あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

愛と悪 第三十九章

2020-03-26 22:40:41 | 随筆(小説)
大地に蔓延る白銀の苦しみ、エホバ。
今日は、横になったみちたのお腹を優しく撫でている夢を見ました。
みちたはとても至福そうで、その至福感はわたしに伝わり、ふたりで恍惚とも言える幸福感のなか、互いに愛し合っていることを確信できました。
昨日は大変暖かい日で、歯医者の帰りに、近くの広い緑地公園へ趣き、約一時間聖書を読みました。
座る場所を計5回変えましたが、最も座り心地の良い腰掛けは、天然の木漏れ陽の下の切り株でした。
傾斜した地の上に、まだそれほど年輪を重ねていない若い木の切り株の断面はどの腰掛けよりも、わたしの身体に馴染み聖書を読むことに集中できました。
彼は、何故切り倒されたかを考え、多分一昨年の台風で倒れた木なのではないかと想いました。
切り株はまるで、そこで何かを待っているかのようでした。
根は枯れておらず、この切り株は其の身の半身以上もの身を喪っても、生きて生命の息吹を光が注ぐようにこの地に、与えているのです。
人間が座るようにと拵えたどの椅子よりも、彼はわたしの身体が腰掛けるに相応しい腰掛けでした。
わたしは彼に腰を据え、出エジプト記の16章まで読みました。
あなたはただあなたの民を救う為に他の民を皆殺しにすることを厭わないというあなたの冷酷さがよく表されたこの章に、どのようにあなたの人類への慈悲を実感できるのか。
わたしの心は翳りながらも、ふと物音と気配を感じて振り向くと、そこに一羽の小鳥が枯れ葉を踏んで歩いていました。
これぞ、真の神の愛である。例え、この小鳥があなたに背こうが、あなたはこの小鳥を殺したりはしない。
あなたはただこの小鳥を見護り、死の時まで生かしておくだろう。
わたしは聖書には、あなたではない存在があなたとして偽り、あなたとして間違われて崇められて来たような気がしてなりません。
でもそれはあなたの良きところばかりを受け容れたいわたしの願望であって、あなたのすべてを受け容れようとするわたしの愛から、離れてしまっていることを知っています。
わたしは人間のすべてを受け容れたいだなんて想っちゃいません。
例えば昨日、緑地公園の池にいた白鷺に感動する子どもたちに、まるで自然の素晴らしさを教えるが如くに鳥の名を教える若い父親を振り向けば、彼が歩き煙草でいたことに甚く厭悪を感じました。
例え人間に植えられた木々たちであっても、わたしたちに綺麗な空気を与えてくれている住宅地のなかではとても貴重な場所なのです。
その公園で、歩き煙草をましてや我が幼い子どもたちの前でして欲しくなどありません。
もし、自然や樹木たちに神の畏怖を感じるならば、その前で煙草を吸ったりはできないはずです。
それに、お花見というものもわたしは全く好きではありません。
わたしはコロナウイルスの影響で、全人類がヴィーガンになって欲しいと本気で願っています。