蝸牛の歩み

「お話」を作ってみたくなりました。理由はそれだけです。やってみたら結構面白く、「やりたいこと」の一つになっています。

ブーム到来

2015-12-29 14:50:35 | 日記
 地球の人口は、75億をピークとして減り始めた。それも異様な減り方であった。一月一日に、一日だけでざっと見積もって5億づつ減り始めたのである。
 世界のあらゆるところで、人々は、自分の隣人が消滅する瞬間を目撃した。消滅するタイプは、大きく分けて二つあったが、共通しているのは、いきなり全裸になるということだった。脱ぎ捨てられたか、はぎ取られたかした着衣はその人が立っていた場所に散乱していた。そして、上半身から消えていくタイプと、下半身から消えていくタイプの両方が観察された。
 上半身から消えていく場合はどうという事はなかった。次に下半身が消えるだけだったから。
 悲惨なのは、下半身から消えていく場合だった。地上5mほどの距離まで持ち上げられた(としか思えなかった)人々は、その場にいた人たちの心をへし折るのに十分な絶叫と、恐怖と苦痛に満ちた顔を見せて上半身も消えて行った。
 次の年の一月一日、全世界の人たちは外出することはなくなった。家に籠っていれば大丈夫という観測がなされた。しかし、人々が見たのは、家の屋根が引きはがされ、そこに住んでいる人たちが消滅していく姿だった。
 ビルであっても、地下室であっても関係なかった。地下室は実際に見ていた人の証言によると、「姿の見えない巨大なバールのようなものによって地下から掘り起こされ」、そこに立て籠もって身を守ろうとした人たちの努力は徒労に終わった。
 10年経って、地球の人口は20億を少し上回る程度に減少した。
 何故なんだろう、なぜこんなことが起きるんだろうと人々は考え、様々な論考が発表された。
 11年目から、減り方のスピードがゆっくりになった。1億を若干下回るようになった。人口は、20億付近で安定し始めた。
 15年目に、日本のある若者が、約5ページほどの論考を発表した。
 その論考の骨子は、以下のようであった。

一、宇宙のどこかで、「一月一日は地球人を食べよう」というイベントを誰かが提唱し、それに賛同する誰かたちが一斉に流行を作り出したのではないか。

二、人口が安定したのは、「取りすぎ」を危惧した誰かが資源の保護を提唱し、その提唱が受け入れられたのではないか。

 人々、特に日本人は、土用丑の日を思いだし、クリスマスのチキンを思い出した。七面鳥のことを思い出す人たちもあった。

 ブームが去ってくれることを人々は切に願ったが、そうはいかなかった。地球人は、自分たちは保護されながら食べられていく存在であることをいやおうなしに知らされることになった。