2024年
NHK大河は、当然ながら「光る君へ」一色ですが
未だに2023年大河「どうする家康」を引きずってる私
その中で、先祖代々徳川(松平)家に仕える重臣ながら、家康を裏切って秀吉の家臣となってしまった松重豊さん演じた石川数正の墓所があるというので
この目に焼き付けて、手を合わせておきたいと思って
石川数正の墓所のあるお寺は
土呂殿本宗寺
名鉄美合駅から
徒歩5分くらいのところにある
浄土真宗本願寺派のお寺で山号は土呂殿
ご本尊は阿弥陀如来
写真は山門
蓮如上人のご創建のこの土呂殿本宗寺
現在は岡崎市の美合町にあるのですが、もともと三河一向一揆当時は土呂(現在の福岡町)にあったよう
三河一向一揆は、後の三方ヶ原の戦い、伊賀越えと並んで「家康三大危機」のひとつ
一向宗は、浄土真宗本願寺派の別名
西三河ではこの土呂本宗寺が最も格式の高いお寺で
本宗寺の下に七ヶ寺(野寺本證寺、針崎勝鬘寺、佐々木上宮寺、平坂無量寿寺、長瀬願照寺、中之郷浄妙寺、青野慈光寺)が置かれていたよう
三河一向一揆の一拠点として若き家康に抵抗
勝鬘寺の門徒とともに岡崎城へ攻め入ったものの最終的には敗北
土呂の寺内町は焼き払われてしまって
本宗寺も消失!
一向一揆の収束後は家康の家臣である石川数正がこの地に土呂城を築く
本宗寺があった御堂山に本丸が、御坊山に二の丸があって、城下町も栄えたそう…
土呂八幡宮は 本宗寺と共に消失したが 1616年に再興される…
そかし、記録の類はすべて消失してしまったらしい
さて、焼失した土呂殿本宗寺は、江戸時代、数正の母であり、徳川家康の叔母でもある芳春院妙西尼(みょうさいに)が、破壊された土呂殿本宗寺の再建を家康に願い出て、再三にわたる懇請の結果、宗門再興の赦免状が発せられ1601年、この美合の地に移転して再建されたとのこと
境内に入ると
驚く、目を見張る…昇竜のような松
手水舎の屋根を破壊しているような
まるで三河一向一揆を封じ込めた徳川家康と被って見えてしまう松
見応え十分
本宗寺の説明板
鐘楼
庫裡
訪ねたのは2024年の桜の季節
境内に咲く桜が美しくて
さてさて、本堂にて合掌
本堂はコンクリート製の建物でした
家康によって焼き払われてますから
本堂は、おそらく昭和…その他の収蔵品も
全て、江戸時代以降のものなのでしょう
合掌
以前の庫裏にあった大鬼瓦
さてさて
この奥に
石川数正の墓所がありました…
実は石標が3つもあって
こちらは、石川数正公のお墓
こちらは
数正公の供養塔となっていますが
まあ、こちらに、石川数正公が眠っておられることは確実…
合掌!!
その奥、白壁に囲まれたところに
眠ってらっしゃるのが
芳春院殿
合掌
さてさて、その後は、もともと
土呂殿本宗寺があったと言われる
土呂八幡宮へと
ここは実は再訪
以前のブログ記事…
お時間あったらどうぞ!どうぞ!!
岡崎市の土呂(とろ)八幡宮を参拝する…
訪問したら
拝殿覆い隠すような
しだれ桜が見事でした
徳川家康が焼き払おうとしたときに
このしだれ桜が咲き誇っていたら
さすがに、家康も焼き払うのを躊躇したかも??ね…笑