徳川家康を埋葬しお祀りした神社
久能山東照宮に行く…
徳川家康は、元和2年(1616)4月17日に75年の生涯を終えたとき
「自分の遺骸は久能山に」とのご遺言により、その日のうちに、久能山に運ばれたとのことで
二代将軍徳川秀忠は、久能山に家康を祀る神社を造営することを発令、これが久能山東照宮の始まりだそうで
さてさて、この神社へのアクセス
「いちいちご苦労さん」と1159段の石段を登ってみたいとは、ちょっとは思うものの
便利なものがあれば、利用した方がいいに決まってるし
基本的には、楽なものに流れる自分に弱い人間なので…
1159段の石段を登るアクセスは、即、却下!!!
日本平ロープウエイを使って、楽に…楽に…
出発の日本平ロープウエイ日本平駅から、たったの5分で着いちゃう!!
日本平ロープウエイ久能山駅
歴史を感じる
この石碑
古すぎて、誰もこの石碑の前で写真を撮っていませんなあ
昭和の時代を感じるこのマップが、味わい深いですなあ
「ザ・昭和」ともいえる「史跡久能山」の案内解説板
こちらの案内解説板は
上記のものより新しそう
そして、久能山東照宮全景
こちらも、先ほど写真に掲げたマップよりも
新しそう…
ロープウェイで降りた場所は
ちょうど久能山東照宮博物館のすぐ近く
まずは、ここで
ロープウェイに乗ってた時は、ギュウギュウ詰めでまったく眺めることのできなかった駿河湾の眺望を楽しむ
おお、雲一つない絶景!絶景!!
バカは高いところに昇りたがる!バカは高いところに昇りたがる!バカは高いところに昇りたがる!
そんな性格、そのものの私でして
楽して、この眺望に、もう大満足
まさに断崖絶壁
武田信玄が築城したこの久能山城が難攻不落の城だったことが手に取るようにわかる!わかる!!
…ということで、この近くに徳川家康ゆかりの地でありながら
武田信玄の遺構
武田信玄の軍師「山本勘助」の井戸が近くにあるというので
石段を降りて行ってみる
旧宝物館が残っていて
その左に「勘助井戸」がありました!
いや「勘介井戸」との表示
「山本勘助」とは別の、武田軍の、ただの井戸掘り名人「勘介」が掘った井戸なんでしょうか??…笑
山本勘助は川中島の戦いで、四方を上杉軍に囲まれ、体中を槍で突かれるという壮絶な最期を迎えるシーンを映画でみたことあるけど
駿河侵攻は、その後…
生きていたんだろうか…この井戸を造った頃にはお亡くなりになられてるはずだけど…
と思ってググってみると
近年は「山本勘助」と比定できると指摘される「山本菅助」の存在が複数の史料で確認されているらしい
「山本勘助」と「山本勘介」と「山本菅助」は同一人物なんだろうか…
いやいや、三兄弟だったのか??
あるいは、三人はあかの他人だったのか…
どなたか、史実の解明に「いどんで」欲しいと、この「井戸」の前で思う…
(はい、私は、このオヤジギャグが言いたかっただけ)
そそて、ここにも駿河湾を見下ろせる
絶景ポイントあり
高いところに昇りたがるバカは大満足のこの眺望
このように
武田信玄の城でありながら
家康のお墓があることが有名で
(いや、有名なのは、日光東照宮の方かも知れないけど)
自販機も「徳川家康仕上げ」…笑
実は、さらに石段を降りると、久能山東照宮の一ノ門があって
そこは武田信玄の久能山城の大手門の跡地だった場所らしいんだけど
石段を降りるということは、その分登らなきゃいけないってことで
せっかく楽して、久能山東照宮の山頂へやってきた訳だから
降りるのがもったいないような気がして??
久能山東照宮の一ノ門へ行くのはやめておいたんだけど
今思えば、勘介井戸から近かったのかも知れないな
ではでは
久能山東照宮へと参拝だー!!
急な石段の上にみえる楼門
朱塗りの2階建ての門
もう一言でいえば
豪華絢爛
重要文化財で
扁額には
「東照大権現」
「東照大権現」とは神様となった徳川家康のこと
この扁額は後水尾天皇により宸筆され、勅額御門とも呼ばれているそうな
楼門をくぐり振り返ると、上部の蟇股に獏が彫られています
霊獣の獏は夢を食べると同時に鉄や銅などの金属を食べるとされているとのこと
戦が始まると金属は武器を製造するために使われ、獏は食べるものがなくなってしまう…
そんな獏が生きられる戦のない平和な世の中を、という家康の願いが獏の彫刻に込められているとか…
そばには、この三つ葉葵の水瓶
防火用のための水槽であるらしい
楼門の表側、左右の格子戸内には随身さまが
随身さまは、ちょいと猫背か…
楼門の裏側には
角の有る狛犬と
角のない獅子
楼門の裏側にある徳川家康の手形…
意外と小さい……
38歳のときのこの手形
買えちゃうようです!!
家康マニアには、喉から「手」が出るほどのグッズでしょうか…
はい「手」形だけに…
家康お手植えの梅
これ、梅の季節には「ゆ梅い(有名)」な梅の名所としてマスコミ等に紹介されるのかな
そして
朱色の鳥居が連なる
境内社である稲荷神社、厳島神社との合殿
~でございます…といった丁寧な表示
社殿を支える石垣
どうやら武田軍の久能山城の遺構ではなさそう…
おもと奉納
おもとは日本原産の多年草だと、おもっといて(思っといて)!
手水舎
この時期、ひょっとしたらへばりついているかも知れない、インフルエンザ、新型コロナウイルスの菌を洗い流して…もとい、ちゃんと手を浄めて
家康の愛馬のいてた
神厩で二礼二拍手一礼
「このところ、ご無沙汰である万馬券が新馬戦で獲れますように」
新馬…もとい…神馬に向かって
なんでもこの神馬
左甚五郎作と伝えられる木像の神馬だそうな…
こりゃご利益ありそう!!
石鳥居の写真を
とりいそぎ撮って
右側には鼓楼
明治の神仏分離までは鐘楼だったよう…
鐘は取り払われ、江戸城にあった太鼓を奉納し鼓楼に
参道には歴史を感じる石灯籠(とうろう)が並ぶ
灯籠(とうろう)の横をとうろう(通ろう)…汗
まさに江戸時代の風を運んでくれているような
灯籠及び石段
鼓楼の反対側には石が積まれた基礎があって
ここは三代将軍家光の命により1636年(寛永13)に建立された高さ約30メートルの五重塔があった場所
神仏分離の際に取り払われ、現在は塔跡&ソテツのみが残る
ソテツは駿府城内にあったソテツとのこと
楼門を見下ろす…
このように石段をどんどん登っていきます
さて正面
急な石段の向こうには
唐門
銅瓦本葺黒漆塗で四方唐破風造の門
唐門手前の石段は立ち入り禁止
唐門へは右側からぐるっと廻って唐門内へ入る参拝コースに…
ブログも長くなってて
読むのもひと久能(くのう)…もとい、ひと苦労(くろう)されてることと思うので、続きは次回にね…
ごくのう(久能)さん…もとい…ごくろうさん!!
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