蝸牛の歩み

「お話」を作ってみたくなりました。理由はそれだけです。やってみたら結構面白く、「やりたいこと」の一つになっています。

テスト

2015-09-30 17:42:16 | 日記
 二畳ほどの小さな部屋に入る前に、衣服をすべて脱がされる。下着に至るまで。縦2m、横4mほどの木綿の布を渡され、身体に巻きつける。
 部屋の中にはHBの鉛筆が百本、四百字詰め原稿用紙が百枚置いてある。制限時間は3日。朝、昼、晩と三食の差し入れはある。

 今回のテーマは、「人は何のために生きるか?」である。字数の制限は、百字から、三万字まで。

 前回、私が十歳で試験を受けた時は、「なぜ人を殺してはいけないか?」がテーマだった。

 次に試験を受けるのは十年先、私が三十歳になった時だ。どんなテーマが出題されるのだろう。
 三十五歳の時に、三回の試験の結果が判明する。「生きる価値なし」と判定されたものは、文字通り抹殺される。誰が、どんな基準で評価しているかは全く分からない。

 生きることを許されたものは、一枚の紙を渡される。その紙には、行くべき場所と、そこまでの切符、そして仕事の内容が記されていると聞いたことがある。

 さて、まずは、「人は何のために生きるか」に取り掛かろう。

 「死ぬまでの暇つぶし」では、百字にならない。もう少しそれらしいことを書いてみよう。

世論操作

2015-09-29 17:25:05 | 日記
 私はITには詳しい。たいていの機材にはさわれるし、改造もできる。
 CMカット機能に注目した。これと画像認証機能とをドッキングさせたらどうなるか、試験的に作ってみた。

 まず、AKDの画像を歌番組から消してみた。これは成功した。きれいに消えていた。で、次に、「AKDと同種類のコンセプトで作られたグループを消去する」という機能を加えることにした。
 年末の紅白で試してみた。だいぶ消えた結果、男子と女子との放映時間に差が出た。男子のグループでも消えていたのがいた。「AKDと同種類のコンセプト」という条件が、どうやら男女を越えて存在することが分かった。

 で、次に、「現首相を消す」という機能を試してみた。これは簡単にクリアーできた。
 問題はここからだ。数人の仲間を募って民放とMHKに機材を仕掛けてみた。もちろん、こっそりと。生中継は仕方がない。しかし、ニュース番組は上手く行った。総てのニュースから現首相の姿が消えた。「戦争法案」を推進した議員の姿も消した。民法もMHKも必死になって不具合を点検したようだが、およそ頭の出来が違う。見つかる訳がない。一週間経ち、二週間が経った。ニュースの中では、現首相とそのおともだち、取り巻きの姿はお茶の間には配信されなくなった。

 三週間目になって、ちょっと違うバージョンを試してみた。
 それは、「ホンネがもっとも現われている映像だけを選りすぐって放映する」というシステムに変更するという事だった。もちろん、超・超小型のカメラとマイクで盗聴を行った。盗聴を本業としている連中を盗聴したわけである。

 同盟国追随、日本国民蔑視、私利私欲の追求、そんな赤裸々な姿のみが放映されるようになった。

 あと、「モンティ・バイソン」にヒントを得て、彼らを題材にしたアニメを作って流した。これにはたくさんの協力者が現われ、外国、特にイギリス放送界からの絶賛を浴びた。
 これを「世論操作」という人がいるかもしれない。その人は根本的に間違っている。「政府とマスコミによって今行われていること」が世論操作なのだ。
 私がやっていることは、それを裏返しただけの事だ。

 マスコミ、特にMHKの「中立性」などを信じている人は幸せな人だ。頭の中にお花畑が咲き誇っているだろう。

煬帝の笑み

2015-09-28 19:35:30 | 日記
 両腕を強い力で引っ張られ、腰に巻いていた絹の帯で首を絞められた時、初めて、自分には傍にいてくれる者が一人もいなかったことに気がついた。まさかの時には毒を持って来るようにと申しつけてあった者も逃げ去ってしまったようだ。賊が宮殿に侵入してきたとき、私を守ろうとして命を捨てたものはいたのだろうか。いたとすれば、悲鳴や断末魔の声、剣と剣とがぶつかり合う音が聞こえてもよさそうなものなのに、何の音もしなかった。
 私はただ一人、賊に取り囲まれ、剣を以って刺殺されようとしたとき、最後の力をふりしぼって、天子を弑するのに剣を以て行ってはならぬ、と大声で叫んだ。賊たちは、剣を納め、私の絹の帯で私を絞め殺す道を選んだ。

 高句麗遠征は失敗した。運河を掘らせるための賦役に多くの民を駆り出し、彼らの暮しが成り立たぬようにしてしまったのは確かに私だ。運河を下るために船を仕立て、美食と美酒、そして各地の美女たちを侍らせて歓楽を尽くしたのも私だ。

 だが、誰も止めてくれなかった。誰も諫言をしてはくれなかった。皆、私の威光を怖れ、我が身かわいさのあまり保身に走り、阿諛追従をこととした。

 意識が遠のいていく。苦しい。あと少しで私の生は終わりを迎えるだろう。しかし、私は寂しくはない。見よ!国も異なり、時代が異なっても、私のような権力者は陸続として現れるだろう。

 民のことなど考えたこともなかった。しかし、このような私でさえ、14年もの間、君主の座に座ることができた。14年間も民たちは我慢が出来たのだ。

 未来の君主たちは、民の我慢と忘れっぽさを利用するだろう。己がウジ虫のように扱われていてもそれに気がつかせないような狡猾な君主たちも出てくるだろう。

 そうだ、私は、私は・・・一人では・・・ない・・・。

 唐王朝より煬帝と追謚された稀代の暴君は息絶えた。しかし、彼が死ぬ間際に笑みを浮かべていたことは、どの歴史書にも記してない。

忘れてはいけない過去

2015-09-27 14:25:48 | 日記
 ドアを開けたとき、風景が違っていることに気がついた。何かが違う。しかし、懐かしい。どこかで見た光景だ。
 たくさんの人々が集まっている。様々な世代の人たちが集まっている。お年寄りから、小さな子供の手を引いたママさん、仕事帰りのサラリーマン、ベビーカーを押している若いお父さんもいる。
 みんな手に様々なプラカードを持っている。「アベ政治を許さない」、「戦争法案反対」、「憲法破壊反対」、「殺すのも、殺されるのも嫌だ」、「アメリカのポチになるな」。

 近づいて、私と年恰好が同じくらいの男性に声をかけて訊ねた。
 「今日は、何月何日ですか?」
 男性は、一瞬、怪訝な顔になりながら、教えてくれた。
 「9月17日ですよ」
 9月17日だったんだ。ということは、ほぼ一年前に帰ったという事になる。

 現実の生活では、参議院選挙はあと二週間というところまで来ている。
 自公の与党は、「経済の安定的成長」、「オリンピック」、「北朝鮮の脅威に対処する」、「中国の横暴を許さない」、等々の政策を掲げている。
 ほぼ一年前に自分たちが何をやったのかについて、日本国民が忘れてくれていることを期待しているようだ。
 「憲法なんかよりも大切なことがあるんです」と言わんばかりに。
 法案が通過してのち、米軍と自衛隊との合同訓練は頻繁に行われるようになった。自衛隊の訓練内容も、いわゆる「後方支援」から、「制圧訓練」へとシフトしつつある。

 自衛隊の内部資料の漏えいは、月一度のペースになっている。

 米軍高官との会談の内容。そして、北朝鮮と政府関係者との通話記録。

 北朝鮮が、日本政府の言う「安保法制」の採決に合わせてミサイルの発射が近づいているかのような行動をとってくれれば、特別の「援助」を行うという密約文書とそれまでの通話記録とが表に出た。

 私と数人の知人とは、小さな集会を頻繁に開いている。そこで上映されているのは、国会前での抗議行動の映像であり、各地での集会の映像であり、著名人がマイクを握って訴える姿であり、若者の熱気あふれるスピーチである。

 年賀状を交換する間柄の人に対しては、「昨年の9月17日を思い出してください」という手製のチラシと、国会を取り巻く多くの人たちの写真、そして、手書きのメッセージを同封した手紙を送った。200通ほど。

 選挙区によっては、いくつかの野党が共同で候補を立てるという事態が起きている。
 忘れてはならない。9月17日に何が行われたのか忘れてはならない。

 私たちのドアは、いつでも9月17日につながっていなければならない。
 「安保法制」の必要性を説いた具体例がすべて破綻し、憲法学者のほぼすべてが違憲と断じ、内閣法制局長官経験者が正面切って反対する、最高裁判事も反対するという事態のもとで、政府は、実質、「我々はアメリカのポチで何が悪い、それが日本の生きる道なんだ」と居直った。

 「今国会で決議する必要はない」という声が多数を占め、「この法制は憲法違反である」という声も多数を占めた。「政府を支持する」という声は少数だった。
 それでも、強行採決を行った与党の頼みの綱は、「日本人の健忘症」でしかなかった。

 だから、私たちは、何度でも何度でも今日の醜態を、ついに造反議員を出すことのなかった自民党と、公安に尻尾を掴まれている教祖様をお守りしなければならない創価学会=公明党の醜さとを記憶せねばならない。

 いまから、夏の参議院選挙の事を考えておこう。自公の議員、そして土壇場ですり寄った政党を一人残さず叩き落とす方策を考えよう。
「憲法を壊そうとしたら政権を失う」ことを思い知らせよう。それができて初めて、私たち日本国民は、「主権在民」の意味を体感できる。それは恐らくこの上なく心地よいものであろう。

流れ星

2015-09-26 19:31:47 | 日記
 まさか、宇宙に行けるとは思ってもいなかった。
 それも、90になってから。
 打ち上げ時の人体への負荷が大幅に軽減されるという画期的なシステムのおかげで、少し厚めの布団を三枚掛けたのと同じくらいの負荷で済むようになった。
 これまでテレビの画面でしか見たことがなかった青い地球を眺めることができた。地球上に存在しているどんな絶景よりも素晴らしいと思った。といっても、精々、万里の長城とか、カッパドキアしか行ったことがないのだけれど。あ、あと、新潟の海に沈む夕陽は忘れられない。

 地図帳でしか見たことのない地形が、分る。地理も少しだけかじっていてよかったと思った。アラビア半島、シナイ半島、はっきり分かる。

 地球を周回するステーションには、一週間の滞在が許される。その間に、美しいもの、奇妙なもの、なんだかわからないものをたくさん見ることができた。食事も充実していて、ここが宇宙空間であるという事を忘れさせてくれる。新鮮な野菜も栽培されているし、様々な食材のストックも半端な量ではない。エビも食べたし、蟹も食べた。辛塩の鮭も食べた、お茶づけにして。

 個室で生活することが基本になっているが、四人部屋も八人部屋もある。夜遅くまでかたり明かそうとすれば、そんなわがままも許される。

 一週間が夢のように過ぎた。いよいよ旅立つ日だ。思い出の品をバッグに詰める。『史記』、写真、ビートルズのCDは「サージェント・ペッパー」を選んだ。あと、みんなからの寄せ書き。

 カプセルの中に入る。指示に従ってベルトを締める。

 「何か言い残すことはありますか?」と訊ねられた。

 何となく考えていたことはあったのだが、改めて口に出すのが恥ずかしくなったので、「楽しい人生でした」と月並みな事を言う。

 カプセルは地球の大気圏に向かって発射される。それと同時に、腕に巻いてあるバンドから睡眠剤が体の中に注入される。夢見心地から、昏睡状態に移行する。

 そして、カプセルは燃え尽きる。

 地上からは流れ星が一つ見えるという事になる。誰かの夢がかなうのだ。