大都会・新宿のど真ん中にあって
廻りは、確かに高層ビル群に囲まれているけど
すぐ横、裏側は歌舞伎町の呑み屋街だったりするけど
ここを訪ねれば、とても新宿のど真ん中とは思えない…
赤色の拝殿が眩しい…
そんな神社
花園神社を参拝する
花園神社の境内に入ろうと参道をみつければ
花園稲荷神社の石碑
あれれれ、花園稲荷神社なんて、この新宿のこのあたりにはみつからないぞと思って
ググってみたら
明治時代は「村社稲荷神社」が正式名称とされていたようで、これは神名帳を提出した際に、誤って「花園」の文字を書き漏らし、「稲荷神社」で届出をしてしまったからだそう…
でも、江戸時代からこの神社は「花園社」と呼ばれており、単に「稲荷神社」といえば総本山である伏見稲荷神社を指すのが一般的で紛らわしいことから、大正5年、東京府知事に対し社号の改名願を提出これが許可され、「花園稲荷神社」となったそう…
昭和40年に、それまで末社だった大鳥神社を御社殿建替えと共に本社に合祀したことから、ようやく「花園神社」が正式名称となったとのことでした…
さて「花園神社」の参道
ビルに挟まれた鳥居の参道は、さすが新宿のど真ん中って感じ
さてさて花園神社の境内へと
明治通り側からも
巨大な赤い大鳥居をくぐって
拝殿に一直線で向かうことができます…
大鳥居の左右に鎮座する狛犬
手水舎もまっかっか…
拝殿は朱色が眩しい…
歴史を感じない新しめの拝殿
なんでも、拝殿は何度も火災で焼けてしまっているとか
1803年、1877年には太平洋戦争の戦災で全焼
この拝殿は昭和40年建立と、ほぼほぼ私と同級生…笑
「花園神社」は、徳川家康の江戸開府以前から新宿の総鎮守として重要な位置を占め、徳川氏が武蔵国に入った1590年より前に、大和吉野山より勧請されていたとのこと
花園神社は寛永年代(1624~1644)までは現在の場所より約250メートル南、今の伊勢丹デパートの付近にあったそうな…しかし、寛永年代に朝倉筑後守という旗本がこの周辺に下屋敷を拝領したため、社地は朝倉氏の下屋敷の中に囲い込まれてしまうことに…そこで幕府に訴えたところ、現在の場所を拝領することになったそうな…この場所は、徳川御三家筆頭の尾張藩下屋敷の庭の一部で、たくさんの花が咲き乱れていたそう…その美しい花園の跡に移転したので花園稲荷神社と呼ばれたのが社名の由来とか…
ご祭神は祭神はお稲荷さんの倉稲魂命さま、 そして、日本武尊、 受持神さま
拝殿にて
二礼二拍手一礼
受持神さまは“保食神”ともいわれ、食物の神様
これからも、ずっとおいしいものが食べられますように…
嚥下で困ることのありませんように…
餅を喉に詰まらせて、あの世にいくことのありませんようにと…
ここは念入りに…
さて拝殿で参拝後は、境内をば、ぐるっと散策をば
神楽殿
拝殿の左側にある「宝物殿」
朱の社殿の裏側には高層ビル
さすが新宿!!!
境内社「威徳稲荷神社」
左右に鎮座するキツネ様…
さてさて
この写真…扁額の上には
巨大なイチモツが…驚!!
子授け・縁結び・恋愛成就などにご利益があるそうな…
なんか巨根絶賛!みたいで…ちょいと…引っ掛かりますが…苦笑
裏側に廻ると
もう、完全に勃起してますなあ…
拝殿の右側には「納大明神」
近づいてよく見ると、向かって左側に「腹の立つ事なども当神社にお納め下さい」との木札が…
う~ん、「増税メガネ」に「自民党アベ派裏金」に…「競馬でかすりもしなかったこと」などなど…
この境内社のスペースには収まりきらないかも…
あ…今は腹は立たないけど、腹が減った…かな…苦笑