなりに順応して来たのだろう。最初は手を焼かされ厄介物扱いで早く追い出そうとしたが、おとなしく扱いやすくなったと見ると、今度は金の取れる客として、逃すもんか、という態度に変わったと思われる。

さすがに堪忍袋の緒が切れた。

「役所や包括支援センターやあちこちに電話してやっと入院先を見つけて診察の予約までしたんですよ!! 何でそういうことになるんですか??」

「何かあれば事情はその時々で変わりますからね。お宅様こそ、そんなにクレームばかり言われても困ります!!薬は飲ませないでくれ、とか拘束しないでくれ、とか、いちいち文句をつけられるんですから!!」

「ちょっと待ってくださいよ、私らがいつそんなクレームを言いました? 私らは薬のことだって拘束のことだって、クレームを言ったどころか『状況を見ながらの対応をお任せします』と何度も言ったじゃありませんか!!」

「そんなことは聞いておりません」

「言いました!!」

「聞いておりません」

「言いました!!」

・・・これでは、こどものケンカである。

ここで私たちは、事務長が、嘘つきで話のまともに通じない相手だとやっとわかった。マジギレである。
しかし相手は力を持っていて、しかも私たちは姑と言う人質を取られている。
下手に手出しができない・・・


その後K病院に確認の電話をすると、病院側が入院できない、と言ったのではなく、老健「X」側が「入院は必要ありませんので」と断わったらしい。

(つづく)


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姑の眉に傷【あやしい老健体験記 その4】

2010年01月31日 | 認知症介護
老健「X」に強い不信感を持った私たちは、姑を入院させてくれる病院を探した。
精神的ストレスがひどい。
私の病気にストレスは大敵なのに・・・
これ以上姑を「X」に置いておくと、私たちも何を言われるかわからないし、人質状態の姑も何をされるかわからない。
とにかく、緊急避難させたい、と思った。
家に連れ帰ることも考えたが、認知症の姑を一旦帰宅させると、次に連れ出すのは容易なことではなくなるので、施設から施設に移すべき、と地域包括支援センターの職員にも助言された。

それから包括支援センターの力も借り、預かってくれる施設を調べた。
しかし、老健や特養は当然空きがなく、順番待ちである。
以前姑がデイサービスに行っていたとこの特養なんか、三桁も待ってる人がいるらしい!!
となると、やはり病院へ入院ということになる。
病院なら、すぐに入れるところも探せるだろう。

本当は、病院に入れたくはない。
詩やエッセイを書くことと、社交ダンスが趣味で、華やかなファッションと、洋風の家具のある部屋を好んだ姑を、病室に入れたくはない。
たくさんのお金をつぎ込めば素敵な個室のある施設にでも入れるのかもしれないが、この先私の病気治療にどれだけかかるかわからないのに、それはかなわない。

それに、どんな施設でも夜寝ないで歩き回る年寄りには対応が困難なので、ある程度神経科の治療をしなければならないのはやむを得ない。一時的にでも病院に入院させることは必須だろう。

さて、「X」に洗濯物を取りに行き、姑に面会したとき、姑の右眉横に傷があるのを発見した。看護師に尋ねたところ、
「ベッドから落ちて怪我されたんですよ。連絡しませんでしたっけ?」
と言われた。こちらは初めて聞いた。
汚れ物が見当たらないので女性職員に聞いたら、
「尿で汚れた衣類は、『汚染』と言って施設で洗濯させて頂くことになってます。尿で汚されることが頻繁なので、今のところすべて汚染になって施設洗濯になっているんです。尿以外で汚れた物があれば、置いておきますので持ち帰ってください」と説明された。(この後、尿以外で汚れた洗濯物を持ち帰ることはなかった)
ケガについての連絡もなく、衣類もどんどん施設で勝手に洗濯されている。
いろいろ細かい不審な点は増えてくるが、事務長に話すと何を言われるかと恐ろしいので、電話も控え、面会時も事務室の前を通らないようにこそこそ行く始末。
介護職員の人たちは誠実そうなのが救いだったけど・・・
姑の肩を抱いて、涙が出た。

それから数日間、あちこちの病院に問い合わせて、西区のK病院に受け入れてもらえる話がついた。しかし・・・

(つづく)

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預かることができない、と言われる【あやしい老健体験記 その3】

2010年01月25日 | 認知症介護
姑が老健「X」に入所して3日目の11/4夕方、事務長から怒った口調で電話があった。

「お母様がもう・・・それはそれは徘徊がひどく、あちこち歩き回ってはいたるところに放尿されます。車椅子に座らせてもベルトをすり抜けて降りてしまわれるんです。安定剤を飲ませても落ち着かないし、夜も寝ません。このままでは私どもが一番心配しているのは怪我をされるかもしれないということです。窓ガラスを叩かれたりして、もし割れてしまったら大変なことになりますよ!!」

事務長の語調はさらに強くなる。

「お宅様が持参されているアリセプトは、お母様のレビー小体型認知症には効かない、と当施設の医師は言っております」

(注:アリセプトは脳外科病院で出してもらっている認知症の治療薬。アルツハイマー型認知症の薬であるが、レビー小体型にはアルツハイマー型の半量を処方すると効果があると言われている。ここの施設では処方できないと最初に言われたので、漢方薬のヨクカンサンとともに入所前に3か月分ほど脳外科で出してもらって持参した。)

「ちょっと待ってください! アリセプトは脳外科の方で、レビー小体型認知症の治療のために、一日1/2錠ということで出されているんですけど」

「しかしこちらの医師はアリセプトとヨクカンサンではこの徘徊や放尿などの症状には対応できないと言っております!」

「そう言われても・・・今まで脳外科の方ではアリセプトとヨクカンサンしか出ていませんし」

「医師によって見立ては違いますから」

「アリセプトは認知症の進行を抑える薬と聞いていますが・・・」

「じゃあ、お宅におられた時には、アリセプトとヨクカンサンで症状がおさまっていたのですか? 夜寝て、徘徊もせず、放尿もしなかったとおっしゃるのですか?」

事務長の口調はどんどん私を責めるようなきびしいものになっていく。
姑が重い症状なのは、私たち夫婦が悪いと言わんばかりで、こちらもだんだん腹が立ってきた。

「・・・そんなことはありません。アリセプトやヨクカンサンはそういう薬ではありませんから。徘徊や放尿があることは入所する前にお伝えしたではありませんか」

「それは、Sさんの紹介してくださった方ですから、お預かりすることにしたのですよ。しかしお母様のような症状の方には神経科の薬(向精神薬)を使わねばならないのですが、当施設では出すことができないんです。このような方はもう、こちらではお預かりすることができません!!」

「それじゃあ、いったいどうすればいいんですか!?」

「神経科の病院に入院させてください。こちらでは病院を紹介できないので、あなた方のほうで入院先の病院を探す努力をしてください!」

何てことだ・・・
入所3日目にして施設から追い出されることになるのか・・・
それにしても姑は認知症の症状で徘徊や放尿をして、それを家で私が面倒見ることができなくなったから施設に頼んだのに、そのこともSさんや施設側に理解してもらった上で入所させてもらえたと思ったのに、徘徊や放尿をするから預かれないと言われるなんて!!

むかついて電話を切った直後、またも実家の母から怒って電話がかかってきた。

「さっき、また紹介者のSさんから『ご主人が施設の介護に口うるさく指図してくるので、これではお姑さんを預かることができません』と事務長さんが困って電話してきた、と言われて怒られたよ!!どうなっとるんね!!あんた達はどうしてそんな態度ばっかり取るんね!!」

「ちょ、ちょっと待ってよお母さん!! 何それ!? 何で事務長は私より先にSさんに電話しとるわけ?」

「紹介者じゃけえ、相談したんじゃないの」

「それはそうだけど、預かることができないのなら、私たちにまず先に言ってくるべきじゃないの? それに、『ご主人が施設の介護に口うるさく指図してくる』って言うのはおかしいよ。だってNパパは入所した日の夕方しか施設と話をしていないし、指図もしてないよ。その上私のほうには、認知の症状がひどいから預かれない、と言ったんよ」

不機嫌な態度は変えない母だったが、Sさんの話と私の話に食い違いがある、どうもおかしい、ということは理解してくれた。

入所当日と言い、この日と言い、事務長は、姑が予想以上に手が掛かるので、こりゃ困った、と思ったのだろうが、私たちに苦情を伝えたら、すぐに紹介者Sさんに私たちが報告・相談するだろう、そうすると自分の立場が弱くなる、と見込んで、私たちに電話をする前に先回りしてSさんに連絡して、私たちを悪者に仕立てて、二枚舌を使って予防線を張っているのではないかという疑念を持った。

この施設は信用できない。

しかし、一旦家から出した姑を家に連れ帰るのはまた大変なことになる。
何とか次の受け入れ先を見つけなければ・・・

このあと、包括支援センターに協力してもらい、数日かけて入院可能な病院情報探しをすることになった。

だが、私たちにはさらなる困難が待ち受けていた・・・

(つづく)

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入所1日目のできごと【あやしい老健体験記 その2】

2010年01月22日 | 認知症介護
姑を老健「X」に入所させた当日の夕方、事務長から電話がかかって来た。夫が対応。事務長はとても焦った様子。

「お母様が、大変なんです!! あちこち歩き回って、そこいらじゅうの物を触られて・・・さっきなんか、デイルームの大きなテーブルをひっくり返してしまったんです!」

「ええっ!?・・・日常的に家の中でも歩き回ってはいましたが、そんなことをしたんですか!?」

家の中を歩き回り、声を出したり、ドアをどんどん叩いたりすることはよくあったけど、テーブルをひっくり返すようなことはしたことがない。とても小柄な姑なのに、そんな力があったんだろうか?

「そうなんですよ。こちらは認知症対応の施設ですが・・・こんな乱暴なことをされる方は初めてですよ!! 幸いケガはなかったんですが、このままだと危険です。もうとにかくあちこち歩き回られ、他の入所者の方のお部屋に入って放尿したり、物を触ったりするので、みなさん怖がっておられるんです。危険を避けるために、車椅子に乗せて拘束させていただけませんか? それと、精神安定剤がこちらで出せるので、飲ませてもよいでしょうか?」

「行ったばかりで興奮しているのかもしれないですから・・・もう少し落ち着くまで、様子をみていただくわけにいかないでしょうか?」

「夜間になると、スタッフも少なくなるため、一人だけに付いてずっと見ているわけにもいかないのです。スタッフの目が届かない時間に事故が起こってはいけないですし」

「そうなんですか・・・それでは薬も拘束も最小限度で頼みます」

「危険を避けるための身体拘束をするのに、ご家族の同意書が必要になります。次に来られた時でよろしいですので、記入していただけますか?」

「はい。では様子を見ながらやっていただくということで、判断は、おまかせします」

それから数分後、今度は私の携帯に事務長から電話がかかってきた。事務長は困り果てた口調。

「ご主人にお電話したんですが、理解してくださらないようなので・・・」

「どういうことでしょうか?」

「お母様が歩き回られ、あちこちのお部屋で放尿したり、テーブルをひっくり返したり・・・(以下略)このように困った状況なので、ケガをされるかもしれません。車椅子に座らせて、ゆるいベルトで固定したいと思うんです。それと、精神安定剤も使わせて欲しいんです」

「車椅子に固定するのは仕方ないとして、薬のことはどうでしょうか・・・母は他にも薬を飲んでいますし。どのような薬ですか?」

「メディピースという薬で、一般にデパスとも呼ばれています」

「デパスですか。私も飲むことがありますのでわかります。では、薬も必要なら最小限度ということで様子を見ながら使ってください。おまかせしますのでお願いします」

夫が電話を受けているそばに私もいたので、言ってる内容が同じなのはわかったが、何で私の携帯にもかけて来るんだろう? 念押しにしては口調がきつく、責められているようだった。それに「ご主人が理解してくれない」というのはヘンだ・・・

さてこの電話を切った直後に私の実家の母から電話が掛かってきた。

「もしもし。今、Sさん(老健「X」を紹介してくれた、両親の知り合い)から電話があったよ。なんか『ご主人が理解してくれない』と事務長さんが困ってSさんに電話をかけてきたらしいけど・・・どんな施設でもそんな態度では預かってもらえないよ! Sさんの顔で紹介してもらったのだから、失礼のないようにしなさい!!」

「それは・・・話が途中までしか伝わってないよ。理解してるし、薬も拘束も同意したから、心配しないで」

「そう、それならいいけど」


翌日11/3の午後、「X」に出向いた。
拘束の同意書に記入、押印。
姑は歩き回っているがわりと落ち着いている様子。
昨夜は施設から出た薬を飲み車椅子でウトウトして眠りについたと看護師から説明があった。
姑がひっくり返したというテーブルを見た。
小さいテーブルとは言えないけど、ひっくり返せないほど重い物ではない感じ。
よっぽど気に入らないことがあったのかなあ。
ベテラン風の看護師は、「初めはそんなこともありますよ。だんだん慣れるから大丈夫ですよ」と言ってくれた。

健常な人だって、新しい環境に移ったら、緊張したり興奮して眠れなかったり普段と違う言動をすることがある。
ましてや認知症の姑である。戸惑ってわけがわからなくなるのは当然だと思う。


しかし、さらにその翌日11/4の夕方、再び事務長からの電話に、私たちは愕然とさせられる。

(つづく)

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入所までの経緯【あやしい老健体験記 その1】

2010年01月20日 | 認知症介護
さて、長らくお待たせしましたが、【あやしい老健体験】のお話を始めたいと思います。
わが姑を去年の11月に、広島市内のとある老人保健施設に入所させたところ、とんでもない目に遭ってしまいました。
入所期間は半月ほどなんですが、その間に姑と、私たち夫婦に降り掛かった事件をお伝えします。
現在姑は介護療養型の病院に入院し、安定して日々穏やかに過ごしています。

なお、読みやすくするためある程度脚色を加えていますので、会話の内容などは事実と異なるところもあります。




同居の夫の母(78歳)は、レビー小体型認知症で2008年10月より脳外科病院外来で薬物治療を受けつつ、週5回のデイサービスを受けていたが、最近認知の症状が悪化し、失禁多く、昼夜問わず幻覚に悩まされて徘徊し、騒ぐことが多くなった。
要介護度3。
私も転移性乳がんで抗がん剤治療を続けており、健康状態がよくないため、自宅での介護に限界を感じ、ケアマネージャーにずいぶん前からショートステイや入所を申し出ていて、年内には何とか入れるように、と動いてもらっていた。ところが数ヶ月かけて出たケアマネの答えは「施設に空きが見つからない、ショートや入所の見通しも立たない」であった。どこの施設も順番待ちなのはわかっていたが、私の身体的事情があるので優先順位は高くなるはずなのに、事情を汲んでくれないケアマネに腹が立った。
やむを得ず実家の両親の知り合いで介護に詳しいSさんに相談することにした。
Sさんは初対面にもかかわらず、親身になってくれ、「大変じゃね。ケアマネもいろいろな人がおるからね。でも一歩踏み出さないとね」と心当たりの施設を紹介してもらうことになった。

10/24 
Sさんより電話があり、老健「X」に空きが見つかったわよ、と紹介された。
Sさんはここの事務長と知り合いで、以前施設を見学に行ったが、中区の交通の便のよい場所にあり、ホテルのような立派なところよ、と話してくれた。なかなか空きがないので、早いほうがいい、すぐに連絡してみなさい、と。
そこですぐに老健「X」に電話し、事務長と話した。
事務長は落ち着いた感じの声の女性だった。
姑の状況、費用などについて相談した。食費は1500円/日、居住費(部屋代)は500円/日、おやつ代や娯楽費などがこの他に掛かる。
介護保険負担限度額認定証を持っているが、使用できるか尋ねた。
姑は第2段階で、食費は390円/日、居住費は320円/日で利用できるとのこと。
「通常の金額との差額が広島市や国から出るわけではないんですよ。なので以前は使用はお断りしていたんですが、このご時世ですからそうは言ってられませんので、今は使えるようにしてます」とのこと。

今思えばここから事務長の言葉のウソがあったのだが、このときは「負担金の差額を出さないなんて、介護保険制度はやっぱりどうかしているな。施設が赤字経営になるのも無理はないがそれでも入れてもらえるならありがたいことだ」と私は素直に思ってしまった。

10/25
施設をとりあえず見てみないと、と「X」に電話し、見学を申し入れた。日曜のため事務長が不在だったため、事務長が自宅より折り返し電話をくれた。見学は今日はスタッフが少ないためできないとのこと。
姑は帰宅願望が強く、デイサービスに行っても「帰ります」といつも言っている。施設に慣れるか不安だ、と相談すると、
「認知症はそういう病気なのですから、対応しますよ」
と言われ、心強く思った。

10/26
午前「X」へ出向く。
受付前のロビーは豪華な家具調度がそろえられ、なるほどホテルのようだった。
事務長が応対し、認知棟の見学。リハビリ室で入所者が訓練を受けているところや、今一床だけ空いているというベッド、デイルームなどを見せてもらう。
パンフレット、入所申込書等書類をもらい、費用についての説明を再度受けた。
「空きを待っている人はたくさんいて、さっきも他の方が見学に来られたんですよ。
もし何かあったら連絡するので、ここにあなたの連絡先を書いてください」と、メモ用紙を出されたので、住所や電話番号を書いた。

10/27
一晩検討した末、「X」へ入所を希望すると電話で申し込んだ。OKの返事。入所日もこちらの希望にあわせて11月2日にしてもらえた。デイサービスでさえなかなか行ってくれないことがあるのに自分らで連れて行くのは難しいかもしれない、と相談すると、職員が車で迎えに来てくれることになった。

11/2
11時頃「X」の職員が車で迎えに来た。
紳士的な職員だったせいか、姑はすんなり車に乗り、連れて行かれた。

その日の夕方、事務長からの電話に夫が出たところから、話がぐるりと展開し始める。

(つづく)


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えっ、あなたも!?

2009年12月24日 | 認知症介護
今年のクリスマスケーキは姑がいないから小さいのを3人で分けて食べた。

姑がG病院の介護型病床に入院して1ヶ月あまり。
落ち着いているらしい。

週に2度ほど面会に行くんだけど、ずいぶん穏やかないい表情を見せてくれるようになった。

ただ・・・認知症はさらに進行したようで、もう普通の会話は成立しないし、私のことも、息子のことも、孫のことも、わからなくなってしまった。

私が行くと「みえちゃん」と呼んでくれるんだけどな。
でも、「みえちゃん」が誰なのかわかってないみたい。


先週の土曜に歯科医師会クリスマスパーティーがあった。
隣の席に座った少し年上の歯科衛生士Kさんと、久しぶりにいろいろな話をした。
Kさんのお母さんやお姑さんも認知症があり、介護の話で盛り上がった。
「施設もさまざまだから、よく情報を調べないとね!!」
「ほうなんよ!!今年姑を知り合いの人に紹介された老健に入れて大失敗だったの」
「ええっ、どこの老健?」
「中区のHというところなんだけど」
「んまあ!!うちも姑を2年前にそこへ入れたことがあって、大変だったよ!!」

被害者はうちだけじゃないらしいことは知ってたけど、身近にいたなんて!!
おそるべし・・・
うちの被害状況は現在まとめ中なので、お楽しみに?


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混乱のN家~とりあえずホッとしたけど

2009年11月26日 | 認知症介護
11月18日に姑は自宅から車で10分ほどの介護療養型病院に入院しました。
1週間が過ぎ、姑はまだ不穏な状態が続いてはいますが、良いスタッフに見守られているようです。
残念なのは今月初めに老健に入所した頃よりも認知症がさらに進んでいるように見受けられるところです

このたびの老健とのトラブルについては、行政に間に入ってもらい、一応個人的には形としては解決しました。

たまたま入った老健が驚くべき無法な施設だったのは、運が悪かったのかもしれませんが・・・

ただ、こんなことが起こるようなおそまつな高齢者福祉の状況である広島市、日本では困るのです。

このたびの一連のトラブルをもう少しまとめて、行政にあらためて訴えるつもりです。
ブログでも、近々形にして皆さんにお伝えできれば、と思っています。


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人質解放

2009年11月17日 | 認知症介護
今日午前、姑をあやしい老健からやっと連れ帰ることができた。

16日ぶりの開放である。

とりあえずホッとしたが、まったく事態は好転していない。

むしろ、入所前より悪くなっている。
余計な労力とお金と精神的肉体的ストレスてんこ盛り掛かる。

あたしゃ何でこんな苦労ばかり背負い込んでるんだろう?

それでも、正義のため闘うのだ!!


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