蝸牛の歩み

「お話」を作ってみたくなりました。理由はそれだけです。やってみたら結構面白く、「やりたいこと」の一つになっています。

反省日記

2015-06-28 09:41:02 | 日記
 ◎月×日 曇りのち雨。
 今日は、仕上げにもう一つ生物を作ってみた。粘土をこねて息を吹き込むと動き出した。成功した。・・・しかし、なぜかしょんぼりしている。最初はあんなに元気に走り回っていたのに。
 あ、そうか、もう一体作る必要があったのだ。私としたことが初歩的なミスである。一旦眠らせ、体内のあばら骨を取りだし、それを材料としてもう一体作った。

 このつがいに言ってきかせねばならないことがあった。
 「お前たちが今いる場所のものはすべて自由に使ってよろしい。ただし、向こうに見える樹になっている実を食べてはいけない。それだけは守るように。」
 つがいは、こくりと頷いた。素直な連中のようだ。


 □月▽日 快晴
 久しぶりに、あのつがいの様子を見に行った。いない。呼んでみると、草むらの中からか細い声がする。
 「なぜ出てこない?」
 悪い予感がする。
 「私たちは裸ですから、恥ずかしくて。」
 私は瞬時にすべてを悟った。かれらは、私が食べてはいけないと言った樹の実を食べたに相違ない。問い詰めると、お互いに責任のなすりつけ合いをしたが、最初に言いだしたのは蛇のようだった。それ相応の罰をあたえ。つがいも、
この地を去るように命じた。悲嘆に暮れた顔。いずれ後世の画家があの表情を絵に描くことになるだろう。


 ☆月〇日 朝から雨 昼過ぎになって晴れる
 どうも後味が悪い。完全な生き物を作ったつもりだったのだが、どこにミスがあったのか。私の命令に逆らうような回路がいつの間に形成されたのか、一度解体して調べてみる必要があるかもしれない。


 ■月▽日 曇りのち雨
 根本的な失敗に気が付く。「何々してはならない」という話法は、必ず、それを破るものの出現を導くという事に思い至らなかったとは、何という事なのだろうか。浦島太郎、夕鶴、すべてそうではないか。「立ち入り禁止」と言う看板は一般的な感性を持つものには有効だが、ジャーナリストなるものには逆効果であるという例を見落としていた。
 つまり、私がやるべきであったことは、あの樹を最初から引っこ抜いておくべきであったという事だ。それさえやっておけば、そもそも実を食べるという行為そのものを防げたはず。
 次回の天地創造の場合の教訓としてこのメモを書き残す。

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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2016-11-09 13:06:09
16歳年上の男性と結婚すると言ったとき、周りはみんなやめておけといいました。
その制止は火に油を注ぐ結果になりました。

あの時、冷静に「君が60歳の時、ご主人は76歳だよ。先立たれた時、君はもうやりなおしさえきかない年になっている、ということはイメージしたことがあるかい?」とアドバイスされていたら・・・・

私は夫を亡くして、一人でこの世を生きていけるとは思えません。
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なるようにしかならない (まろ0301)
2016-11-10 14:01:07
 人は必ず死にます。「その時」は予測がつきません。癌にかかって余命宣告をされる場合もありますが、普通は、「明日がある」と思って眠りにつきます。
 ヒトは間違いを起こしますが、それを間違いにしないように生きるのもまたヒトなのではないでしょうか。
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