夢というのは不思議なもので、妙に記憶に残っているものもあり、すぐに忘れてしまうものもある。いわゆる「悪夢」という奴もあり、何が何だかわからないものもある。最近ではそのようなことはないのだが、「あ、今、夢を見ているな」と自覚できるような夢もある。
そうなればしめたもので、何をしてもいいわけだ。何をしてもいいとなれば、一つしかない。まず、女性を探す。ところが、こういう時に限って、女性がいない。影も形もない。O歳から100歳までという超広々としたストライクゾーンを設定しても見つからない。
たいてい、私一人なのである。広い野原に私一人という場合もある。広い野原で何ができるというのか。草でも刈れというのか。むなしい。
一回だけ、街の中にいるという時があった。で、上にのべたように、女性の影も形もない。男ばっかり。その時も、心底がっかりし、夢が醒めてからもその「がっかり感」は残り、その日一日、がっかりし続けた憶えがある。
夢というのは、欲求不満の現われであって、その夢の中でその欲求不満は解消されるはずなのだが、解消されるどころか、余計に不満が募ってしまった。
夢を見ているという自覚がない時には結構普通に女性は現われる。ところが、そういう場合は、道徳心というシロモノに縛られているから、ごく普通に会話をしたり、冗談を言い合って終わるわけである。
先日見た夢は、こんな夢だった。
何人かで蟹を食べている。私の前には大きな皿があり、立派な松葉ガニが二杯おいてある。甲羅を外して、まず、蟹味噌を食する。この場合、最初は箸とかスプーンを使うのだが、最後は人差し指を使う。蟹の甲羅は、食器洗い乾燥機にかけたようにピカピカになる。身の部分の肉をほじくりかえす。皿に盛って行く。これも最後はチューチュー吸い出す。そしていよいよ足の身に取り掛かる。関節部分を外して、白と赤、だんだら模様の蟹の身をやはり皿に盛る。
あつあつのご飯の上に醤油を少しだけかけた蟹の身を敷き詰め、端から掻きこんでいく…というところで目が醒めた時の徒労感。しばらく天井を見つめていた。土曜日でよかった。平日であれば、欠勤しているところである。
ま、蟹味噌を食べ、身の一部分だけでも食べられただけでいいとしなければならない。しかし、ホントにろくな夢を見ない。楽しかった夢は忘れてしまうからだろうか・・・。
そうなればしめたもので、何をしてもいいわけだ。何をしてもいいとなれば、一つしかない。まず、女性を探す。ところが、こういう時に限って、女性がいない。影も形もない。O歳から100歳までという超広々としたストライクゾーンを設定しても見つからない。
たいてい、私一人なのである。広い野原に私一人という場合もある。広い野原で何ができるというのか。草でも刈れというのか。むなしい。
一回だけ、街の中にいるという時があった。で、上にのべたように、女性の影も形もない。男ばっかり。その時も、心底がっかりし、夢が醒めてからもその「がっかり感」は残り、その日一日、がっかりし続けた憶えがある。
夢というのは、欲求不満の現われであって、その夢の中でその欲求不満は解消されるはずなのだが、解消されるどころか、余計に不満が募ってしまった。
夢を見ているという自覚がない時には結構普通に女性は現われる。ところが、そういう場合は、道徳心というシロモノに縛られているから、ごく普通に会話をしたり、冗談を言い合って終わるわけである。
先日見た夢は、こんな夢だった。
何人かで蟹を食べている。私の前には大きな皿があり、立派な松葉ガニが二杯おいてある。甲羅を外して、まず、蟹味噌を食する。この場合、最初は箸とかスプーンを使うのだが、最後は人差し指を使う。蟹の甲羅は、食器洗い乾燥機にかけたようにピカピカになる。身の部分の肉をほじくりかえす。皿に盛って行く。これも最後はチューチュー吸い出す。そしていよいよ足の身に取り掛かる。関節部分を外して、白と赤、だんだら模様の蟹の身をやはり皿に盛る。
あつあつのご飯の上に醤油を少しだけかけた蟹の身を敷き詰め、端から掻きこんでいく…というところで目が醒めた時の徒労感。しばらく天井を見つめていた。土曜日でよかった。平日であれば、欠勤しているところである。
ま、蟹味噌を食べ、身の一部分だけでも食べられただけでいいとしなければならない。しかし、ホントにろくな夢を見ない。楽しかった夢は忘れてしまうからだろうか・・・。