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本能寺の変、徳川家康黒幕説

2009-05-03 21:11:28 | 歴史
大河ドラマ「天地人」
次回はいよいよ本能寺の変ですね。

ずっと前にこのブログで書いたかもしれませんが、ドラマを楽しく見るために、「本能寺の変、徳川家康黒幕説」を紹介します。

信長と家康は同盟関係。
信長にとって、家康は東の脅威、武田氏に対する備えの意味がありました。
その武田も信玄が死に、跡を継いだ勝頼も、本能寺の変の前の2月に天目山の戦いで破れて滅亡します。

家康は信長にとって役目を終えた人になってしまいました。
人を道具のように使い捨てにする信長。
家康は危機感を抱いていたと思います。

また、家康はかつて信長に正室と嫡男に謀反の疑いを掛けられ、その疑いを晴らすために、正室を殺し、嫡男を自害させた経験があります。
戦国の世とはいえ、妻と子を殺された恨みは相当だったはず。

もちろん、後に幕府を開いた家康、このときすでに天下取りの野望もあったかもしれません。

そんな中、家康は信長に招かれて、安土城に来ていました。
そのときの接待役が明智光秀。
安土城で謀反の打ち合わせをするくらいの時間は充分にあったはず。

光秀も信長に対しては、強い恨みと危機感を抱いていました。
家康とはいわば同志ということになりますよね。

家康の後ろ盾を得た光秀は、行動に出ます。
そして、本能寺に信長を追い詰めて、自害させる。

家康はこの時、堺にいましたが、急ぎ浜松に戻ります。

ところが・・・

毛利と対峙して動けないはずの羽柴秀吉が取って返し、光秀を打ってしまうではありませんか・・・
家康は「チッ」と舌打ちしたことでしょう。

ちなみに、明智光秀は、山崎の合戦で生き残ったという説もあります。
家康の晩年の側近、天海大僧正は光秀その人とか?

ただ、400年も経った今となっては、証拠は何もなく、想像の域での話でしかありません。


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