蝸牛の歩み

「お話」を作ってみたくなりました。理由はそれだけです。やってみたら結構面白く、「やりたいこと」の一つになっています。

うちの仔たち

2015-12-26 12:10:26 | 日記
 私がお風呂に入ると、まろがやってくる。両手でお湯をすくって差し出すとぴちゃびちゃ音を立てながら飲んでくれる。ところがまろは不器用なのか、その7割がたはかすってしまい、そのうちにお湯がこぼれてしまう。もう一度お湯をすくう。飲む。かする。すくう。飲む。かする・・・多い時でこれを8回くらい繰り返す。
 器用なのはあもで、ほぼ正確にヒットして飲み続けている。だから、上記のサイクルは3回ぐらいですむ。
 この時の至福感は何物にも代えがたい。
 
 そして、ソファーに座っていると、チャーが来る。ブラシで毛を梳いてやると、陶然とした顔になり、徐々にお腹を見せようになる。お腹の毛を梳いてやるとごろごろ喉を鳴らす。
 この「ごろごろ音」は、疲れを吹き飛ばし、全身をマッサージしてくれる効果がある。(※効果については個人差があります)
 ごろごろ音は、あもが一番大きい。この仔は、ごろごろ喉を鳴らしながら寝ている私のところに接近してきて、まず耳を、そして鼻の頭を甘噛みしてくる。ようするに、「父ちゃん、おきろ。朝だぞ、俺たちに食事をくれろ」ということなのだろうが、嬉しいような、迷惑なような。
 チャーは、隣で寝ている妻が担当らしい。6,5kgほどあるのだが、ドカッと乗ってきて(それでも妻は寝ている)、前足で、顔や鼻の頭をちょいちょいやって、起こしてしまう。
 睡眠時間を大切にしようと思えば締め出せばいい。しかし、今は暖冬とはいえ冬であるので、この仔たちが布団の中に入って来ることを誰が拒否できようか。
 岩合さんの「世界猫歩き」を見ていたら、22歳というご長寿のネコが出てきた。三匹ともに長生きしてほしい。
 三匹と私の家族、親族、そして私につながるすべての人たちが幸福でありますように、とお寺にいっても、神社に行ってもお祈りをする言葉に変わりはない。

※この内容は以前書いたものとダブっているかもしれません。今後、そのようなことがまた起こるかもしれませんが、お許しください。

通学路

2015-12-25 14:01:41 | 日記
 今日は、英単語のテストがあるのでいつもより早く家を出た。学校までは歩いて10分ほどだから、大丈夫と思っていたのがまずかった。家のドアを開けた途端に、右手のダイコン畑の中に大根に化けて潜んでいた男が軽機関銃で撃ってきた。一応、想定内ではあったので、ジャンプして側溝の中に飛び込み、家と連絡を取る。二階の窓から男を狙撃してくれたので、第一関門は突破。
 5mほど歩くと、銃弾が頬をかすめた。通学カバンの中に入れてある厚さ1cmの鋼板で身を守る。銃弾が飛んできた方向を割り出して、ワルサーで連射。電信柱の上から男が転がり落ちてきた。
 こうなると、歩いている場合ではない。走った。左側の倉庫から、ロケットランチャーを持った男が飛び出してきた。ワルサーは弾切れ。やられる!と思っていたら、屋上に置いてあった戦車砲が火を吹いて男を吹き飛ばしてくれた。爺やはこんな時に本当によくやってくれる。帰ったら、怒られるだろうなぁ、ちゃんと弾を確認しておかなかったからですよ!と。
 走りながら、10mほど向こうのやぶの中に手榴弾を放り込む。これがビンゴで、4人ほどの男たちが宙を舞った。あと100mほど。おかしい。何もない。こんな時が一番危ない。校門が見えた。生徒指導の先生たちが遅刻指導のために立っている。おかしい、一人がヅラだ!背広の内側に手を入れてピストルを出そうとしたが、至近距離だとナイフの方が早い。腱を断ち切って校門を通り抜け、なんとか滑り込む。
 さあ、単語テストの予習を・・・と思ってカバンを開けると、単語帳が穴だらけ。これで今回も一ケタかも・・。

里芋ころころ

2015-12-24 09:52:45 | 日記
 夕食の準備をしていた時のこと。里芋を煮ていた。ことこと煮て、もういいかなと思い、味見をしようと箸でつまんだところ、つるっと滑って、床に転がった。「三秒ルール」というのがあって、床に落としたものでも、三秒以内に食べればオッケーという意外によく知られているルールがある。
 好物でもあり、腹が減っていることもあり、モノを大切にする精神に満ちている私としては放置するわけにはいかない。追いかけた。追い付いて箸で抑えようとしたら、また滑った。煮立てなので熱いだろうと思って手をつかわなかったことが悔やまれる。
 家の外に飛び出した。我が家の立地も悪かった。なにせ、丘の上の一軒家である。丘を転がり出した。待て!と呼びかけても芋には耳がないから止まってはくれない。あ、ネコがいる。里芋は、あくびをした猫の口の中に飛び込んだ。そして、お尻からプリッと出て行った。なんてよく滑る芋なんだと感心していると、このあたりの主として知られる大きな蛇が春の陽気に誘われて出てきて、ネコと同じように大あくびをしている口の中に飛び込んだ。蛇はびっくりしたような顔をしていたが、また、お尻からプリッと出てきた。
 すでにかなりの速度がついている。野原で昼寝をしていたおじいさんのテカテカの頭の上を滑って、そのままジャンプ!見事な大ジャンプであったが、ここで芋の運は尽きた。カラタチのとげに突き刺さってしまった。
 もう大丈夫だろうと思って、そっと親指と人差し指でつまんでみた。ほのかに暖かい。
 三秒はとっくに過ぎているが、ルールを改正しよう。水でさっと洗って食べてみた。ネコと蛇のお腹の中をくぐり、枯草とおじいさんの頭を転がったお芋は大変に美味であった。二度と食べられないだろうが、何事も経験である。新しい食の世界が開けた。

猫のお寺

2015-12-23 14:13:54 | 日記
 NHKの旅番組はよく見る。しかし、実際に行って見ると、ガッカリすることが多い。入念な下調べと絶妙なカメラワーク、風景の切り取り方で、修正を施した見合い写真のような出来栄えになる。
 奈良にある寺に行ったとき、番組では紹介されていなかったいきものと逢えた。三匹のネコである。毛並みも悪く、目やにもたまり、一匹は皮膚病を患っている。これでは被写体になりにくいだろう。ただ、寺の方たちは、三匹を大切に飼っているようだった。
 皮膚病のネコを膝に抱きながら入場券を売っているお坊さんがいた。
 「可愛いですね」とお世辞をいうと、
 「本当はそう思っていないでしょう」という返答が帰ってきた。意地悪ないい方ではない。私の心にズバッと斬りこんでくるような、それでいて柔らかな言い方だった。
 おもわず、「そうですね」と言ってしまい、取り繕うために、「うちにも三匹いるんです」と言った。
 「でも、こんな仔はいないでしょう」とさらに斬りこんでくる。
 「うちの仔は三匹とも野良ですが、こんな病気には幸いかかっていませんね」と言い、「病院に行くとか治療はしてやらないんですか?」と言わずもがなのことを言ってしまった。
 「あいにくお金がなくて。ごらんの通りの貧乏寺ですから」と言った後で、「あなた、連れて行ってくれませんか」と言われてしまった。
 引っ込みがつかなくなるとはこの事で、「この近くに病院があるんですか?」と訊ねると、「門を出て、右の方に50mほど行くと病院があります」と言いながら、ネコを渡されてしまった。その時、私は白い麻のジャケットを着ていたのだが、受け取った途端に、血と膿がべっとりついてしまった。苦しくて弱っているのか、静かに抱かれている。
 門を出て50m、確かに獣医はあった。玄関を開けて、「お願いします」と呼んだが返事がない。「すみません!」と二度大きな声で呼ぶと、かなり年代物の医師が出てきた。
 「この仔なんですが」というと、診察台の上に横たわらせて、まず体全体を拭き、薬を塗ってくれた。
 「塗り薬と化膿止めの飲み薬とを入れて置いた」と言われて、5000円とられた。
 「塗り薬と化膿止めの薬をもらってきた」というと、坊さんは「良いことをされましたね」と言った。
 水道を借りて、ハンカチを濡らしてジャケットについた血と膿とを拭き取った。家に帰ってからも、妙に気になる。結局、二カ月ほどたってまた行って見た。
 門をくぐって券を売っている坊さんのところへ行くと、皮膚病に罹ったネコを抱いている。
 思わず、「塗り薬と飲み薬は」ときつい口調で言ってしまった。
 坊さんはにっこりしながら、奥の方を指さした。ご本尊様の膝に猫が寝ている。
 「お世話になったネコです。よくなりました」と坊さんは言った。
 「また行ってもらえませんか」と言われた。差し出されているわけだから、受け取らざるを得ない。何のためにクリーニングに出したのかわからない。麻のジャケットは前回と同じことになった。
 また5000円を支払った。
 それから1か月、あの寺が夕方のニュースの中で紹介されていた。
 アナウンサーが、御本尊の膝の上で寝ている猫を、「可愛いですね」とほめると、「ええ、菩薩様のような方がいらっしゃいまして」と坊さんが答えていた。1000円で菩薩になれるのなら安いもんだ。
 カメラを持った中高年、若者たちが境内をうろうろしているようだ。「心を癒すネコのお寺」とタイトルはなっていた。
 気がつくと、うちの三匹がテレビの画面を見ていた。そろそろ夕飯の時間だ。

二つの珠

2015-12-22 14:49:13 | 日記
 龍はずっと以前には、世界中に分布していたようだ。特にヨーロッパと中国には多数生息していたようで、龍と戦った話とか、龍にまたがって飛行した話とかは枚挙にいとまがない。
 しかし、龍は徐々にいなくなってしまった。龍というのは不思議な生き物で、その存在を信じる者にしか見えないという特徴があり、見えたからには倒さねばならないという古くからの約束がある。その約束を記した最古の文書は古代アレクサンドリアの図書館に所蔵されていたのだが、紀元前47年のカエサルのエジプト侵攻時に焼失したと伝えられている。
 人間が龍と戦った記録としては、『ニーベルンゲンの歌』のジーグフリートが有名である。血を浴びることによって不死身の身体を手に入れたのだが、一か所だけ血を浴びることのなかった箇所があり、そこを突かれて彼は死ぬ。
 ただ、先ほどの約束を意に介さないものがいたらどうなるか。つまり、見えるのだが、龍と共存しようと思ったものがいる可能性はないかということである。実は私のご先祖様の一人がそのようなへそ曲がりであった。
 ジーグフリートが倒した龍は、実はまだ命があったのである。戦いの現場を見に行っていた野次馬根性旺盛なご先祖様は、従者6人とともに車に乗せて半死半生の龍を自宅に運んだ、ジーグフリートは、血を浴びるのに心を奪われており、ご先祖様たちの行動には全く気がつかなかったそうだ。
 龍はそんなに大きくはない。成長した龍で12mほどにはなるのだが。ご先祖様は周囲の森から木を切りだして来て、龍専用の療養施設を作った。滅多切りにされて身体の中の血の多くを失っていた龍であったが、毎日一頭の牛を食べさせると一月ほどで傷が癒えたという。
 龍は、助けてもらった礼を言い、何か望みがあればかなえようと申し出たそうだ。ご先祖様は、君が元気になることだよ、というと、龍はぽろぽろと涙を流し、その涙はすべてサファイアに変わったという。
 そのサファイアで牛を買い、龍の食糧とした。
 龍はご先祖様を誘って空を飛ぶこともあったそうだ。『ガリヴァー旅行記』で紹介されているラピュタの上空を飛んだり、万里の長城の上も飛んだという。一番遠いところでは月まで行ったというけれど、これは眉唾ものである。
 ある日、龍がぽつんと言った。
 「仲間のところへ帰りたい」
 ご先祖様は、その気持ちはよくわかると言い、帰る前に腹いっぱい食べたらいいと、牛を10頭差し出した。龍は、味わうようにして一頭一頭食べたそうだ。そして、二人の出会いの印として、一つの珠を差し出した。
 「私も同じものを一つ持っている。逢いたくなったらいつでも連絡をくれ」
 「わかった。そちらからも連絡をくれたら嬉しいよ」
 先日、蔵の中の大掃除をしていたら、それらしきものが見つかった。タオルで磨いたら、龍の姿が見えた。奥さんらしい龍と、三頭の子どもの龍が見えた。連絡は取らないことにした。平和な家庭の邪魔をしたくないから。