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あまねのにっきずぶろぐ

1981年生
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

Metamorphosis

2017-05-14 20:25:43 | 物語(小説)
産婦人科医は、モニターを見ながらわたしにこう言った。
「お母さん、落ち着いて聞いてください。残念ながら・・・・・・あかちゃんたちは二人とも、鼓動が止まっているようです・・・」



わたしにはひとつ、思い当たることがあった。
わたしのせいで、お腹のなかの子どもたちが死んでしまった。
わたしが、判断を誤ったせいで、かれらは息絶えてしまった。
わたしが、農薬野菜を食べたせいで。
野菜の残留農薬は、小さな身体の彼らには猛毒だったのです。
こんなことになるとわかっていたなら、わたしは無農薬の野菜を買ったのに。
わたしが自然栽培の野菜を食べていたとき、子どもたちはとても元気いっぱいだったのです。



産婦人科医の若い男の先生は涙も流さずに放心しているわたしにこう言った。
「お辛いでしょうが、できれば、明後日にでもあかちゃんたちを外へ出してあげないと、このままではお母さんの身体が感染症を起こしてしまう可能性があります」
わたしは小さく膨らんだお腹をさすりながら応えた。
「わたしの子どもたちは、このまま腐ってゆくのですね・・・」
先生は悲しそうな顔で静かに頷いた。




二日後。

わたしは立ち上がって先生のまえに跪くと、手を胸のまえで組んで言いました。
「嗚呼あなたは、わたしのなかからわたしの愛する子どもたちを抜き去るお人。あなたはわたしのうちから死を抜き取るお人。あなたの御手が血と死によって、どうか穢れんことを」
先生は立ち上がってわたしの頭の天辺に手を置くと言いました。
「女よ、ひとりの弱き母親よ、あなたのなかから、わたしは死を取り除く者である。わたしは決して、血と死によって穢れることを知らない者である。それがゆえ、心配しないですみやかにそこ、そこの棚の上から三番目の引き出しのなかに入ってあるワンピースに着替えて分娩台に上がりなさい。わたしは素早く準備をしてきますから」
わたしは言われたとおりに白いワンピースに着替え、それ以外は何も着けずに分娩台へと上がりました。
すこし経つと先生が戻ってきて言いました。
「ではこれから、アウスを行ないますので、麻酔をかけます」
「先生、アウスとは何でしょうか?」
「失敬、アウス(AUS)とは人工妊娠中絶手術の隠語です。亡くなってしまったあかちゃんたちを、中絶と同じ手術法によって外へ出してあげないとならないのです」
わたしはショックでしたが先生を信頼して、すべてを任せました。


わずか10分の手術の一時間後・・・うたた寝から醒めたようなとても悲しい心地のなかに、目を開けると目のまえに優しい御顔の先生がわたしの顔を心配そうに眺めていました。
「無事に手術は終えました。胎盤も綺麗に取ることができましたから、これで感染症の心配はないでしょう」
わたしは感謝して頷くと言いました。
「先生、わたしのあかちゃんたちを、見せて頂けますか?」
先生は翳った顔で俯くと応えました。
「残念ながら、今はお見せすることができません」
「なぜですか・・・?」
先生はわたしの頭を撫でながら言いました。
「あかちゃんたちが、そう言っているからです」
「先生もしかして・・・あかちゃんたちの霊と話すことができるのですか・・・?」
先生は柔らかく微笑んで言いました。
「実はそうなのです。わたしは胎話士でもあります。しかしわたしの場合は水子の霊とだけ話すことができます」
「そうだったのですか!わたしのあかちゃんたちはなんて言っていますか・・・?」
「あなたが望むなら、今からわたしがあなたのあかちゃんたちに乗り移らせて、わたしの声であなたと話せるように致しましょう」
「本当に!是非ともお願いします先生!」
「それでは、今からあなたのあかちゃんに代わります」
そう言うと先生は目を瞑りました。
そして目をぱちくり開けると言いました。
「ママ!ぼくだよ!わかる?」
先生はそう言った途端、わたしに抱きついてきました。
わたしは驚きと喜びのなか、その身体を抱きしめながら「坊やたち・・・会いたかった・・・」と涙混じりに言いました。
「ママ、ぼく、ふたりじゃないよ、ひとりだよ!ぼくのからだはふたつだったけど、たましいはひとつだったんだよ!」
「そんなことってあるのね・・・」
「あのさ、ママ、ぼく死んじゃったけどさ、次にもぜったいママのお腹に宿るから!だからぼくのこと待ってて。あとさ、ぼくのからだ、青かったんだよ。さっきみたんだ。青いっていってもさ、緑色だったよ!まるで、青虫みたいな色だった。だからぼくのこと、あおちゃんって呼んでね。名前を呼ばれると、ぼく嬉しいから!あ、あとさ、次に生まれるときのパパなんだけど、今ぼくがからだを借りてしゃべってる先生がいい!先生もママのことを愛してるんだって。さっきぼくに教えてくれたんだ。ママも先生を愛してあげて。それでママとパパのあいだにぼくが生まれてくるから!」
「あおちゃん・・・ママはあおちゃんを一番に愛してるの。先生は二番目に愛することができるかしら・・・」
「だっ、だめだよ!先生は、ママに、一番に愛してもらいたいって言ってたもん!ママは、あおちゃんも、先生も、一番に愛さなくちゃだめなんだよ!」
「そう・・・できるかしら・・・ママあおちゃんがほんとうに愛おしいの。ずっと一緒にいてほしいのよ」
「ぼくだって・・・同じさ、ママ。だからそのためにも、ママは先生も一番に愛してあげて?ね?そうじゃないと、先生は、ぼくの将来のパパは、悲しんじゃうよ。きっと、絶望して、死んじゃうよ。パパもママに負けないくらい繊細だから。だからあおちゃんのパパが死なないためにも、ママはパパを一番に愛してあげてね。約束して、ママ」
「うん・・・ママあおちゃんと約束するわ。ママはあおちゃんも先生も一番に愛するわ」
「やった!パパも大喜びだよ。・・・あ、ちょっとパパがママに代わってくれって、いったん代わるねママ」
「ママ・・・じゃ、じゃなくて、う、ウズ様、あおちゃんとお話できましたか?」
「はい・・・感激して、胸の奥が震えっぱなしです」
「それはよかった」
「あの、先生・・・」
「はい」
「あおちゃん、緑色だったのって、本当ですか・・・?」
「本当です。だから、あおちゃんなのです」
「それは、腐って・・・ですか・・・?」
「違います。元から、あおちゃんだったのです」
「お願いします、先生。一瞬でいいので、見せてくださいませんか?」
「あおちゃんを?」
「そうです」
「あおちゃんは今・・・形がない状態です」
「そんなに・・・・・・」
「あおちゃんはずくずくでずるずるでぬめぬめな感じです」
「そうですか・・・・・・」
「でももう少しすれば、お見せすることもできます」
「本当ですか・・・?」
「はい。お約束いたしましょう。必ず、その時が来たら、あなたのおうちに送り届けるとお約束いたします」
「ありがとう先生・・・」
「だからあおちゃんとの約束も必ず守ってください」
「わかりました。先生のすべてを、わたしはお受けいたします」
「よろしい。では参りましょう。ウズ様」
「どこへ・・・・・・?」
先生はわたしを抱き上げると地下へ下りながら言った。
「あなたのなかへ」








目が醒めて、小さな容器のなかで育てていた二匹の青虫を見てみると、悲しいことに二匹とも身体は縮んで死んでしまったようだった。
わたしの判断が間違っていたからだ。
自然栽培の青梗菜を食べていたときは、あんなに元気だったのに。
スーパーで買ってきた青梗菜を与えだしたら途端に食べなくなって動かなくなってしまったのだ。
野菜の残留農薬は小さな虫にとって、どんなに洗い流そうとも猛毒だったのだ・・・。
わたしは迂闊だった。何故そこに気づくことができなかったろう。
こんなことになるなら、無農薬の野菜をすぐにでも注文してあげたらよかったと後悔した。
白い二匹の蝶が、青空へと飛びたつ瞬間を、わたしは夢見ていた。

その時、ドアの外に、コトンと何か音がしたような気がした。
ドアを開けて見てみると、そこには小さな箱が置いてあった。
わたしはその箱を部屋のなかに持ち帰り、なかを開けてみた。
するとそこには、切り刻まれた白い蝶の羽根のような薄い欠片のようなものがたくさん敷き詰まっていた。
本物の蝶の羽根のようにも見えたが、よく見てみると、どうやら蝶の羽根に似せた作り物のようだった。
どの羽根の欠片も奇妙なかたちで、これはまるでパズルのピースのように想えた。
わたしはその欠片をひとつひとつパズルのピースのように組み立てていった。
白い羽根のなかにはちょうど色の濃い部分があり、その部分は組み立ててゆくごとにやがて模様を創りあげていった。


数ヵ月後・・・

ようやく、わたしは蝶の羽根のパズルを完成させた。
そこに薄っすらと浮かび上がった模様は、見つめれば見つめるほど、あの日夢のなかでお話した、あおちゃんの顔だった。
いや、あおちゃんに乗り移られた、優しい先生の面影だった・・・。

わたしは想った。
彼はいつ、羽化するのだろうか。
わたしのなかで・・・・・・。
















残るものたち

2017-05-14 02:36:13 | 生命の尊厳
今夜の記事は重苦しいものが多いので、あんまり寝る前にはお読みにならないほうがいいかもしれません。
自分でも書いていて、結構きついものがあります。



「斬り刻んでも飽きたらんちゅうのはおまえのこっちゃ。こなしてくれるわ、エイッ」
河内音頭の「河内十人斬り」で昔の人々はこのくだりに入ると大喝采を挙げたらしい。

河内十人斬り(かわちじゅうにんぎり)とは、大阪の当時、赤坂水分(あかさかすいぶん)村という場所で起こった大量殺人事件である。
我が生涯の師匠として尊敬するきっかけとなった作家、町田康の「告白」という小説の舞台となった殺人事件であって、わたしはこの小説を元に前に「天の白滝」という小説を書いていました。
自分にとって特別な小説であり、特別な殺人事件であり、今でも登場人物たちはわたしの分身のような存在としてわたしの内に息づいています。

相手の顔を何度も刀で切り刻み、生きたままはらわたを引き摺り出し、首を切り落とし、わずか生後一ヶ月の新生児や三歳、五歳の幼児の身体を滅多切りにし、はらわたを辺りにぶちまけたと言う。

わたしはこの殺人事件の異様な残虐さと、今わたしが直面している中絶問題の残虐さがよく似通った惨劇であることに気づいた。

「斬り刻んでも斬り刻んでも飽きたらん」
此の世で最も生きたまま斬り刻まれ続けている人間は、胎児である。

この「斬(ザン)」という漢字は残酷のザンであり、惨殺のザンでもあることに気づく。


①「きる」

 ア:「刀できる」、「きり離す」(例:斬刈)

 イ:「きり殺す」(例:斬首)

②「刑罰の名前」

 ア:「首をきる刑罰」

 イ:「腰を真っ二つにきる刑罰」

 ③「絶える・尽きる(続いていたものが終わる)」



「車」の象形と「曲がった柄の先に刃をつけた斧」の象形から、
 「車でひき、斧で切る刑罰の名」を意味する「斬」という


わたしにとって、最も自分の心と身体が痛むのは主に肉体の”切断”というものであり、この「斬」という漢字は最も「切断」的な残虐さにある漢字であることに気づいた。

それは「切り離す」という意味が入ってあり、また首や腹を切断するという意味が入ってあるからだ。
わたしは子供のころから、そういえば確か「エイリアン」の映画の腹を切断されても生きている男のシーンがトラウマになっていた時期がある。

妊娠初期で中絶される胎児は、その身体を鉄の器具や吸引器によって身体を切断されてから母胎の外へと出されます。
切断部のほとんどは首と胴体であり、また手足も切断されることもありますが、なかにはお腹を半分に切断される胎児もいます。(映像で観たときに、腸が出ているそのような胎児もいました)
また本当にバラバラの欠片の状態になって出てくる胎児もいます。
また生きたまま、頭を器具によって潰されてしまう胎児もいるはずです。(頭はその大きさから最終的に潰さなくては子宮の外へ出せないため)


肉体への拷問的な刑罰というものは、昔に比べ、だんだんと減ってきています。
家畜であっても、牛や豚には首を掻っ切るまえには気絶させる方法をとる国は多いです。
しかし胎児にいたっては、まるで鶏以下の扱いを受けています。
鶏であっても、首を生きたまま引き千切られたりお腹を切断されたり、頭を潰されることなどはそれほど多くは行なわれていないのではないでしょうか。(個人宅で心臓の辺りを切断する鴨のと殺(屠畜)法を行なっている映像は観たことがあります)



もう一度、「斬」という文字が、何故「ザン」と読むのかに注目したいと想います。

ザンという読み方は多くの方が「残(ザン」、この「残る」という漢字を思い浮かべるのではないでしょうか?

残酷、惨殺、残虐、慙愧(ざんき)、残忍、懺悔、斬殺、残骸、ザンで始まる言葉には重苦しい意味が多いように感じます。

「ザン」と読む漢字の意味を調べて行きましょう。




「惨」の字の意味を見てみましょう。





①「そこなう」

 ア:「物をこわして、だめにする」、「傷つける」

 イ:「人の気持ちや身体の調子を悪くする」

 ウ:「殺す」

②「いじめる」、「虐待する」

③「いたむ、いたましい、いたいたしいみじめ(目をそむけたくなるほど
  ひどい、気の毒で見ていられない)」(例:悲惨、惨害)

④「むごい」

 ア:「目をそむけたくなるほどひどい」、「気の毒で見ていられない」

 イ:「思いやりがない」



「惨」という漢字も相手を「傷つける、殺す」という重苦しい意味がありますね。
「思いやりがない」から、人は「惨め(みじめ)」だと感じるのでしょうか。





では次は「残」の字を見てみましょう。





①「そこなう」

 ア:「殺す」(例:残骸)

 イ:「滅ぼす」

 ウ:「傷つける」、「切る」(例:残虐)

 エ:「壊す」、「破る」

 オ:「壊れる」、「破れる」

②「傷」、「痛み」

③「むごい(ひどい)」、「思いやりがない」、「むごく扱う」(例:残酷)

④「悪い」、「荒っぽい」

⑤「悪人」

⑥「残る(もとの状態のままである)」、「残す」、「残り」(例:残余)

⑦「すっかり消えてしまわないで、1部分のみ残る」
  (例:山の山頂には雪が残っている)

 ⑧「煮た肉」


何故「殺す」「むごい」という漢字に「残る」という意味があるのか。


「肉を削りとられた人の白骨の死体」の象形

と「矛(ほこ)を重ねて切り込んでずたずたにする」象形から、「そこなう」、

 「むごい」を意味する「残」という漢字が成り立ちました。



矛(ほこ)で何度も何度も肉を削り取られ、死んだ人の白骨の死体の、その胸から上の骨が残っている形が「残」の「歹(がつ)」

死体の「死」はこの「歹」と「匕(ひ)」を合わせた形です。
「匕」は右向きの「人」で、残骨(ざんこつ)になった者を拝(おが)んでいる人です。
 そこから「死ぬ」意味になりました。

ですから「残」(殘)は、ばらばらになって、わずかに残されている骨のことで、「のこる」の意味になりました。



漢字というのは、なんともおどろおどろしい意味が隠されているものですね。
実際、漢字にはもっと他の深い意味も隠れているのではないかとわたしは想いますが、ひとつこういった意味も確かに隠されているのでしょう。

胸から上の骨だけが残っているとは、なんでしょう、他の骨はどこへ行ったんでしょうね。
川にでも流れていったのでしょうか、それとも土の下に埋もれて土に還ったのでしょうか。
いったいなんで、何度も何度も矛で肉を削り取られなくてはならなかったのでしょうね。

わたしは「斬」という字と同じく、この「残」という字にも「罪人への刑罰」の意味が隠されているように感じます。
死んでもなお「残る」ものとはすなわち、人の「罪」というものを表しているのではないでしょうか?
何故、人が死者に対して「拝む」のかといえば、ひとつは死者が成仏する為にでしょう。
何故、成仏してくださいと拝むのかといえば、人は罪があればこの世、または此の世と彼の世の間に「残る」と考えられているからではないでしょうか。
死者が成仏できずに苦しみ続けるとはすなわち、残された者たちも同じく苦しみをなんらかの形で被り、または感じ取るものだと人々は考えたため、人は墓を作ったり念仏を唱えたり供養をしたりして死者がどこかで苦しんだまま残り続けないようお祈りをするわけです。

「残る」という意味には「苦が残る」という意味から来ているのだと想います。
その死にざまが、苦しければ苦しいほど、人はその苦しみが「残る」と考えるのは自然なことだと感じます。
その残った苦しみは、どこへゆくのかと人々は考えます。
因果因縁というものがひとつ、死者の苦しみを浄化させるために存在している世界の法則を説いたわけです。
死者の無念の苦しみはどのようにして払われるのか。

「ザン」という音は、重い音だと感じるのは、その残る苦しみの重さから来ているのだとわたしは感じるのです。
「ザン」と聞くと、上へ上がる音、というより、下へ「ザン」と落ちるような音に聴こえますでしょう。
人やそのほかの生物の苦しみの念というものがすべて重い波動であるため、これが苦しい念なほど下へ落ちて底へわだかまるわけです。

人の身体を斬り刻み、また切断せしめることが何故「斬(ザン」という「残る」の意味と音と同じであるかということがよくわかる漢字です。

人の苦しみは、生命の苦しみは、死んで終わるものではないのです。
世界で一秒間に一人以上もの中絶される胎児たちの苦しみが、どこにどのようにして「残り」続けているのか、ということに、人々はもっと深刻に危惧せねばならないのだと感じるのです。