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尾張派VS近江派   関が原前夜

2009-08-17 21:42:13 | 歴史
大河ドラマ「天地人」も、クライマックスの関が原近しと言う感じですよね。

関が原の戦は、秀吉の小姓上がりの諸将のうち、秀吉が尾張の頃から召抱えた、福島正則や加藤清正などの尾張派と、秀吉が長浜に居を移してから召抱えた、石田三成などの近江派の反目が根底にあったことを考えなければいけません。

尾張派は武断派、近江派は文治派と思っていただければいいです。

尾張派は秀吉の正室北政所(寧々、秀吉没後高台院)と親しく、それに対し近江派は、世継ぎ秀頼の母、淀殿(茶々)から信頼を得ていました。
もちろん、北政所は尾張出身、淀殿は近江出身です。

家康は、秀吉没後、この二派の反目をうまく使って、権謀術数を働かせるわけですよ。
家康は北政所の信頼を得て、尾張派の諸将を取り込んでいきます。

そしてある日、福島正則は石田三成を討ちに石田邸に向うのですが、三成は間一髪で自邸をのがれ、事もあろうに、事実上の敵方の大将家康の屋敷に逃げ込むのですよ。

ドラマチックですよね。

このほかに、毛利の動きや、前田の動き、もちろん我が上杉や独眼流政宗、山内一豊その他の諸将の動きなど、関が原前夜は数々の駆け引きが見られて、とても面白いです
大河ドラマは上杉中心に描くと思いますが、豊臣家内部の反目や諸将の駆け引きのことも頭に入れて見ると、より一層ドラマが面白くなると思います。


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