蝸牛の歩み

「お話」を作ってみたくなりました。理由はそれだけです。やってみたら結構面白く、「やりたいこと」の一つになっています。

いちゃもん

2016-01-31 21:17:04 | 日記
 えー、世の中には「クレーマー」なんて人がいるそうで、なんでも、いちゃもんをつけるんですな。

 「お宅のお子さんが、ガラスを割ったんですよ、石をぶつけて」
 「その石はどこにあったんだ」
 「窓の下ですよ」
 「なんでそんなとこに石を置いとくんだよ!」
 
 なんてのもあったりするんですな。
 
「ちょっとー、お宅で買ったパソコン、スイッチ入れたんだけど、うんともすんとも言わないんだけど、不良品じゃないの」
 「えー、お客様、コンセントは差し込んでおられますでしょうか」
 「あっ!いやだー!忘れてたわよ」
 「そういう事はよくある事でございます、当店でお買い上げになりましたもので、何か不都合な点、不具合がございましたら、いつでもお電話をいただければ、十分な対応をさせていただきます」
 「あなた、妙に優しいわね、やだー、ひょっとして私に気があるの、やだー!!」

 こうなりますともうむちゃくちゃでございます。ところでいちゃもんと申しますと、私どもの世代で、思い出しますのは、「忠臣蔵」でございます。NHKの大河ドラマ、よかったですねー。滝沢修の吉良が、尾上梅幸の内匠守をねちねちいじめるんですな。で、プッツンになっちゃって、切腹。長谷川一夫の大石率いる四十七士が吉良邸に討ち入る。それが本日、一月三十一日でございます。
 見事吉良の首を取りまして、泉岳寺に供え、その場で腹掻っ切ってオシマイ、と言う事だったようですが、予定はしばしば変更されるってえやつで、自首しちゃったんですな。大石にしてみれば、さあ、俺たちをどう裁くか、見せてもらおうじゃないかって気持ちだったかもしれません。事実、議論百出、「忠義の臣である」「助命して、出家させては」という意見の中で、「世間を騒がせたという点では、罪は死罪にあたる、しかし、主君への忠義を果たしたという点は十分にくみ取り、武士としての立派な最期、すなわち切腹と言う事でいかがかと」という荻生徂徠の意見が採用されて、各家々にお預けとなり、沙汰を待て、となります。
 赤穂浪士の事に詳しい方の本を読んでみますと、切腹そのものも素っ気ないものであったようです。
 三方の上に九寸五部を置き、それに手を伸ばそうとするときに首ががら空きになりますな。そこで介錯人が首を切り落とし、死体は布団にくるんで運び去り、「ハイ、次!」という状態であったと申します。「腹掻き切って」という切腹を行えたのは数えるほどしかなかったんですな。
 各大名家の扱いも様々で、世間様がいやに「義士である」と持ち上げるもんですから、あわてて待遇を改善したり、「実は・・」と後になって話をでっち上げたりと大変だったそうで。 
 江戸時代と申しますと、武士がえばっていて、庶民はへいこら這いつくばっていたように見えますが、案外、「世論」「評判」ですとか、「噂」「風向き」には敏感だったようですな。そこへいきますと、今の偉い方たちは世論も風向きも気にもなさらない。「人のうわさも七十五日」を決め込んでいらっしゃるようで。これでは、庶民は嘗められっぱなしですが、嘗められてることにも気がつかない、そんな方もいらっしゃるようで。
 歳のせいか妙に愚痴っぽくなっちまいまして、失礼いたしました。

建国記念日

2016-01-30 17:09:30 | 日記
 よく散歩をする道に、更地ができていた。思い出そうとしたのだが、以前どんな家が建っていたかの記憶がない。物忘れするのは最近はお手の物になってきたので別段、気にすることはなかった。ただ、すごく広いところだった。五百坪はあったんじゃないか。マンションでも建つのかな・・・と思っていた。
 次に通りかかった時、敷地全体がいかにも頑丈そうな煉瓦でできた塀が巡らされており、塀の上には有刺鉄線とガラス片がうえられていた。門はこれまた頑丈な鋼鉄製で、玄関部分に二つ、塀の上に左右合せて四つの監視カメラが設置されていた。
 どんな人が住んでいるんだろうと玄関の横にある陶板製の表札を見てみるのだが、あまりの達筆で読めない。
 車庫だろうか、シャッターが右手にある。そのシャッターの右に人が立っている。がっちりした体型で、黒メガネ、黒のズボンに黒のジャンパー、手を後ろで組んで、足は肩幅ぐらいに開いて立っている。山ほど知りたいことがあるので声をかけたいのだが、かけただけで刺殺されるか撃ち殺されそうなので、やめておいた。
 塀の高さは4~5mはある。それより高いところから見ることができたら、家のなかは見える。知りたいという気持ちが抑えられなくなって、500mほど離れたところにあるマンションに住んでいる知人に連絡を取ってみた。普段は賀状のやり取りをするぐらいで、ここしばらくはあっていないのだが、事情を話して訪問させてほしいと切り出した。一週間ほど待ってほしいと言われた。家じゅうゴミ屋敷になっていて、片付けるのにそれぐらいはかかるという。手伝うからという条件を出して、三日後に訪問した。午前中は片付けで潰れた。部屋の片づけ、ゴミの分別、雑巾がけをしていたらすでに夕刻、明日もう一度ということになった。リサイクルショップで買いこんだ望遠鏡は、そのまま置かせてもらっていたので、焦点を調節してみた。ものすごく単純な作りだった。直方体の家だ。申し訳程度に小さな窓があり、あとは全面真っ黒。
 人が住んでいる気配と言うものが全くない。およそ生活の匂いがしない。
 と思っていたら、屋上の左隅の部分がゆっくり開いて、金属製のポールが出てきた。そして、そのあと、アメリカ国旗がスルスルと掲揚された。
 ???
二人で顔を見合わせた。隣の部屋で机に向かっているご主人に声をかけて、見てもらうと、こともなげに、今日は、7月6日だから、独立記念日ですね、アメリカのと言う答えが返ってきた。二人とも高校の時に世界史を取っていたのに,不覚であった。
 次は14日にフランス国旗があがるんじゃない、と彼女が言った。同意。さすがは『ベルばら』世代である。
 14日に行ってみると、確かにフランス国旗が掲揚されていた。ウィキペディアで各国の建国記念日を調べ、各国の国旗も調べた。7月だけでも、21日にベルギー、22日にポーランド、26日にモルジブとリベリアの国旗が掲揚された。各国の建国記念日になると、彼女の家に行って、各国の国旗が掲揚されるのを見るのが楽しみになった。しかし、相変わらず、どんな人が住んでいるのかはわからなかった。
 2月11日になった。イランの国旗が掲揚された。ウィキペディアによると、「イスラム革命によって革命側が政権を掌握した日」と書いてある。日本の旗が揚がらない。「紀元前660年神武天皇が即位した日」が日本の「建国記念日」であり、世界の国の中で唯一、ファンタジーの世界なのだ。
 なるほど、ちゃんとした基準があるんだ。
 どんな人が住んでいるんだろう?

漱石さーん

2016-01-29 15:03:21 | 日記
 それから三四郎は門を出た。いろんな方角へ行く人を眺めていると、眠たくなって、草を枕に寝ることにした。道草をくってしまった。家に帰って硝子戸の中から外を眺めていると、天候の具合か、明るくなったり暗くなったりする。玄関に人の気配がしたので出てみると、坊ちゃんが猫を連れてやってきた。いつごろまでいらっしゃるのでと訊ねると、彼岸過ぎまでと言う。手には虞美人草を持っているのだが、どうも心のうちは測りかねる。
 倫敦搭に行ったときには肩に文鳥をとまらせた抗夫に逢った。

浦島太郎に関する考察

2016-01-28 17:19:47 | 日記
 浦島太郎と言うお話がある。知人がこの話について大変に腹を立てていた。土産だと言って渡しておいて、「開けてはいけない」とは何事か。アメリカ人なんか、プレゼントはその場で開けてほしいと言うではないか。
 帰ってみれば、知った人はだれもおらず、寂しさのあまり太郎は、箱を開けてしまう。乙姫は、そうなることを見越していたのか?だとしたらむちゃくちゃ残酷な話ではないかと。
 ちょっと考察を加えてみたい。
 「永い間お世話になりましたが、そろそろ家が恋しくなりました。帰りたいと思いますので、また亀のお世話になりたいのですが」
 「そうですね。長い間お引止めして本当に申し訳ありませんでした。それと、これは、お詫びの印と言っては何なのですが、玉手箱でございます。ただ、大変に美しい箱でございますが、床の間にでも飾って頂いて鑑賞なさってくださいませ」
 「といいますと?」
 「開けてはいけないのです」
 「えっ、開けてはいけないって、何でですか?こんなきれいな箱ですから、中に何が入っているか確かめたくなるのは当然ではありませんか」
 「とにかく、竜宮城に古くから伝わる教えといたしまして、『この箱開けるべからず』となっているのです」
 「あ、そうですか、昔からの言い伝えであれば、それをないがしろには出来ないと思います。伝統を守ることは大切ですから。では、『開けていい箱』をいただけませんか」
 「えっ!」
 「なんでもいいんですよ、竜宮城へ行ってきたという印になればいいので、竜宮クッキーとか、乙姫最中とかないんですか?」
 「そ、そんなものはございません。そんなものをお渡ししたら、竜宮城はどこにでもある観光地になってしまいます」
 「なんでしたら、アジの開きとか、カレイの一夜干し、タコの塩辛でもいいんですが。ここならあるんじゃないですか」
 「アジの開きだなんて、夢を壊すようなことをおっしゃらないでください」
 「なるほど、それは私が悪かった、取り消します。ただ、お聞きしたいのですが、なんで開けてはいけないのですか?お土産と言うものの楽しみは、家に帰って開けてみるところにあるのではありませんか。それともなんですか、外観の見事さにくらべて、中に入っているものが石ころ同然のつまらないものである・・・というオチなんですか?」
 「そっ、それは・・・」
 「それともなんですか、中に何かの粉末が入っていて、開けた途端にその粉末を吸い込むと死んでしまうとか・・・」
 「そっ、そんなひどい事するわけないじゃないですか」
 「じゃ、この場で開けてもらおうじゃありませんか」
 「そっ、それは・・・」
 「さぁ、開けてもらおうじゃないか!!」
 「ものども!!太郎を捕えよ!!」
 「な、何をするんだ!!」
 「秘密を知られては仕方がない。この中には煙が仕込んである。人間と言うものは、開けるなと言われると開けてみたくなるという性質を持っている。私はそこいら辺は織り込み済みだ」
 「煙の中に毒が仕込んであるのか!」
 「だから、そんな残酷なことはしないと言っただろう。ただ、年をとる、それも一瞬で。竜宮城の一日は、人間世界の一年にあたる。つまりお前は竜宮城に70日居たから、人間の世界では70年経っていて、帰った時には誰も知ったものもなく、お前のことを知るものもいない。寂しくなったお前は玉手箱を開け、一瞬のうちに70、年をとることになるのだ。若者のお前はあっという間に白髪の老人となる」
 「そんなにべらべらしゃべっていいのか」
 「どのみち、お前はここからは帰れない。ものども、太郎を牢屋に入れてしまいなさい」
 「乙姫様、どうなさいます?」
 「なかなかむずかしいものじゃな。亀を助けるという優しい心と、『開けてはいけませんよ』と言う私の言葉を素直に受け入れる若者がでてこないものかのう・・・」

 で、そういう若者が出てきましたので、やっとのことを浦島太郎のお話は昔話として確定したのでございます。

ダンボルギーニ

2016-01-27 20:15:28 | 日記
宮城県の段ボール加工会社が段ボールで作った、イタリア製高級スポーツカー「ランボルギーニ」の実物大模型「ダンボルギーニ」が、本物の「ランボルギーニ」と共演することが、同社への取材で分かった。ランボルギーニ正規販売店の担当者が製作者の思いに共感し、申し出た。「ダンボルギーニ」と「ランボルギーニ」の2台は、東日本大震災の壊滅的被害から復活し、今月23日にようやくオープンを迎える宮城県女川町の駅前商店街に展示され、復興に華を添える。

 と言うニュースが目に入りました。ランボルギーニは4800万ほどするらしいですな。ダンボルギーニは、加工会社の社員さんたちが仕事の合間にコツコツ作り上げた、500個のパーツを組み立てたものだそうで。ツィッターに投稿したら麻布のランボルギーニの正規販売店から、メール。社長、てっきり怒られると思ったそうですが、麻布店に勤務している社員の一人が宮城県出身で、女川町で開催される駅前商店街の開店記念に、ダンボルギーニと並んで花を添えることになったと申します。
 ダンボルギーニを製作した会社の社長は、こんな辺鄙なところでも面白いことをやってるやつがいるという事を報せたくて、この企画を思い着いたそうですよ。
 いい話じゃありませんか。なにより洒落てる。「仕事の合間に」って書いてありますが、要するに、遊んだわけですよ。四方八方見渡せば、金・金・金の世の中ですが、捨てたもんじゃない。「こんな辺鄙なところ」に行って見ようじゃないか…と思う若い人が、いや別に若くなくてもいいんだ、第二の人生を楽しもうてぇ人が一人でも集まってくれたらいいなと思いますよ。
 私も何かやってみたくなりましたね。この記事の効用ってやつでしょうかね。
 えっ、もうやってるじゃないかって。ああ、このカタツムリですか?そう言われればそうですな。いやいや、もっと高尚な、ほら、ルーペかなんか片手に、苔とか花とかを観察したいものですな。そうなれば、ワタクシもナチュラリストなんてぇことになりますな。尊敬しておりますレイチェル・カーソン様に一歩近づけるかもしれません。