三重県は桑名の街中を歩いていたら…
その車も行きかう通り沿いに
こんな
サビれたアーケードに
こんな案内看板をみつけた…
薩摩義士墓所
おそらく…
なんの知識もなく
このアーケードに…この踊る文字をみつけたら…
なぜに
この三重県の地に…
薩摩義士墓所???
…と思ったでしょうが…
私…ウロウロすることが好きなもんで…笑
休日となると
なにか…オモロイものはないかと…
みんながとても
目指して出掛けないような
B級スポットを目指して…一直線!!
…といったような休日を過ごしているので…
出掛ければ
自然と身につく!!雑学的知識…笑
なぜに
この三重県の地に…
薩摩義士の墓所があるのか???
すぐに…
答えがピン!ときました!!
鋭い勘!!といいましょうか…笑
まるで犯人を推理する
名探偵コナンのように???
ピン!ときた!!…笑
これは
海津市に訪れた時に
学んだ…
江戸時代に行われた
木曽川、揖斐川、長良川が合流する…
洪水が頻繁に起こるこの輪中の地域の…
治水工事のこと…
それは…
地域の民衆や…藩が行ったのではなく…
幕命により…
当時…幕府に次ぐ財政力をもっていた
薩摩藩の財政力を弱めるために
治水工事を薩摩藩に行わした…
宝暦治水と関連していることだろうと…
宝暦治水とは
薩摩藩の人々を千人も繰り出し
わずか3年で三川分流の治水工事を完成させた工事のこと…
しかし…
その工事の中身は…
…というと…
土木工事の専門家ではない
…幕府の役人が指揮をとり…
それも
薩摩藩の財政と人手をつかって…
その結果…
薩摩藩は…
計40万両と多額な…工事費が必要となり
22万両を、薩摩藩は…大阪の商人から借金することになる…
返済は領内の税から充てられることになる…
いわゆるこの工事で…
一気に…薩摩藩は…借金地獄…
そもそも
この工事は
幕府の露骨な嫌がらせ
(幕府の命令は…大工などの専門職人を一切雇ってはならない…だった…)
この弾圧政策に
薩摩藩は幕府への反発を極め…
このまま潰されるくらいなら一戦交えようという過激な意見まで噴出したほど…
それに対して
薩摩藩家老であり木曽三川分流工事(宝暦治水)の責任者である
平田靱負は
「民に尽くすもまた武士の本分」
…と語ってこの治水工事を引き受けたのである…
…だが…
工事の途中で何度も堤が決壊…
幕府の役人とのもめごとで
薩摩藩士に多くの切腹者を出す…
(平田靱負は幕府との摩擦を回避するため、切腹した藩士たちを事故死として処理していたそうな…)
かつ…
藩への多大な借金…
その責任をとって
工事終了後…美濃大牧の本小屋で平田靱負は割腹自殺したのである…
これが
宝暦治水…
この薩摩義士と
この墓所は関連しているだろうな…
といった
私の
名探偵コナンのような鋭い直感は
ずばり的中!!
…だったのです…
墓所は…
このアーケードの裏に
ありました…
…といっても
そのまま
進もうとしても
鉄柵で進入できないようになってまして…
でも行けないことはない…笑
お隣の
ちゃんと
正式な参拝ルートである
海蔵寺から…訪れます!!
海蔵寺は
天正2年ごろに創建され
曹洞宗(禅宗)
本山は福井の永平寺・横浜の総持寺であるとのこと…
本堂には
薩摩藩の家紋が…
墓所は
本堂の左手にあるようです…
…と…
そこで
名探偵コナンのような直感が…
さらに
確信となった…
そんな観音様を発見!
それは
治水観音
さらには
名探偵コナンのような直感が…
さらに
確信となった
「松の木」を発見
それは
治水のために堤防には数千本の松が植えられ
現在も千本松原と呼ばれている
千本松原の松の木の「輪」が祀ってあり
そして
墓所は
治水観音の奥に
ありました…
薩摩義士の墓所
宝暦治水最初の犠歿者となった永吉惣兵衛・音方貞淵の2名をはじめとして
宝暦治水犠歿者24名の墓の中で
中央にあるのが
宝歴治水を成し遂げて
自害した
薩摩藩惣奉行平田靱負公の墓
最初の犠歿者となった永吉惣兵衛・音方貞淵の
2名の弔いや埋葬については
多くの寺院が幕府を恐れて拒む中
海蔵寺の十二世雲峰珍龍大和尚は
「死者を弔うのは僧侶のつとめ」
と快諾し、手厚く埋葬したとのこと…
自害した平田靱負公の遺体は
京都伏見にある大黒寺へ向かわれる途中
部下の眠る海蔵寺に立ち寄られ
そのとき
海蔵寺の雲峰珍龍大和尚は
「遺骸のまま京へお送りすることはしのびない
拙僧が読経回向し、旅立っていただきたい」
と弔われ
そのご縁にて海蔵寺に供養塔が建てられたとのこと
何の縁もない
木曽三川の治水工事に
駆り出された
理不尽な幕府の命令
そして
想像を絶する
過酷な労働条件
とてもじゃないが
このことを
知れば知るほど
鹿児島に足を向けては眠れませんよね…
ただただ
合掌!!!
どうか…安らかに…
さてさて
海蔵寺の
横には
今も現役かどうかワカリマセンが
「天龍」というお店がありまして…
ふと
思った…
これまた
今も現役かどうかワカリマセンが
プロレスラー天龍源一郎さんが
時空を超えて
当時の幕府に
「天龍チョップ」を!!
「パワーボム」を!
…笑…
お見舞いできるといいのにな…
なんなら
スーパーストロングマシンとタッグを組んで…ね…
四角いリングで
対戦相手の
当時の幕府は…ドラゴン藤波のような形相で
スーパーストロングマシンに向かって
きっと言うに違いない???
「お前、平田だろ!?」
えっ?平田靱負????
あ、いかん!いかん!
得意の不謹慎な妄想癖が…
この妄想…
すべて木曽三川に
流したい~汗
その車も行きかう通り沿いに
こんな
サビれたアーケードに
こんな案内看板をみつけた…
薩摩義士墓所
おそらく…
なんの知識もなく
このアーケードに…この踊る文字をみつけたら…
なぜに
この三重県の地に…
薩摩義士墓所???
…と思ったでしょうが…
私…ウロウロすることが好きなもんで…笑
休日となると
なにか…オモロイものはないかと…
みんながとても
目指して出掛けないような
B級スポットを目指して…一直線!!
…といったような休日を過ごしているので…
出掛ければ
自然と身につく!!雑学的知識…笑
なぜに
この三重県の地に…
薩摩義士の墓所があるのか???
すぐに…
答えがピン!ときました!!
鋭い勘!!といいましょうか…笑
まるで犯人を推理する
名探偵コナンのように???
ピン!ときた!!…笑
これは
海津市に訪れた時に
学んだ…
江戸時代に行われた
木曽川、揖斐川、長良川が合流する…
洪水が頻繁に起こるこの輪中の地域の…
治水工事のこと…
それは…
地域の民衆や…藩が行ったのではなく…
幕命により…
当時…幕府に次ぐ財政力をもっていた
薩摩藩の財政力を弱めるために
治水工事を薩摩藩に行わした…
宝暦治水と関連していることだろうと…
宝暦治水とは
薩摩藩の人々を千人も繰り出し
わずか3年で三川分流の治水工事を完成させた工事のこと…
しかし…
その工事の中身は…
…というと…
土木工事の専門家ではない
…幕府の役人が指揮をとり…
それも
薩摩藩の財政と人手をつかって…
その結果…
薩摩藩は…
計40万両と多額な…工事費が必要となり
22万両を、薩摩藩は…大阪の商人から借金することになる…
返済は領内の税から充てられることになる…
いわゆるこの工事で…
一気に…薩摩藩は…借金地獄…
そもそも
この工事は
幕府の露骨な嫌がらせ
(幕府の命令は…大工などの専門職人を一切雇ってはならない…だった…)
この弾圧政策に
薩摩藩は幕府への反発を極め…
このまま潰されるくらいなら一戦交えようという過激な意見まで噴出したほど…
それに対して
薩摩藩家老であり木曽三川分流工事(宝暦治水)の責任者である
平田靱負は
「民に尽くすもまた武士の本分」
…と語ってこの治水工事を引き受けたのである…
…だが…
工事の途中で何度も堤が決壊…
幕府の役人とのもめごとで
薩摩藩士に多くの切腹者を出す…
(平田靱負は幕府との摩擦を回避するため、切腹した藩士たちを事故死として処理していたそうな…)
かつ…
藩への多大な借金…
その責任をとって
工事終了後…美濃大牧の本小屋で平田靱負は割腹自殺したのである…
これが
宝暦治水…
この薩摩義士と
この墓所は関連しているだろうな…
といった
私の
名探偵コナンのような鋭い直感は
ずばり的中!!
…だったのです…
墓所は…
このアーケードの裏に
ありました…
…といっても
そのまま
進もうとしても
鉄柵で進入できないようになってまして…
でも行けないことはない…笑
お隣の
ちゃんと
正式な参拝ルートである
海蔵寺から…訪れます!!
海蔵寺は
天正2年ごろに創建され
曹洞宗(禅宗)
本山は福井の永平寺・横浜の総持寺であるとのこと…
本堂には
薩摩藩の家紋が…
墓所は
本堂の左手にあるようです…
…と…
そこで
名探偵コナンのような直感が…
さらに
確信となった…
そんな観音様を発見!
それは
治水観音
さらには
名探偵コナンのような直感が…
さらに
確信となった
「松の木」を発見
それは
治水のために堤防には数千本の松が植えられ
現在も千本松原と呼ばれている
千本松原の松の木の「輪」が祀ってあり
そして
墓所は
治水観音の奥に
ありました…
薩摩義士の墓所
宝暦治水最初の犠歿者となった永吉惣兵衛・音方貞淵の2名をはじめとして
宝暦治水犠歿者24名の墓の中で
中央にあるのが
宝歴治水を成し遂げて
自害した
薩摩藩惣奉行平田靱負公の墓
最初の犠歿者となった永吉惣兵衛・音方貞淵の
2名の弔いや埋葬については
多くの寺院が幕府を恐れて拒む中
海蔵寺の十二世雲峰珍龍大和尚は
「死者を弔うのは僧侶のつとめ」
と快諾し、手厚く埋葬したとのこと…
自害した平田靱負公の遺体は
京都伏見にある大黒寺へ向かわれる途中
部下の眠る海蔵寺に立ち寄られ
そのとき
海蔵寺の雲峰珍龍大和尚は
「遺骸のまま京へお送りすることはしのびない
拙僧が読経回向し、旅立っていただきたい」
と弔われ
そのご縁にて海蔵寺に供養塔が建てられたとのこと
何の縁もない
木曽三川の治水工事に
駆り出された
理不尽な幕府の命令
そして
想像を絶する
過酷な労働条件
とてもじゃないが
このことを
知れば知るほど
鹿児島に足を向けては眠れませんよね…
ただただ
合掌!!!
どうか…安らかに…
さてさて
海蔵寺の
横には
今も現役かどうかワカリマセンが
「天龍」というお店がありまして…
ふと
思った…
これまた
今も現役かどうかワカリマセンが
プロレスラー天龍源一郎さんが
時空を超えて
当時の幕府に
「天龍チョップ」を!!
「パワーボム」を!
…笑…
お見舞いできるといいのにな…
なんなら
スーパーストロングマシンとタッグを組んで…ね…
四角いリングで
対戦相手の
当時の幕府は…ドラゴン藤波のような形相で
スーパーストロングマシンに向かって
きっと言うに違いない???
「お前、平田だろ!?」
えっ?平田靱負????
あ、いかん!いかん!
得意の不謹慎な妄想癖が…
この妄想…
すべて木曽三川に
流したい~汗