私のライフワークである???
(いつから??)
城址を巡るシリーズ…
なんせ
私「城マニア」でありますので…
それも…ただの「城マニア」ではなく…
石垣や土塁などの遺構をみて
古の戦国ロマンを妄想するのが…楽しみといった…
「妄想城址マニア」
妄想の中で
築城し放題…
…笑…である私が今回紹介するのが
東郷町にある
傍示本(ほうじもと)城
場所は傍示本公民館の建物の前に城址碑が立っていまして…
傍示本の「じ」の字が「爾」となってますので、「傍爾本城」が正しい表記でしょうか
おそらく…傍示本公民館よりもウンと素晴らしい城(お屋敷)があったのではないかと…
傍示本(ほうじもと)城は鎌倉時代の1324年に、北条雅時の家臣である加藤安俊が移住し、築いたとされる…
「傍示」とは主要街道脇に立てられた国境を示す標識のこと…なので、この地には尾張と三河を結ぶ主要街道が古くからあったのでしょう…
傍示本(ほうじもと)城は、加藤氏の居城でしたが、いつの間にか岩崎丹羽氏の居城に…
傍示本(ほうじもと)城を丹羽氏が支配する事になった経緯は不明だが、岩崎城主丹羽氏次の妹が加藤家に嫁いでいるので、婚姻などによる影響かもしれない…
岩崎城主丹羽氏次の弟、丹羽氏重が城主となる(1569~)も、1584年「小牧、長久手の戦い」における「岩崎城の戦い」で丹羽氏次が小牧へ出陣したため、この傍示本(ほうじもと)城主の丹羽氏重が岩崎城の留守役を預かり岩崎城に入り、そこで秀吉軍の池田隊に攻撃され討死したとのこと…
土塁、堀切などの遺構らしきものは、まったくなくて、石碑が建てられてあるのみ…この辺は台地で、近くに尾張と三河の国境であった境川があって、ひょっとしたら境川を、自然の堀のよーに利用していたのかも知れません!!
最後に、訪ねた私なりの感想を一言…
「ほう、地元の城やな…」
???
「ほう、じもとの城やな…」
「ほうじもとの城やな…」
お後がよろしいようで…(笑)