「続・三」の鑑賞を繰り返すうちに、小日向文世さん演じる川渕康成を悪役とは思えないようになりました。先日、劇場で5回目を見た時には、三丁目の人々に「帰れ、帰れっ!」と攻撃される彼を可哀想に思ったほどです。
茶川さんに、あえて「か、カネじゃないんだよっ。世の中にはもっと大事なものがあるんだよっ」と言わせた後の展開は、この作品の脚本がいかに練られたものかを示しているような気がするのです。
映画やドラマはフィクション=作り話であるが故に面白という一面があります。一方で私は、作り話だからと言って、観る者、特にまだ判断力が十分ではない若年層に「誤った感動」を与えてはいけないとも思うのです。
『夕日町三丁目の人たちが一緒になって淳之介のお父さんを追い返し、茶川さんと淳之介はこれまで通りのゆる~い生活を送りました。世間になんと言われようと、自分達の生き方を守り通した二人は、とても幸せでした。めでたし、めでたし』というストーリーがないわけではありません。いや、こういう「泣かせ方」だってあるでしょう。
なぜならば、映画はフィクションだから。いろいろな人生経験の後、そう確信したオトナがいれば、それはひとつの生き方です。しかし、こんな選択肢の少ない人生が本当に幸せなのでしょうか?
もし、家族と一緒に劇場へ足を運んだ子供達が「おカネなんかなくても、幸せになれるんだ。こういう暮らしもいいなぁ」などと感じたとしたら、私は「50年後の夕日」のことが心配になってしまいます。
茶川さんが「お金よりも大事なもの」として訴えたかったのは、きっと「人の気持ち=心」のことでしょう。そして、両者は「二者択一」されるものではなく、バランスよく両方とも必要なはずです。
茶川さんと川渕さんは、お互い「どちらか一方に傾いているバランスの悪い人」として描かれていて、その二人がそれを修正していくところが、この映画を支える柱のひとつなっていると思います。
メディアやネットワークが発達し、子供達は情報の洪水におぼれかかっています。映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を観る度に、50年後の夕日のことまでをも考えて作られたこの作品こそ「カネよりも大事なもの」だと思うのです。