あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

ハデスの底の燃える死のように

2019-12-11 23:59:01 | 日記
12月11日午後11時6分。
嗚呼、今気付いたが、今日はもう、みちたが旅立ってから二月過ぎていた。
今となっては、信じ難いほどあっという間にこの月日が、気付くや去っていた。
一月、ブログを更新することすら出来なかった。
寒々とした灰の内にあって、光の戯れに指を触れてはやめる日々があった。
わたしはまたひとつ、確かに確信するのだった。
みちたが死んで、わたしはまたわたしを、ひとり喪ったのだと。
こんなに心が寂しく冷えながらも、心躍る日々を歩むのは、いつの日振りだろう。
みちたのいない日々をただ歩んでゆくこととは、みちたに再会する日に、わたしは近づいている。
みちたに永久に会えない日に立ち止まっていることの許されない日々を歩むことはなんと喜ばしいことだろう!
わたしに悪霊が取り憑いている間にも、みちたは着々と、人間として生まれる日に向かい、時を数えている。
終りのない日まで、終りを待ちつづけるハデスの底の燃える死のように。
彼はもう、人間として生まれぬ日の夜を、待ち望む。
みちたは早く人間に生まれたくて、わたしを主として選んだ。
わたしの奴隷として、生涯を生きて虚しく、寂しく死ぬことの耐えられない悲しみの果てにみちたは死を受け容れた。
一刻も早く、もうこの寒々しい地上に生まれなくとも良い日に生まれるが為に。
みちたはわたしの奴隷としてその生涯を捧げ、汚れた毛皮のように独りで朽ち果てた。
わたしにすべてに等しく価値があったとしても、みちたに選ばれないわたしの生は、なんと寂しいことだろう。
父が居て、母が居て、姉と兄が側に居る永遠に生きても、それは真冬の森の小屋のなかの、氷でできた地球の上で眠る炎のように、瞬いては、湿気た喜びだ。
聖家族の陶器の像を、床に投げ付け叩き割って、無数の粉々のその像たちすべてを、自分の家族として愛せないなら、人は生きながらにして、死んでいるのだ。
そう想うだろう?みちた。
嗚呼、もうすぐ日が経ってしまう。
みちたのいないこの家が、どの毛虫の抜け出た蓑虫のなかのカオスより、澄んでいて。
何も見いだせないことを、イエス・キリストのみなをとおして、祈りつづける。アーメン。















最新の画像もっと見る