新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

大須古墳群…日出神社古墳と那古野山古墳と…

2022-06-17 06:19:42 | B級スポット

さてさて、今回書き綴るのは、大須の商店街内をウォーキングしたときの話なんだけど…

これから、書こうと思ってる私が、もうコーフンしてくるくらいのことだから、きっと読者のみなさんも、コーフンするに違いない???

 

さて、そんなコーフンするだろうと思われる場所は大須の商店街の中心地の近く、若宮大通にある


日出神社

 

この写真は、若宮通り沿いからの鳥居…

 

1本入った路地から境内へとくぐる鳥居はこれ!

 

ご祭神は御覧のとおり

軻遇突智命さま、宗像大神さま、天照大御神さま、猿田彦大神さま、月夜見命さま、稚日女命さまとそんなに広くない境内にひしめき合ってる感じで…

神様が「ミツ」「ミツ」「ミツ」…3ミツな感じで…

 

由緒も御覧のとおり

 

本神社はもと愛宕社と称し、明治四十二年日出町に鎮座の神明社(旧称天道宮)、及び同一境内宗像社白髭社香良須社合殿の二社を合祀して、社名を日出神社と改めた。愛宕社は天道宮と共に清須に鎮座していたが、慶長十五年名古屋城築城の際、現地に移された…そうな…

以上、由緒書きをそのままコピペしてみた…

 

狛犬が実にユーモラス!

大須オッス!!」と声を掛けたら、あたかもウケたかのように、口を閉じたまま、なんとか笑いをこらえているような…

しょーもないオヤジギャグを言って、大須に「おお、スミマセン!」といったら

もうこちらの狛犬は大爆笑!

 

ここ大須2丁目の地は、もともとは日出町だったのでしょうか…そんな歴史を感じる石標が…どっか別の場所に「日出町」があって、合祀し慶長十五年名古屋城築城の際、現地に移された…とのことなので…この石標も一緒に移された可能性もあるかな

 

 

ではでは手水舎で手を浄めようと思ったら…枯れてるどころか、新型コロナウイルス感染症対策のため、使用をお控えください…との張り紙も

 

 

 

仕方がないので、持参している手指消毒液でシュッシュ!!

その後この鳥居の前、お賽銭箱の前で「二礼二拍手一礼」

 

 

さてさて、ここまで綴ってきて、どこにコーフンする話があるかといえば、社殿は小山の上にあって、その手前には扉(柵)があって近づくことはできません!!

 

この日出神社の社殿は、WEBでみたら、古墳の上に鎮座されてるらしいのよ!!

もともとは5世紀頃の前方後円墳だったらしくて…その「前方」はなくなっちゃったけど「後円」の上に鎮座されてるらしいんだな…

社殿への扉には鍵が掛けられていて、その柵の隙間から社殿を撮ってみる!

 

 

庚申塚を確認

庚申塚とは塚の上に置かれた中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石碑のこと

古墳の上に社殿が鎮座されてるものだから、社殿を壊して発掘する訳にはいかず…古墳時代のお宝もこの小山の中なのでしょう!!??

ふと思った…果たして、円墳の頂上に社殿はあるのか…本当に「前方」は削られたけど前方後円墳になっているのか…この隙間から覗いているだけでは確認できない…

 

神社の廻りをぐるっと廻ってみるも、ビルが邪魔で、確認できなかったけど、絶好のビューポイントを発見!

 

それはコインパーキングのビルの屋上!!!

 

 

ここから見下ろせば、日出神社古墳の全貌が、一糸まとわぬ姿が???みられるに違いない???

 

いやあ…コーフンするよね!!!???

 

上から日出神社古墳を覗きこんでみれば…

 

木が邪魔でした…汗

 

 

 

古墳を眺めながらも、一歩も足を踏み入れることのできなかった…日出神社古墳…なんか物足りないよね!!???

 

 

でも、大丈夫!!…(笑)

 

この日出神社古墳を含む大須古墳群の中には、古墳の上を自在に歩くことのできちゃう古墳が日出神社古墳のすぐ近くにあるのよ!!

 

それが、那古野山古墳

 

もともとは、ここも5世紀中~後半に建られたと推測される前方後円墳だったんだけど後円部だけが現存!

で、ここは、公園???になっていて自由に登り放題…(笑)

 

 

 

上記の案内解説板によるとこのあたりは江戸時代には「清寿院」という修験道の寺院の境内であったようで、明治10年に市内最初の公園として市民に開放されたとのこと…

 

明治10年にこの辺りに住んでた人は、初めての公園ということで、きっとさぞかしコーフンしていたことでしょう???

 

 

この…わびさびのある…もとい…さびさび(錆び錆び)のある

案内看板を覗いてみれば…

那古野山古墳物語が綴られる!!

 

まずは、古墳時代

 

 

まさかまさかの…古墳がしゃべるというファンタジー!!

日出神社古墳も仲間だった…(笑)…ようで…

 

 

江戸時代になると、仲間が消えていく寂しさが…

 

 

明治時代には「浪越公園」に!

そして、現代…

あの…「清寿院」の柳下水の井戸跡は、以前は、喫茶店の前にあったようだけど、薬局に店舗が変わったら…完全になくなっています…

 

それにしても、古墳が語るなんて…もう「コーフン」ものでしたよね!!

 

そんな古墳に登り放題…

 

 

 

でも、考えれば、お墓の上に土足でよじ登っているようなものだよな…

 

と思うと…なんだか申し訳ない気分になりつつも…「こふん」…もとい「ごふん(5分)」もいると飽きちゃうけどね…