蝸牛の歩み

「お話」を作ってみたくなりました。理由はそれだけです。やってみたら結構面白く、「やりたいこと」の一つになっています。

思考実験

2015-12-31 09:37:35 | 日記
A 人を殺すことが正当化できる場合ってあるのかな。
B うーん、思考実験として考えれば、あると思うよ。
A どんな場合?
B 3000万人の命を助けるためにヒトラーを殺しておくとかね。
C 当然、1929年以前だよね。世界恐慌がドイツに波及する以前の。あのころだったらまだナチ党は少数派だ。1923年11月のミュンヘン一揆の際に、皆殺しにしておくという事もありだね。ゲッペルスもゲーリングもいたんだから。
A あれは絶好の機会だったんだけれど、微罪で、『わが闘争』まで書く余裕があったんだから、当時から共感する連中がいたということだよ。ドイツ国民の多くの人たちがヒトラーの言葉に共感したのは、ヴェルサイユ条約のあまりの苛酷さがそうさせたという面もある。
B となると、ヴェルサイユ条約自身を作り替える必要が出てくる。イギリス代表団の中にいたケインズの考え方を軸とするか、いっそのこと、レーニンの説いた「無併合」「無賠償」「民族自決」でいくか。
C そうなると、殺さねばならない人間の数は増えるね。
A きっかけとなった世界恐慌の主犯たちもカウントすればさらに増える。
B それでも、3000万に達することはないよ。日本の場合でも、張作霖事件の真相を公表し、かかわった関東軍の連中を厳罰に処していればまだましだったし、満州事変の際の越境将軍とか、石原、板垣は軍籍剥奪、懲役20年くらいか。
C 越境将軍は死刑だよ。当時の陸軍刑法でも死刑相当なんだから。
A こないだ、『若者から若者への手紙』(ころから)という本を読んでいたら、「軍人勅諭」読み間違い事件というのを品川正治さんが証言していた。
B 「我が国の軍隊は、世々天皇の統率し給う所にぞある」という箇所を、「我が国の天皇は世々軍隊の統率し給う所にぞある」と読んじゃったんだよね。
C それで大ごとになった。真実を言うという事はいつの時代でも大変なんだ。
A 今だったらどうなる?
B 別の方法はあると思うよ。
C 別の方法って?
B ウィキリークスみたいに極秘情報にアクセスしたり、盗聴したり、盗撮したりという事はあるよね。
C それに拉致も含めて。
A つまり、如何に庶民を犠牲にしてぼろもうけを行い、表の顔とは別の「兵器商人」としての顔を白日の下に曝し、さらに、その連中に飼いならされているのはだれかということと、
B その事を報じないマスコミの連中も同罪だよ。
C ネタは山ほどあるんだから、あとはそれをどうするか。
A 国内国外を問わず、テレビ局、新聞、週刊誌に送りつけるんだよ。
B 国民が監視するって奴か。監視してると思い込んでいたら、逆に監視されてたってこと。
C これなら死者は最小限か?
A いやいや、真っ先に俺たちが危ないんじゃねーの。盗聴されてるかも。

ファミレスにて

2015-12-30 12:06:12 | 日記
 あるファミレスに入った時のこと。
 時間を潰すためだったので、コーヒーを頼んでバッグから文庫本を取り出して読み始めた。20ページくらい読み進んだ時、後ろの席に三人家族が座った。父と母と、5歳くらいの男の子だった。男の子は、注文するときからうるさかった。注文を取りに来た若い女店員をからかっているのははっきりしていた。
 「オレンジジュースにするわ」と言った直後に「あ、やっぱりマンゴージュース」、店員が「マンゴージュースですね」と復唱すると、「カレーとサラダにしよっかなぁ」という。延々とやり取りが続いて、結局、ハンバーグ定食ということに決まった。
 両親と思われる男女はそれぞれスマホの画面を見ていて、子どものことはほったらかし。店員にせかされて、それぞれ、「カレー」と「サイコロステーキ」を頼み、ドリンクバーも付けた。
 子どもは店内を走り回り、奇声をあげ、ドリンクバーでコーヒーを入れたかと思うとそのまま捨てた。結局、コーラを持って帰ってきて、坐るなり、「ねぇ、ハンバーグ定食まだぁ」と連呼し始めた。
 私の席の隣に座っていた40がらみの男性がすっと立ち上がって、その子の肩をがしっと掴み、身動きさせないようにしてから、低い威厳のある声で、その子の顔をまっすぐに見て言った。
 「いいか、お前は何のしつけもされていない。こんな店に入ってどんなふるまいをしなければならないかという常識も教えてもらっていない。お前のどうしようもないアホ面を見ていると、成績もどうしようもないだろう。だからな、教えといてやる。お前のようなアホが生きていくためには、たった一つ、こんな店に入ったらどうしなければならないのか、お前の回りの大人と、向こうのテーブルに座っている子どもの動きを観察してまず学べ。それができなければお前は一生社会の底辺を這いずり回るんだよ」
 子どもの顔は、恐怖に震えていた。男と女は、ぼかーんと口を開けたままで男の言葉を聞いていた。
 男性は、レジに向かい、支払いを済ませて出て行った。

ブーム到来

2015-12-29 14:50:35 | 日記
 地球の人口は、75億をピークとして減り始めた。それも異様な減り方であった。一月一日に、一日だけでざっと見積もって5億づつ減り始めたのである。
 世界のあらゆるところで、人々は、自分の隣人が消滅する瞬間を目撃した。消滅するタイプは、大きく分けて二つあったが、共通しているのは、いきなり全裸になるということだった。脱ぎ捨てられたか、はぎ取られたかした着衣はその人が立っていた場所に散乱していた。そして、上半身から消えていくタイプと、下半身から消えていくタイプの両方が観察された。
 上半身から消えていく場合はどうという事はなかった。次に下半身が消えるだけだったから。
 悲惨なのは、下半身から消えていく場合だった。地上5mほどの距離まで持ち上げられた(としか思えなかった)人々は、その場にいた人たちの心をへし折るのに十分な絶叫と、恐怖と苦痛に満ちた顔を見せて上半身も消えて行った。
 次の年の一月一日、全世界の人たちは外出することはなくなった。家に籠っていれば大丈夫という観測がなされた。しかし、人々が見たのは、家の屋根が引きはがされ、そこに住んでいる人たちが消滅していく姿だった。
 ビルであっても、地下室であっても関係なかった。地下室は実際に見ていた人の証言によると、「姿の見えない巨大なバールのようなものによって地下から掘り起こされ」、そこに立て籠もって身を守ろうとした人たちの努力は徒労に終わった。
 10年経って、地球の人口は20億を少し上回る程度に減少した。
 何故なんだろう、なぜこんなことが起きるんだろうと人々は考え、様々な論考が発表された。
 11年目から、減り方のスピードがゆっくりになった。1億を若干下回るようになった。人口は、20億付近で安定し始めた。
 15年目に、日本のある若者が、約5ページほどの論考を発表した。
 その論考の骨子は、以下のようであった。

一、宇宙のどこかで、「一月一日は地球人を食べよう」というイベントを誰かが提唱し、それに賛同する誰かたちが一斉に流行を作り出したのではないか。

二、人口が安定したのは、「取りすぎ」を危惧した誰かが資源の保護を提唱し、その提唱が受け入れられたのではないか。

 人々、特に日本人は、土用丑の日を思いだし、クリスマスのチキンを思い出した。七面鳥のことを思い出す人たちもあった。

 ブームが去ってくれることを人々は切に願ったが、そうはいかなかった。地球人は、自分たちは保護されながら食べられていく存在であることをいやおうなしに知らされることになった。

 

新しい村人たち

2015-12-28 07:03:55 | 日記
 各都道府県は、人口動態調査というのを行っている。各市町村の人口の推移が記されているのだが、横に短い線が引かれている場合、それは、人口がゼロになったことを示している。
 山陰地方のある県の山間部にある村も、そのような運命をたどった。
 その村に一人の男がやってきた。男は中国山脈をこえる鉄道に乗り、その村から20kmほど離れた駅で下車し、あとは徒歩で村に入った。村中くまなく歩き回った末に、野原にテントを張り、シュラフにくるまって寝た。次の朝、男は日が上るとともに起き、谷川で顔を洗い、近くに湧き出していた泉で水を汲んでヤカンに入れ、拳骨くらいの石を組み合わせて炉を作り、マッチで火をつけてお湯を沸かした。いまどき珍しくなったアルミの弁当箱にぎっしりと詰め込んだ飯をゆっくり咀嚼し、筑前煮、焼いた塩サケ、ミニトマトというおかずをこれまたいとおしむように咀嚼した。男は時々目を閉じて鳥の鳴き声に耳をすませた。食べ終わると、手を合わせ、それから谷川で弁当箱とおかず入れとをきれいに洗い、リュックの中から手拭いを出して水分を拭き取り、リュックにしまった。
 男はテントから北東側にのびている道をゆっくりと歩き、人気のない一軒の家の納屋に入った。鍬とスコップ、鎌、そして備中鍬を肩にかけ、ポケットの中からあらかじめ用意しておいた紙をピンでとめた。
 「ちょっとお借りします」と書いてあった。
 一旦テントに帰った男は、タオルを首に巻きつけ、泉から汲んだ水を入れた水筒を腰にぶら下げ、備中鍬を肩にかけ、今度は、南西方向にのびている道を歩きはじめた。50mほど歩いて男は足を止め、レンゲが生い茂っている畑の中に入って行った。レンゲを4m四方ほど刈り取り、備中鍬で掘り起し,すき込んでいく。そんな仕事をほぼ三時間ぶっ通して行って、男はテントに帰って行った。炉の灰を掘り返すと、丁度食べごろになっている干しイモが出てきた。それをかみしめ、水筒の水で喉を潤す。鍋で湯を沸かし、レンゲの葉と茎を茹でる。リュックのポケットからビニール袋に入れた岩塩を取り出してゆであがったレンゲの茎と葉に振り掛けて食べる。
 食後、1時間ほど横になって眠った後、再び男は畑に行って掘り起しとすき込みを続けた。
 このような作業を一か月間続けた。サッカー場くらいの広さの畑を耕し終えた後で、男はリュックの中から、袋を出してきて、種を肩越しに撒きはじめた。撒き終えたのち、男は、撒いた種を踏み始めた。ゆっくりとかつ着実に早く歩くと言った感じで畑を何周もし始めた。夕陽が山の端に傾きかけたころ、男は歩くのをやめ、テントに帰って干しイモと、山菜を茹でたものを食べて寝た。
 この作業は三日続いた。
 次の日の朝日が昇った時、すでに男は準備ができていた。まず、山の中に分け入り、小さいが水量はかなりある滝の滝つぼに素っ裸になって入って行った。5分ほど滝に打たれた後、男はテントに帰り、リュックの中から白い木綿でできた浴衣のような衣装を取出し、鎌を一本持って畑に向かった。
 畑に着いて、男は、近くの竹やぶから竹を10本ほど切り出して来て、アーチを作った。
 畑には、人間たちが様々な格好で立っていた。あるものは天を仰ぎ、あるものは、苦悶に満ちて表情を浮かべ、あるものは、穏やかな微笑を浮かべていた。
 男は、人間たちと畑の土との間を結んでいる蔓を鎌で切りはじめた。どの人間も蔓を切ってもらったわけではない。男は、穏やかな微笑を浮かべている男や女の蔓を切って行った。蔓を切ってもらった男と女、そして子どもたちは、畑の横の空き地に腰を下ろして男のやっていることを見ていた。
 男は、自分の選んだ男と女,子どもに対して、竹のアーチをくぐるように言った。アーチをくぐった途端に、それまで裸であった男や女たち、子どもたちは服を着て現われてきた。
 そして彼らは再び空き地に腰を下ろして男のやることを見ていた。
 男は、蔓のついたままの男や女、そして子どもを押し倒した。押し倒された彼らを畑の土は何事もなかったかのように呑み込んでいった。
 空地にいる男は100人、子どもも女も100人づつだった。
 男は言った。「やらねばならないことは分っていると思う。さあ、取りかかろう」
 男と女、そして子どもは一組になって、村の空き家の中に入って行った。各家々には鍵がかかっているところが多かったが、手で触れると鍵は音を立てて外れて行った。
 まず、部屋の掃除を行う。戸をあけ放って、笹で作った箒を使いゴミを掃きだす。ぼろ布を小川に浸してからしっかり絞り、家じゅうをぞうきん掛けする。
 家じゅうをきれいにするのに二日かかった。彼らはその間ほとんど休まず、何も食べなかった。土地から吸い上げた「養分」が体内に蓄積されているのだろうか。
 次の日から、彼らは、家の中に残されているものを点検し、使えそうなものを修理し始めた。生活していくために最低限必要なものがない場合は、彼らは男のところに行き、説明し、現金をもらって、駅まで歩いていき、小さな町の店でそれを買い、帰ってきた。その中には電化製品類は一切なかった。
 男は、中古車センターに行き、軽トラックを買い、粗大ごみの集積場を廻って使えそうなものを車に積んだ。
 一段落すると、男はみんなを空き地に集め、これからの生活のことを説明した。それは、働き、作り、分け合い、助け合うということだった。
 様々な作物が開墾された畑に植えられ、田んぼには水が張られた。
 豆類、イモ類、山菜、川魚、が食卓に上った。

 そこへ、以前、この村で生活していた村人が、やってきた。彼は、眼を見張り、元の自分の家に見ず知らずの男女が生活しているのを見て、説明を求めた。
 男はそれまでの顛末を簡単に、しかしわかりやすく話し、村人の意志を訊ねた。もう一度ここで暮らしたいのなら、すぐに家を明け渡します、どうされますか?と。村人はスマホを取り出して、親族と何人かの元村人たちに連絡を取った。一度見てみたいというものが大半を占めた。男はそれを聞いて、どうぞそのようになさってください、私たちはいつでも明け渡しますから、と言った。
 元村人は、明日みんなで来ると言って、村の中を懐かしそうに歩き、駅の方へ歩いて行った。
 次の日、10人ほどの元村人たちがやってきた。みんなほぼ70代の高齢者であった。彼らはやはり、村の中を歩き回り、見ず知らずの人たちが、自分の家で生活している様子を眺め、家の中に入って、どこもかしこもピカピカに磨きたてられていることを知った。畑には作物が稔り、水田には早苗がそよいでいた。
 元村人たちは、輪になって話し込んだ。
 結論として、一緒に暮らさせてほしいという事を男に申し出た。みんなが口々に言った。若い時の村が甦ったようだ。いま、都会で生活しているけれど肩身が狭い。やっぱり、ここで死んで、ご先祖様の墓に入りたい。
 男は、百組の男女、子どもの意志を訊ねた。みんなそれでいいということになった。
 家族ができた。
 たまたま調査のために周辺の村を廻っていた県の担当者は、廃村になったはずの村に人々の暮らしがあることに驚き、説明を求めた。男は、肝心の部分はぼかしながら、一つのストーリーを作って説明し、担当者も納得し、新しい人口動態調査には、短い横線の次の年度には、311という数字が書き込まれた。

夕陽

2015-12-27 09:38:14 | 日記
 夕陽が沈むを見るのは悲しい。
 今日あったいろんなことを思い出させてくれる。
 良いこともあった。辛いこともあった。心が折れるようなこともあった。
 つまらないことも、腹の立つことも、嬉しかったことも。
 西の空の雲が茜色に染まるとき、自分の存在のちっぽけさを思い知らせてくれる。
 あれほどたくさんあった雲が、今はたった一つだけ浮かんでいる。雲は寂しくないんだろうか。
 死にはしないけれど、死にたくなる。行きがかり上死んではいけないし、どうせ死ぬんだから急ぐことはない。でも、死にたくなることってあるよね。
 夜の帳が下りる頃になると、心のなかが空っぽになっていく。そうでなければ眠れるものじゃない。
 身も心も空っぽになって、そこを夜が満たしてくれる。