今日も胸が苦しくてならない。
昨日に観た映画が原因である。
昨日、私は「小さな唇(原題Little Lips)」というカルト作と言える1974年イタリア・スペイン合作の映画を観て、
ほとんど期待せずに最初のうちは観ていたのが、観ているうちにものすごく感動して、映画が終わった瞬間から何分間と繰り返しやってくる咽び泣きがなかなか止まなかった。
ストーリー
戦争から五年、ポール(ピエール・クレマンティ)は生まれ育った故郷ブルック・アン・デア・ムーア (オーストリア)に帰還する。
足を負傷して杖を使うようになったポールは、戦争で心にも深い傷を負い、家族が一人も住んでいない屋敷で召使夫婦と暮らしている。
自殺を何度と考える絶望的な日々を過ごすポールはある日、召使夫婦の姪である戦争で両親を失った少女エヴァ(カティア・バーガー)と出会う。
主演はピエール・クレマンティ(Pierre Clémenti 1942年9月28日 フランス・パリ生まれ 没年:1999年12月27日)というフランス出身の俳優で私は初めて彼を知ったのですが、調べてみるとパゾリーニ監督の「豚小屋」という非常に問題性の強そうな映画の主演をやってたり、他にもかなりのカルト的だったりアート的な映画に好んで出演していて個性の強い俳優のようで、72年には麻薬売買で17ヶ月の禁固刑を受けており、独り舞台をやったり映画監督をやったりと怪優として評価されているとても興味深い俳優です。
このクレマンティという俳優が麻薬売買で捕まって禁固刑(禁錮は強制労働が無いといっても独房の中で自由に動き回ることは許されておらず、就寝時以外は一日中看守の合図により正座と安座の繰り返しとなる。常に看守に監視され、不用意に動くと厳しく指導される)と言うむちゃくちゃ苦しい刑に服し、出てきてから一年ほどか一年と経たない頃に主演をやった映画が「小さな唇」です。
当時、彼は32歳ですが、この映画ではもっと上の年齢のように見えます。40歳から45歳くらいの設定でいいかもしれない。
そして少女エヴァ役をやったウィリアム・バーガーというこれまた癖の強そうな俳優の娘である西ドイツ生まれのカティア・バーガー(Katya Berger)は1964年生まれとなっているので、当時は10歳くらいのようです。設定は12歳の少女です。
とても10歳ほどには思えない大人びた表情と無垢なあどけなさを持ち合わせているすごく魅力的で可愛らしい少女です。
設定よりも若い少女を裸にさせている映画なので、かなり問題作で当時全世界で発売中止となった幻のエロスムービーが、公開時にカットされたシーンを可能な限り収録してDVD化となっていますが、映画の本編は10分もの最重要といえるシーンの入ったシーンいくつかが抜かれています。
そしてカットシーンが別に特典映像にされています。
最重要のカットされてしまったシーンがどのようなものであるのかはネタバレにもなりますが、これは知らないよりは知ってから観たほうがいいと思うので、あえて言います。
少女エヴァが入浴中に性的な快楽にひとりで耽っていて、それを目撃してしまうポールの場面です。
自分はこのシーンは絶対に本編に入れなくてはならないシーンだと思います。
私は本編を昨日観終わり、今日に特典映像を観て、二重の苦しみに襲われました。
ここからは映画のレビューというより、私自身のとても重い過去の話を入れねばなりません。
その前にちょっと映画のシーンを貼り付けましょう。
ここからは非常に重苦しい話になります。
私はこのポールという男とエヴァという少女の姿が父親と娘の姿に見えて仕方ありませんでした。
自分と父親の姿にだぶって見えて仕方なかったのです。
最後まで観終えた時、それが決定的なものに感じられ、悲しくてなりませんでした。
またこのポールを演じるピエール・クレマンティのその存在感や雰囲気は私の父親とよく似ています。
私は男性は、二つのタイプに大きく分けられると思っています。
一つは、性的なものに対する重く苦しい罪の意識、背徳感を意識的にも潜在的にも持っていないように感じられるタイプ。
一つは、性的なものに対する重く苦しい罪の意識、背徳感を意識的にも潜在的にも深く持っていると感じられるタイプ。
このポールという男は間違いなく後者でした。
そして私の父親も後者でした。
私自身が、子供の頃から後者でした。
私が性の快楽を知ったのがちょうどこの少女エヴァを演じたカティア・バーガーと同い年の頃、小学三年生のときでした。
私が4歳のときに他界した母はエホバの証人で、私は母の記憶がないのですが、母が死んだ後も父とエホバの証人の人と一緒にいつも家で聖書を学んでいました。
エホバの証人というのはものすごく性に対する禁忌が強く今でも在り、婚前交渉は勿論、自慰行為までをもはっきりと禁じます。
幼い頃、母の傍に常にいた私は毎日のように聖書の内容とエホバの証人の教えに触れ、たぶん物心のつく前から夫婦間以外の性の欲望がいかに神に背くものであり、重い罪であり背徳であるということを無意識にも感じて育ってきたと思います。
私は父に対して、性的な関心は持たなかったし、胸が小さく膨れる頃になれば父と一緒にお風呂に入ることを恥ずかしく思い、一人で入るようになりました。
でも同時に父に対する独占欲や所有欲といった依存心は強くあり、父が職場のおばちゃんと会うことにも酷く嫉妬していました。
それはまるで、性的な欲望を持たない恋愛のようであり、父親が大好きで父子家庭で育つ娘の父を自分だけのものにしたい、自分だけを愛してもらいたいというごく自然な感情ではないかと思います。
しかしそれが自分と父の場合には、破滅的な道のりをゆく原因になりました。
私が生まれたとき、父は40歳でした。
父は1941年の9月21日生まれで2003年12月30日に62歳で他界しました。
ポールを演じたクレマンティは1942年9月28日生まれで没年が1999年12月27日、享年57歳。
何でこんなに近いんだと驚きました。
まるでこの「小さな唇」という映画は性に目覚め始めた10歳のときの私と若かりし父が禁断の恋に陥ってしまうというような物語に見えて仕方なかったわけです。
私は父が死ぬ22歳の時まで男性を好きには何度もなりましたが、男性の手を握ったこともないほど無経験でした。
私が男性を好きになり結婚をし、家を出てしまえば父は一人になってしまうことがわかっていました。
父も私にひどく依存していたのをわかっていたのです。
私と父は強い共依存の状態にありました。
私が17,18歳の頃だったか、父が性的なシーンのあるドラマや性的な事柄を含んだテレビ番組を私が家にいるときに見ることが苦痛でたまらなく、鬱が酷くなって寝たきり状態になったことから姉の家に数週間か住むことになったときがありました。
すると父が今度は私がいなくなったことで寝たきりの状態となってしまったのです。
私の嫉妬はとても異常なものでもありました。
何故なら父が当時さんまの「恋のから騒ぎ」などを観ていただけでも自傷するほどに苦しんでいたのです。
ちょっとしたキスシーンのようなシーンに入ったドラマを父の見てる目の前でリモコンで電源を切り、父に怒られたこともあります。
自分の性の欲望をのた打ち回って苦しむほどに穢らわしく思うと同時に父の性の欲望も性的な関心ごともすべて私にとって穢らわしくてならないものでした。
どうしても赦せなかったのです。父が女性に性的な関心を持つことはおろか、私以外の女性を可愛がることも。
母は父親を早くに亡くしており、ものすごく父の過去の女性関係にまで嫉妬していたほどの嫉妬深い人だったようです。
きっとほとんどの女性が親の愛、父性の愛というものを、恋愛感情を持つ相手に求めているはずです。
それが親の愛に飢えた子供ならなおさら求めるはずです。
この映画のエヴァという少女も幼い時分に父親と母親を亡くした子であり、親の愛情に飢えきっていたはずです。
特に、父親の愛情を知らず、父性の愛に飢えた子供は少女の頃から性的なことに奔放的であり、周りからは尻軽女のように蔑まれながらも必死に性的な行為で男を喜ばせようとし、これによって男に父親の愛を求めていると私は感じています。
たぶん性風俗の世界で働く女性は父親の愛情に飢えた人が多いと思います。これは何人かの境遇や生い立ちを知ってそう感じたことです。
それは父親に愛されたい娘の愛情飢餓が、どうすれば父親の代わりである男性を自分が喜ばせられるのかを無意識にわかり、感じ取っているからだと思うのです。
性的に奔放になる女性は男性からは真剣に思ってもらえなかったり、世間から差別されやすいものですが、非常に涙ぐましい意味が隠されているわけです。
私自身、父を喪ってすぐに、自暴自棄に陥り父を苦しめたまま父を死なせてしまったことでも自分を憎み責めさいなむ心から、自罰的、自虐的にそれまで護り通していた結婚するまで処女でいたいという願いも壊し、突如性的に奔放になりました。
ここ数年はさすがに奔放さはなくなりましたが、私にとって性の行為に纏わる喜ばしい記憶は何一つとありません。
すべてが苦しく、罪の記憶としてあります。
でも一番の罪の記憶は、父が病気に罹って病院で最も苦しんでいたその同じ時間に、私が家でひとり、当時好きだった出会い系サイトで知り合った若者を想いながら性の快楽に浸り、自慰(手淫)行為に耽っていたことです。
行為の真っ最中に電話が鳴って、電話に出ると予感したとおり病院からで父の容態が急変して危ない状態だから今すぐに来てください。というものでした。
悪夢を見ているような感覚で汚れた手を洗い、急いでバスに乗って一人病院へ向かいました。
私が父のいる病室へ着くと、父は酸素マスクをはめられており、息もうまくできない状態ですごく苦しそうなのに私を見た途端、とてもホッとした表情を見せました。
父の傍に座った私の手を父は力なく握ろうとしました。
でも私は完全に絶望していたのです。
父はまだ生きているというのに、自分の人生を呪い、途方に暮れて完全な極度の鬱状態に陥っていました。
だから父の手を握り返すこともできずに、父の手は力なくベッドの上に落ちました。
その後、先ほど電話で連絡した仕事先に居た兄が病室に着いて、兄は自分から父の手を強く握り締めました。
私はそれを見てずっと項垂れ泣いていました。
父はその後麻酔を打たれて眠らされ、意識を失ったままの状態で一週間後にこの世を去りました。
麻酔を打つために冷たく無機質な集中治療室へ父が運ばれるときに、父の最後の目にした私の姿は、絶望しきって父を見て泣いている私の姿でした。
もし私があの時、性の快楽に耽ってさえいなければ、私は苦しんでいる父の手を力強く握り返し、ほんの少しでも父の苦しみを和らげることはできただろうか。
今でも続いているこの悪夢は、いつ終わりを迎えるだろうか。
私が死ぬときだろうか。
私は「小さな唇」という映画を観終えて時間が経つと、あの少女がこれからどのような人生を歩むのかを想像しました。
父親の代わりが、いったいどこにいるだろうかと。
「アンチクライスト」という映画を観終わったあとも、ものすごい引き摺ったのですが、この映画も当分引き摺るでしょう。
私はこの時期にこのような胸に深く突き刺さって痛む映画を観れたことをとても喜ばしく思います。
重苦しい私の話を読んでくださり、ありがとうございました。
興味本位で、貴女の事知りもしないで、頑張ってくださいなどと、すみませんでした。しかも、優しいお言葉に甘え、満足してた、自分が情けないです。
いつも、誠実にお返事をありがとうございます。
あまねさん、無知ですみません、がしかし、応援してます。
この記事読んでいただけたんですね。
ありがとうございます。
わたしは宇宙の全ての存在にいつも「がんばれ」と応援を送りながら生きています。
なんもしらなくとも、がんばれ、と応援する気持ちはとてもポジティブでその想いを持てるということ自体が嬉しくなります。
だから何も知らなくても応援されることに嫌な気持ちにはなりません。
わたしもミキさんのことはわからなくても、言いたいことは言ったほうが良いと想っているので、なんでも言うようにしています。
「良い言葉」を言えたと想うときは、小説であっても、こういった普段の対話であっても、自分の言葉だと想わなくて、自分よりずっと上の存在の意識が現れたからだと感じて、いつも自分以外の言葉を言う感覚で言葉を打ち込んだり、話したりしています。
でも、ああ駄目やな、と想う言葉も勿論たくさんあって、どっちかというと、「またゆうてもうたな」っていうあとで反省する言葉の方が多いです。
そういうことはほとんどの人にあるはずです。
それで、駄目な言葉っていうのは、自分も相手も、あとでいつか反省する言葉だってわかっていますから、
その言葉をわたしは信じません。
それは言葉だけじゃなくて、すべての行動も同じです。
そうすると、誰かにどんなに酷いことを言われたり、酷い行為をされたとしても、
相手を憎み続けることがなくなります。
そうやって、自分の言葉も相手の言葉も、自分の行為も相手の行為も、ほとんどは「嘘」みたいなもので、
あとで必ずそれは自分の本当の想い、言葉、行動ではなかったんだと想い知るものなんだと想っているので、
わたしの言葉の表現もノンフィクションでありながらも同時にフィクションであると感じています。
「良い言葉」を言えた時も、それは自分を越えた言葉だと感じるので、それもまた、”フィクション”です。
自分のすべての言葉に責任を持つからこそ、言葉というのは面白いものです。
相手が感じている感覚を想像せずに傷つけることがあっても、いつか必ずわかり合って、仲直りできる日が来るのだと信じています。
わたしは自分自身が本当に情けないからこそ、言葉でそれを表現することを喜んで遣っています。
ミキさんはきっとそんな弱い自分自身を受け容れられなくて、ずっと闘っているんじゃないかなと感じました。
わたしの場合はそのすべてを受け容れる為に書いています。
だから自分のなかにある嫌らしい部分や汚い部分、恥ずかしい部分、劣等感、冷酷な部分、浅はかな部分、とにかくマイナスに想えるものを特に表現して行きたいと想っています。
でもこれが、なかなか容易でありません。
人はどうしても、自分の悪い部分より、良い部分を見せたい本能があるからなんだと想います。
わたしの中にある良い部分はほんの少しであると想います。
自分という存在を本当に素直に表現していくなら、自ずと嫌なところばかり、弱音ばかり、卑しく情けないところばかりの表現となるわけです。
でもこれが、本当に面白いんです。
人間の醜さ、弱さ、恥ずかしさ、滑稽さを表すことができるほど、それは”フィクションとしての面白さ”を知っていくということになります。
長くなりましたが、わたしが言いたいのは、「他者のネガティブな言葉や行為を、そこまで真に受ける必要はない」ということです。
それよりも、相手がそれを言わなければならない、行動しなければならない経緯についてどこまでも想像し続けることが面白いだろうということなんですね。
わたしはミキさんが言いたいことを隠さずに言ってくれたことが、面白いと感じています。
それはひとつの深い情熱です。
だから本当に言いたいことは、言えば良いし、言ったほうが良いとわたしは考え、こうして孤立しながらも深い喜びを感じながら生きています。